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人生のコントロール感(「ハーバードの心理学講義 [Brian R. Little]」より)

こんばんは。

ここ数日、雨が続いていて、なかなか外で体動かせなくて、モヤモヤしますね。。

さて、今回は、ブックオフの今売れている本で、ランキングが高かった、「ハーバードの心理学講義」という本の一部に基づき、人生のコントロール感について書きたいと思います。

まず、初めに、人生のコントロール感とは何ぞや。ということをお話しします。 

ズバリ、人生をどれくらい主体的に生きられるか、もしくは、運命や偶然はどのくらい、あなたの人生に介入してきて、それらをコントロールできるのか、ということだと思います。

まさに、自分の人生を「自分で決めて」「自分でコントロールしている」感覚のことですね。

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ふむふむ。

では、実際、あなたは、自分の人生にコントロール感を持っているでしょうか?

本書では、人生のコントロール感の観点から、人間は2タイプに分かれているとしています。

まず、問題を自分でコントロールできると考えている人 「自己解決型」、

そして、他者や環境に依存し、偶然性や運命が物事に影響すると考える人 「他者依存型」

に分れます。

結論から言うと、自己解決型の方が、幸福度や成功に大きくプラスの影響を与えます。

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まあ、これは、誰でも、ある程度、容易に想像がつくと思います。

自分の人生を、自分の信念に基づいて、「自分で決めている」感覚があった方が幸せな感じは、なんとなくしますよね。

実際、自己解決型の人は、行動する前から、自分で入念に計画を立てます。

しかし、論理性・一貫性を重視しているため、例えば、他人が自分の意見と逆のことを言っていても、説得力を感じれば、態度を変えることも分かっています。つまり、正当な技能に即した、行動に労力や時間をかけます。

それに比べ、他者依存型の人間は、何か困難に直面しても、運や偶然の要素を考慮します。また、社会的地位の高い人間に影響されやすい、受動的な部分が垣間見えます。耳が痛い。かくいう私も、どちらかと言うと、他者依存型なのです。

そして、自己解決型は、物事に臨む際、事前準備を大切にします。一方、他者依存型は、事後につじつまを合わせて、対応をする傾向があります。
うぅ。耳が痛い。

これは、やはり、人生での様々な場面、仕事や学校で、多くの影響をもたらします。

例えば、かの有名な、ウォルター・ミシェルのマシュマロ実験では、マシュマロ(報酬)を少し後まで我慢できた子供は、数年後の追跡調査で、(アメリカの大学入学試験である)SATの点数が高いことが分かっています。(詳しくはこちらの動画をご覧くださいませ。)

つまり、報酬を先送りし(それが利益を最大化すると分かっている)、計画的に、自分に対してベストなプランを立て、実行できる。

まさに、みんな大好き、PDCAを回すってやつの基礎的な部分ですね。(もちろん、PDCAでは事後修正も大事ですが、、、)

でも、なぜ、そもそも、コントロール感が人生において大事なのでしょうか。

それは、人間が、元来、不確実性(Uncertainity) を嫌うからです。

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それはそうですよね。先が見えないのってなかなか不安になります。自分の将来とか、そうですよね。(当てはまらない人もいるかもですけど。私はめちゃ不安ですよ(笑))

人生で不安を感じるのは自然なことです。
でも、大事なのは、状況をいつでもコントロールできる「ボタン」が、自分の手元にあることです。
この、「いつでもボタンが押せる感覚」がコントロール感の正体です。

一つ、身近な例を上げましょう。
例えば、朝の満員電車なんてどうでしょうか。
私が朝一の授業に行くときは、最寄りの路線は、めちゃくちゃ混みます。なので、何本か電車を見送らなくてはいけないことがよくあります。でも、最近は、そんなことは少なくなりました。電車を見送らなくてはいけないなら、15分早く家をでればいいし、もし、電車が遅れたり、止まったりしても、乗換駅までなら、最悪歩けるし、自転車でも、たいして時間は変わらない。そもそも、その時間に授業を入れない選択もできる。

すいません、こういうの苦手で、(記事書くなよ(笑))とりとめのない例になりましたが、このように、あらゆる可能性を考慮して、どんな問題に直面しても、切れる「カード」がある、押せる「ボタン」がある。この感覚が、コントロール感です。

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しかし。

自己解決型は、実は、欠点になることもありうるのです。

考えてみましょう。

「コントロール感」はある程度、自分の想像や幻想に基づいたものです。
本に面白い例があったので、少し抜粋しますね。

例えば、政治家というのは、マニフェストで、自分の公約を掲げ、必ず実現できると言います。たとえ、苦境に陥っても、状況をコントロールできる「ボタン」があると公衆に訴えかけ、支持を得るわけですが、当然、実際の政治を見れば、それらのボタンが実は「ダミー」で、蓋を返せば、公約が全く実現されない、なんてことよくありますよね?

ダミーのボタンが、ダミーだと気づかないうちは、人々も安心するでしょう。
しかし、もし、ダミーのボタンが、ダミーだと、気づいたとき、人はどんなリアクションをとるのでしょうか?

結論を言うと、自己解決型で、あらゆる幻想に基づいて、コントロール感を得ていた人は、これらの緊急事態に、非常に戸惑うことが、様々な実験で分かっています。(詳しくは、本書をご覧くださいませ。)

なぜなら、(繰り返しますが、)コントロール感は、「偶然や運はたわごとで、自分で計画を立て、実行すれば、どんな状況でもコントロールできる」という、いわば、幻想に基づいています。

その幻想と現実の狭間に陥ると、人間は苦しくなります。

さて、一体何が正解なのか、わからなくなりましたね?(笑)

ずばり、この解決策は単純です。

事前にボタンがダミーではないか、スクリーニングしておけばいいのです。

つまり、ありとあらゆる幻想が、あまりにも現実とかけ離れていないか、をチェックする必要があります。

人は、自分の才能・能力・意欲にあった物事に取り組む必要があります。

でないと、いざ、困難にぶつかったときに、挫折してしまう可能性が高くなります。

そのため、なにか、なりたい自分になるために行動するときは、取り組む前に、事前に準備するだけでなく、その将来の予測が、客観的であるか、現実とかけ離れていないかをチェックし、必要があれば、他人にアドバイスを求めるのが良いでしょう。

個人的には、この「他人」というのは、本当に、赤の他人の方がいい気がします。なぜかというと、家族や、友人というのは、案外、互いに対して、思い込みがありますので、いつも客観的だとは限らないからです。

例えば、アメリカでは、人並み以上のユーモアのセンスがありますか?と聞くと、
ほとんどの人が「はい」と答えるらしいです。

しかし、これは確率的にはおかしいですよね。(個人的には、多くのアメリカ人のユーモアセンスは好きですが。。)

日本では、どうでしょうかね。「あなたは常識がありますか?」とかですかね。

まあ、とにかく、自己イメージと、他人から見たイメージって、結構乖離がありますよ、って話です。

だからと言って、いつも、悲観的で、現実的でいるのは、どこか悲しいし、たぶん、賢いとは言えません。

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そこで、著者曰く、「幻想のタイミングが大事だ」そうです。

目標設定の段階では、なるたけ、客観的に計画を練ると良いかもしれません。

目標追及開始のあとは、ポジティブな幻想に目を向けると良いかもしれません。(あまり不安になりすぎると前に進めなくなる)

慎重に。

かつ大胆に。
完璧に状況が整うわけではないのです。

これを言うと、元も子もないような気がしますが、つまるところ、バランスが大事なのです。

本書は、人間のパーソナリティーはある程度、生まれつきや育った環境固有のものであるが、同時に、人生の途中で、変えたり、状況によって使い分けたりすることができるという主旨でかかれています。

言い換えれば、時と場合によって、パーソナリティーを使い分ければいいのです。

例えば、私は、割と、いろんなことに興味が移りやすく、一つのことを長く続けるのが苦手なタイプだと思っています。物事を計画するのはいいんですけど、なんとなく先行きが曖昧で、どう手を付けるべきか、どれが成功確率が高いのかわからないんです。
だから、行動に移すのが怖い。

だから、私は、自分のことを、自己解決型になりたいと願う、他者依存型だと位置づけます。
もともと、悲観的には物事をとらえやすいのですが、その悲観が、たとえ、行動に移せたとしても、引きずられるんですよ、だから、問題が起きると、先に進めなくなりやすい。なので、もっと、気楽に大胆に、でも、妄想に逃げすぎないように、程よく頑張りましょう。

過去に起こったこと受け入れて、将来に、「正しい希望」を持ちたいですね。

誰も聞きたくないだろう自己分析が始まったので、今日はこの辺にします。(笑)

一読くださり、ありがとうございます!

良ければ、スキまってます! 


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