朝は窓を開けることから始まる(#日々の大切な習慣)
朝は目が覚めるとまず寝室の窓を開ける。
そして足元にまとわりつく猫たちを踏まないように1階に下りて、西側にある和室の窓を開ける。
雨が降っていなければ、ほぼ毎日の習慣。
朝の新鮮な空気を部屋に入れたいというのが一番の理由だけど、西側の窓を開けるのは、もうひとつ理由がある。
西側の窓の向こうには、お隣さんの畑が広がっていて、窓の近くには紅梅と白梅が植えられている。春先にもなればメジロなどの小鳥がやってきて、それはもう賑やかだ。
畑には葉物野菜やトマトが植えられていて、野菜の花は可憐で美しい。
朝が苦手な私には、それを眺めるのが朝のご褒美のようになっている。
そんな畑で丹精込めて野菜つくりをしているお隣のご夫婦は、寡黙なご主人と社交的な奥様といった組み合わせで、窓越しに「おはようございます」と寝ぼけた顔であいさつする私にとても優しい。
「ちょっと育ち過ぎちゃったけど、食べてくれる?」とキュウリやナスなどのお裾分けをしてくれる。
ご夫婦に手入れされた畑は、正に私の癒しの光景だった。
ところが、昨年の春頃から畑仕事に精を出すご夫婦の姿を見なくなっていた。畑は放置状態で、時折見かける奥様に挨拶をすると「もう年だからね」と苦笑い。ご主人の姿は見かけなくなっていた。
体調でも崩されているのかなと心配だったけど、なかなか聞き出せないでいた。
つい先日の事。近所の方からお隣のご主人が亡くなったと知らされた。
我家もお隣さんも町内会(自治会)に入っていないし、葬儀の慌ただしさも感じることもなく、全く気付かなかった。
慌ててお悔やみにお邪魔すると、奥様が申し訳なさそうに対応してくれた。
「去年から施設に入居していたんだけど、急に体調が悪くなって・・・早かったのよ」と伏し目がちに話してくれた。
「病院で亡くなって、すぐ葬儀社にお願いしたから、お骨になってようやく家に帰ってこれたのよ」と遺影を見つめる。
始めてお邪魔した家の中は、広いリビングに真新しい仏壇があった。部屋は綺麗に整頓されていて、庭と畑が一望できるテラスにはゆったり寛げそうな
リクライニングチェアが置かれていた。
きっと元気な頃は、ご主人もここから畑の様子を眺めていたことだろう。
今でも毎朝、窓を開ける習慣は変わらない。
お隣さんの畑は空き地のようになってしまったけど、紅梅と白梅は来春もきっと咲いてくれるだろう。
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