*1 セプテンバー
ドイツに暮らしていた時分から人知れず温めて来た夢が一つ叶うに至った。
九月一日の節目たる日に上生菓子を食ったのである。ドイツだパンだと西洋風情に陶酔しきっている様に見える私も、或る時を境に我が国の、世界に誇って然らしめる文化である和菓子にも俄然興味を抱いた。それがドイツに暮らしていた時であるから稚児しい。日本で住んでいた頃にドイツパンに興味を持ち、いざ移ったドイツに住めば今度は和菓子に興味を持つとは甚だ遠回りである。遠回りではあるが、何、これに限らない。人生は須らく遠回りである。
町並みからして古き良き和の情緒溢れる一角にその店はあった。木製の引き戸を左へ引いて入る。カウンター席に先客が五人ほどあった。彼らに続いて座って良いもんだろうかと思うが先か、カウンターの向こうから白の作務衣を着た女性が私を席へ促す。作務衣と書いたが私はあの装いを何と呼ぶのか本当は知らない。
少しして作務衣を着た店主らしい女性が御茶の説明を致しますと言って私の眼前に一枚の板を差し出した。見ると何の御茶は何処産のほうじ茶で、何の御茶は何々農園の緑茶でと頻りに書かれている。それと同じ内容の事を丁寧な口調で店主が説明してくれて、一通りを聞いた後、私は「こちら在来種になります」とされる緑茶を頂くことにした。何れも三煎までお楽しみいただけます、と丁寧である。急須から茶が注がれる様はいやに美しく映った。もとい淹れ手の所作が洗練の化身の様であった。
そして肝心の茶菓子が目の前に並べられて、この四択の内から一つお選び下さいとまた一通りの説明が始まった。四種其々形も内容も異なりながら、それでいて皆季節を表している。これを夢に見ていたのである。私はその内から、煉切でこし餡を包んで花を模った一つを選んだ。第一に煉切というものを良く心得ないでいた私は、単に「ねりきり」という言葉とその見た目の美しさでのみ崇め奉っていたところに、いよいよその実態を暴く機会を設けて他の菓子に目もくれず、―いや、それぞれに異なる美しさは一通り見留めたが―、煉切の花を選んだ。
心で味わうという表現を、私は生まれて初めてこの身の上に感じるに至った。或いは似た感覚なら、帰国直前、我が心の故郷たるウィーンにある、我が心の真髄たるカフェ・ツェントラールでケーキを食べた時に感じた。何れにしても心が風船に化け私の体を浮かしていくような感覚である。それを緑茶が見事に落ち着けてゆく。まさしく和、和音という意の和であった。
この九月一日を境に私の心身及び零微な我が歴史の上に維新が起こった。過去にも幾度となく維新は起こってきたが、何れの場合も私の操縦に従わず自然に発生するのが面白いところで、そうして一度起こるとそれまでの思想や言動がまるで幻実であったかの様に刷新されるのが不思議なところである。
そしてまたそれがどんな様子なんだかを具体的には書かれない。恥ずかしいから内情を極秘に守りたいと言うよりも、書きたくてもうまい書き様がわからないのである。それでいて確かに私の内側ではエネルギーが泉の様に湧き上がる。そうすると折角の湧水であるからして、注ぐ方面をばっさり選り択りたくなる。つまらないもの、下らない事に構っている暇などは毫も無くなる。それでいていっそ死にたいとも思う。もとい死んだって構うもんかという生を授かった者として愚直たる心意気が漲る。まさにやるかやられるかの侍精神に似たところである。
それならさあよし行ってこい、と背中でも押すが如く月曜日は健康診断があった。走り出す前の車体の最終調整である。結果はまだ先であるが、まあ診断を司る保健師一人として私の結果を見て苦い顔をしなかったから概ね良いのだろうと思う。全く健康体の自負もあるから頗る好スタートを切れそうな見通しである。
何だか体が軽い。和菓子を食って風船と化した心がまだ体を浮かせているんだろうか、と非現実的な事さえ思案する。今だと思って先の用事を二三誂えた。その内一つは早速来週の月曜日、前々から伺いますと口約束をしてあったパン屋の老夫婦を訪問する。前に掛けた時は繋がらなかった電話もこの日は軽快に繋がった。こちらで名乗ってから直ぐに、そういえばこれまで世間話をするばかりで名乗っていなかった事に気が付いて慌ててドイツパンの、と付け加えたら婆さんは解ってくれた。それから九月の後半にも一つ用事を拵えた。こちらも心の湧水に呼応すべくして企てた用事で、こうした維新の時にこそ必要な刺戟を獲る為の用事である。まあ今から皆迄書いてしまっては詰まらなかろうから詳しくはその時に取って置く。
カフェを宣伝する為の散誌も新たに作り替えた。今だから白状するが、散誌の作り替えは随分前から頭に浮かべておきながら本腰を入れるのに随分時間を要した。これでもその日その日を真剣に生きている積であるが、心の内では密やかに「後へ回せ、後へ回せ」と生皮心が扇動してやっていたのを今になって把握した。まさに心の変わった途端、散誌のデザインは程なくして完成し、土曜日には印刷された物が手元に届いた。一度手を付けてしまえば早いものである。
そんなカフェであるが開店早々から大きく盛況し、あっという間に完売した。これ迄に身に覚えの無い早さであった。先週台風を案じて見送った反動であろうか、最初に来店した母娘などは車で五十分と掛かる先から「テレビで観て気になっていたんです」と態々足を運んでくれた様であった。いやはやそれに見合うだけの物を提供出来るか知らんという私の不安も何処吹く風、テーブルの脇を通った私に「凄く美味しいです」とまだ食べ終わらぬ内から声にしてくれた。有難い、以前に安堵した。これは何時でもそうである。
その翌日には今度は私が車で五十分と掛けた先にある雑貨屋へ出向き、そこで開かれた催しに出店した。三度目の出店となったこの日は、尋常では無い程に客足が無かった。毎度ここで顔を合わせる人に「今日はどうしたんですかね」と雑談持ち掛けると、何でも近隣の彼方此方で大型の催事が行われているんだと言うから、それで私もすっかり納得した。容易に勝てそうな相手でも無かったから、まあこんな日もあろうと出店者の所をそれぞれ回って何だ蚊だと話して回った。出店の機会を探すのに苦労しているんですと話すと、二人の人から有益な情報を得られた。今日の所はこれで十分であろう。
話を戻してこの度の九月の維新であるが、思えば二〇一六年の九月にも似たような心持になった事があった。ちょうどドイツに渡って二年目の時である。自分は何をしに海まで渡ってドイツに来たのか、という一点を軸にぐらぐらと揺さぶられて、九月にならんとする時機にて、まさしく今度のと同じ様に、胸の内に漲る湧水の使い道を厳選し、そこから漏れ落ちた物事を省みなかった。それ即ち、“ドイツでのパン修行”を圧倒的な優先事項と定め、その妨げに成り兼ねぬ煩わしき厄介事を大いに切り捨てた。御陰で随分と孤独であった。もとい当時はそれを孤独だなどと気付いてもいなかったのであるが、孤独であると同時にみるみるドイツ語が上達した。仕事の覚えが良くなった。同僚とのドイツ語でのコミュニケーションが頗る活性化し、職場の中にきちんと自分の立ち位置を築いた。或る人が見れば寂しかろう。或る人が見れば哀れかも知れない。然し己から見ればこの上なく真っ直ぐである。
元来私は曲がった奴やずるい卑怯者は嫌いである。真っ直ぐ生きよと思う。然し世の波はどうもそれの反対を行く様に出来ている。真っ直ぐ生きようとするほど濁流を飲み苦しくなる。濁流が口へ飛び込もうが足を掬われようが一向に構わぬ。私は頑として真っ直ぐに、明日も好きな漱石を読み、好きな靴を履いて好きな所へ出掛けたいと思う。逃げも隠れもせぬ。畢竟須らく生きるか死ぬかである。
※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。
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