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金原甫の読みもの

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記事一覧

大江健三郎の虚構作品における小モティーフについてのいくつかの断章

はじめに 大江健三郎の作品のなかには、たとえば、「ギー」「コギー」という名前の登場人物が出てくる。「義」に由来する。彼の義兄は池内義弘という人物だった。別には「ジン」という人物も、いろいろ形象を変えて登場する(『万延元年のフットボール』『洪水はわが魂に及び』)。おそらく「仁」から来ているのだろう。尾崎真理子によるインタヴューで、大江はその祖に当たる人物の一人が、大坂の仁斎派(古義派)の塾に学んでい

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アナクロ書評 加藤典洋『オレの東大物語』(2020年)(中)

その2 いわゆる仲野雅処分問題 加藤典洋が『オレの東大物語』(正確には副題として「1966-1972」が続くのだが)で東大闘争の概説を語るのは、第二部第八節のp.83からで、これは通念どおり、医学部インターン問題から語る。加藤視線を通してであるが、わかりやすい解説が伴っている。しかし加藤がそれよりもより重く価値を置くものが、いわゆる仲野雅処分問題で、こちらは、p.103以降である。この解説はそのま

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アナクロ書評 加藤典洋『オレの東大物語』(2020年)(上)


アナクロといっても、今回はたかだか三年前刊行の書物である。
これは加藤典洋が「オレ」という一人称を使った、フィクション性を纏ったような、自伝である。主に青年時代を振り返っている。山形の早熟の才気ある青年の教養形成小説のようになっている。学ぶべきところは多いだろう。
個人的なことを先に書かせてもらおう。
私は「村上春樹と早大闘争」という拙稿を2020年初春に書いている。それはとある某同人誌に掲載

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大森三彦とその妹たち 拾遺     金原 甫

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 前稿において、肝腎なことを書いていなかった。
 宮本百合子と中野重治は、日支事変(日中戦争)を受けて、内務省から事実上の執筆禁止(あるいはマスコミへの寄稿の不可能)措置を受ける。非常時における国内不穏分子の一人だということだろう。1938年1月からである。
 それは1939年秋ごろまで続き、「文壇」復帰作第一作が宮本百合子にとってはこの『杉垣』だったのだった。これは青空文庫で(つまりネット

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高橋源一郎『黙否録(一)』について       金原甫

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若き高橋源一郎が北大全共闘の同人誌『極北の思想』第3号(1970年12月25日発行)に小説を寄稿していることは、あまり知られていないのだろうか?
『文藝』2006年夏季号の高橋源一郎特集号に、灘高時代の生徒会誌『鬼火』に寄稿された論考「民主主義中の暴力」は所収されているが、1970年の小説「黙否録」は所収されておらず、言及もされていない。
その『文藝』に寄せられた自筆年譜を参考にすると、196

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太宰治と一国共産主義(上)   金原 甫

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太宰治の(1930年代初期)共産主義運動への参加が本気・本格的だったことはすでに研究史において、一般的な・支配的な見解になっていることと思われる(代表的なものとして、渡部芳紀「太宰治とコミュニズム」=中央大学文学部紀要1983年3月、川崎和啓「太宰治と左翼運動」=『太宰治研究2』和泉書院・1996年など)。
かつては太宰の政治参加が「心ならずも」だとか「もともと資質にない」とか「本気ではない」

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大森三彦とその妹たち(宮本百合子の周辺)     金原甫

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以下の文章は単なる読み物であり、文芸評論などではない。

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宮本百合子の『杉垣』という短編小説(戦後に『風知草』に収録)が、高杉一郎夫妻の戦時下の生活をモデルにしたものだということは、一部で知られている(『杉垣』初出は1939年11月号の『中央公論』、単行本に収録されたのは1947年文藝春秋新社)。
そこの仔細は、高杉一郎の『征きて還りし兵の記憶』(岩波書店・1996年)の宮本百合子について

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