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*9 初々しき心

 「明日はイベントに出店するので今晩はまた十時に起きてパンを焼くんです」と言った時、その人が「徹夜」という言葉を用いたのが私には意外であった。そしてよく考えてみると妥当であるようにも思われた。時刻は午後四時を回った、彼是かれこれ二週間前のカフェでの遣取やりとりである。
 
 その人の解釈で言えば、カフェ営業後に仮眠をしてそれから徹夜してパンを焼くのが私だったのだろう。一方解釈の少し異なる当の私の解説で言えば、カフェ営業を終え一日の終わりに目を眠る時が夜で、けたたましく鳴る目覚ましの音に起こされ目を開けた時が朝というだけの至極簡易的な仕組みなのである。意識が沈めば夜、再び昇れば朝とは日の昇り降りと同じである。そして日が昇ればまた沈むまで燦々と光を放つは、意識が昇って沈むまでパンを焼き活発に動くのと同じである。
 
 
 仮眠と睡眠の分別のつかない私は、瞼の開閉で睡眠時間と活動時間を区別する。これは強情でもなければ己のたくましさを誇示するでもない。単にドイツ時代の生活を引き継いでいるというだけである。
 
 ドイツに渡って最初の三年は文字通りに寝食を惜しみドイツ語やパンの勉強に勤しんだ。もといそうするより他に進む道が無かったわけであるが、そうするといずれそれが普通になった。そこにパン屋での労働時間も相俟あいまった。当時は深夜労働だったから夜十時頃に朝を迎えた。そうして昼前に帰って来ると、それでもまだ陽は燦々と降り注ぐから直ぐに眠るのは俄然惜しかった。ばかりか第一に勉強にあてる時間が終業以降しかないんだからしょうがない。夕方五時過ぎになってようやく眠ろうとする。それが休日になると今度は夜が長くなるからなお眠り難い。自然、不規則な生活に体を慣らさざるを得ない。そういうのの蓄積が今である。
 
 
 さて、御陰様で店舗の無い割には働く機会を頂けている私は今週も大型の注文が二件あった。ふるさと納税の発注も承った。私の作るライ麦パンを気に入ってくださっている御得意からも電話があったし、シュトレン予約の準備も進めた。製造のみならず事務仕事もあるから矢ッ張り容易に眠っていられない。おまけに週末の三連休にはカフェ営業に加え二件のイベント出店が控えている。どうにも時間は少ない。然しどれも一切の強制力の働かぬ、自分で勝手にやっている事である。泣き言の言い方はマイスター学校でさえ習っていないから未だに知らぬ。この辺りに耐性か、もしくは体力がついていたのは幸運である。
 
 そうして残り少なくなった時間を使って動画を撮る。文章を綴る。一銭にもならぬ絵を描く。仕事かと聞かれても娯楽かと聞かれても安易に頷けぬ事に割く時間はあるという矛盾である。然しながらコインに変わらぬと思われていた動画が、文章が、絵が、それでいて価値を持つ瞬間が今週到頭訪れた。カフェを営む土曜日の事である。
 
 
 遠路遥々、私に会うを目的に訪ねて来たという御客があった。その四人組の御客が入店した時、何と変哲の無い一家だろうと私は思った。全く通例通りに接客をし、通例通りにケーキを支度し、通例通りにカイザーシュマーレンを作りテーブルに並べた。すると少しして、前述の通りの事を伝えられて驚いた。全く遠く離れた所からその人達は、確かに私に会うを目的としていたらしかった。
 
 
 「ドイツへパンの修行をしに行く予定で、色々と不安や心配があるから話を聞きたいと思って来ました」とその人は言った。私は大手を振って「勿論、何でも聞いて下さい」と答えながら、その一方で狐に抓まれた様な気分になるを禁じ得なかった。ドイツに行く予定は良いが、よくそれで私の所へ辿り着いたもんだと思った時、未来ある挑戦者の口から私を知った経緯が物語られた。聞けばドイツに関する物事を漁っている内に、私の、仕事と娯楽の狭間の、一銭にも一セントにもならぬ動画に出会ったらしかった。そうして実際に会わんと、云百キロ遠くでアクセルを踏み込み、一直線にこの山奥のカフェまで走って来たらしかった。
 
 私は彼是あれこれと話した。聞かれた事には答えたし、聞かれてない事もべらべらと喋ったかも知れない。実際、それが役に立つ情報か否かは、私にも相手にもまだ分からぬ段階である。親御さんの不安もよく解った。当人の心配も無論解った。言わずもがな、それらの心細き道は私も一度通っている。私は原則脚色も捏造もせずなるべく実際を話し、それで僅かばかりでも視界を晴らせればと思った。無闇に背中を押すも乱暴に前向きな言葉を並べるも、不安を抱く者相手にして到底私に出来る芸当ではなかった。
 
 
 今週承った大きい注文の一つもこの一家であった。それを渡すと「何か聞きたい事があればいつでも相談して下さい」と言って帰りを見送った。そうして一息ついた時、冒頭に書き綴った様な渡独当初の奮闘の記憶が蘇り、自動的に初心を思い出した。当時の私の不安も心配も心細さも凄まじかった。思い返すと切ないくらいである。然し八年間の全体を俯瞰で見れば、矢ッ張りあの心配も最終章に大きく効いていた様に思う。そして無論、今の自分にも大いに効いている。初心に返る良質な刺戟を受けて、その日の晩も例の如く二十二時に朝を迎え工房に向かった。

 初めての県外出店である。まあ車で一時間くらいの何でもない距離であるが、新しい試みである事には違わない。九月に伊豆迄五時間と車を運転した時が一つ、高速道路の運転に慣れる為の強化合宿の積でいたが、それが実ってか車を走らせて会場へ着く迄、眠気に襲われる事も無く済んだ。出発の時点で既に九時間労働をしていたんだから非効率も良い所である。
 
 会場は寺の敷地内であった。奇しくも私の前職と現職の混色コラボレーションである。矢張り見慣れない顔ぶれが多い中、見知った顔も少しあった。私にこの催しを紹介してくれた爺さんと婆さんのパン屋も私より遅れて会場に現れた。
 
 この日の主旨を県外出店という所に置いていた私は、至って通例通りのラインナップで臨んだ。言わずもがな、この地の人からすれば初見であるんだからそれで良いと思った。また新地開拓するにはなるべく平均的フラットな情報を集めねばならない。亜準イレギュラーな目玉を並べてたとえ集客が出来てもその時限りになりかねない。この上越という街では一体どういう売れ方になるんだか、十時から十六時迄の六時間でよく観察しようと決心してパンを広げた。
 
 
 現実は開始から二時間とせぬ内に皆捌けた。全く予想だにしない速度で私の弾倉は空になった。純粋に喜ぶべき結果でありながら、何となく正体不明の誰かに対して申し訳ない気持ちになった。悪い癖である。幸い隣の弁当屋もたちまち完売していたから悪目立ちせずに済んだ。
 
 それにしても御客の反応は案外なものであった。まず「テレビで観た」という人が県を越えた所にもいた。さながら有名人みたようで恥ずかしい。ライ麦パンのハーブの話をしたら、自分でハーブを育てているという人が散々ハーブの育て方を教えてくれたりもした。それから「去年の九月にドイツから帰って来て、」という前口上が次々に通用した。これには県を越えた実感を固く覚えた。それからカフェに興味を持つ人が多かった様に感ぜられた。或いはパンに対する関心が高い様に思われた。私以外のパン屋の前にも行列が伸びていた。
 
 弾が尽きた私は一先ず昼飯を買って食った。たちまち目が回り、また呼吸が荒ぶり、そして心臓が暴れ馬の如く跳ね回り、これが体の悲鳴かと悟った。帰りの運転も幸い眠気に襲われず済んだが、地元に帰ってくるなり目の奥が疲れているのが分かった。これで死んだ様に倒れて眠れれば幸いかも知れぬが、明日も出店である。今日もまた夜中に朝を迎える必要がある。徹夜ではなく、夜に起きて夜まで起きているだけである。ドイツ語を覚えるのに一日二十一時間を費やしていた語学学校時代の私が真夜中に眉毛を全て剃り落す奇行に走ったのも、初々しき心の思い出である。私も頑張ろう。



 
※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。



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