がじゅまる
2024〜 ひとり暮らしをはじめました 生活が変わったあとのはなし
とりあえず読んでほしいやつ
自分の内側を観察してみる。 ひとりごとのような観察日記です。
家族と関わる中で考えたこと
会うと元気になる人と会ってきた。いつもポジティブな言葉をくれて、愛情をたくさんくれる人。栄養。 縁を大事に、だなんて昔からよく言うけれど、ようやくその言葉の意味が分かってきた。これは、大事にする価値があるものだ。 今年は大変なことも多かったけど、同じくらい、人に救われることが多かった。以前は感謝の気持ちというものをうまく捉えられずにいたけれど、こういうところから自然と分かってくるのかもしれない。私は今まで、感謝の気持ちを知るほどには、困ったり、人に助けを求めたりしていなか
思い悩んでしまっている時、脳内のチャンネルとポチっと変えられたらいいのになあ、と思う。 例えば今、私の脳内ではシリアスなシーンのドラマが放送されている。登場人物はみんなどこか陰があって、不幸そうな顔をしている。分厚い灰色の雲の下で、ああでもないこうでもないと、しかめっつらでつぶやきあっているような。そんな番組。 そんな鬱々とした気持ちでいるのはもう嫌なので、そんな時は脳内のリモコンを操作する。思い切って愉快なバラエティや、穏やかな家庭菜園の番組に切り替えるのだ。 そんな感じで
人とずっと一緒にいたせいか、気持ちが不安定になっている。 単に寂しくなっているのか、生活リズムが乱れたせいかは、分からない。 楽しかったあとは、いつもちょっと疲れる。 こういうとき、自分の不安定さを思い知らされるね。 ペースを乱さず、いつも通りでいることがどれほど心を安定させるか。 今日はいつも通り仕事をして、諸用をこなす。私は無敵ではない。だから、慎重に自分を癒しながら生きる必要がある。 そういえば昔、祖母に買ったディズニーランドのおみやげを、目の前で人にあげられたこと
スーパーで、自分の食べたいものを探すだけの、お買い物。 「何食べたい?」って、お腹と相談しながら歩く。単純で気持ちがいい。 ひとりだからさ、何を食べたっていいんだよな。 鮭のちゃんちゃん焼き、 ザーサイ入りの餃子、 小松菜と鯖のパスタ、 焼いただけのししとう、 栃尾の油揚げ、 豚足、鯨肉、ガツ刺し。 こんなものだって買えちゃう。 己の欲を満たすだけの、普段の買い物と、食事。
マッチングアプリ、できちゃうんだよな。 独身だもの。 そう思ってはじめてみたけれど、なんだかな。向いてないな。 世の中に人間って、こんなにいるのか。すごい。 それぞれ生きてる。みんなそれぞれの思想がある。 出会いがそこらじゅうに溢れていて、相手をぞんざいに扱ってしまいそうで、扱われてしまいそう。 これが現代の出会い方なのか…。
2024/8/7 ガソリンを入れたついでに洗車した。夜、大雨が降った。 図書館で本を借りた。断捨離をした。押入れを模様替えした。買い物をして、夕飯をつくった。 ひとつひとつが小さなことだけど、積み重ねで生きている。 夜、友達と電話した。久しぶりに元気な声が聞けてうれしい。 2024/8/26 完全に生活のリズムが乱れていて、同時に心も乱れがちになる。 無理にでも身体を起こして、何かをする時間を確保した方がいい。 悩みは、意識的に人に話すようにする。いざというとき、状況を知っ
狭い。 部屋の隅から隅まで、すぐに手が届く。 私は、あまり広い家に住むと掃除の手が行き届かないし、物が多いと把握しきれない。その時のストレスが大きいから、この狭さはむしろ快適だ。 畳も好きだ。ごろんとできる。フローリングみたいに冷たくないし、ぺたぺたしない。 キッチンの床の、へんてこな幾何学模様もかわいい。 古くて狭い家に住むのは、案外悪くない。
「なんで、離婚したのに楽しそうなの」 って言われた。市役所からの帰り道。 だって、だってさ、 これからの人生をより良いものにするために、お互い合意で離れるんでしょ。ポジティブなこととして捉えてるよ、わたしは。 これから、お金のこととか、風邪をひいたときとか、きっと色々大変だけどさ。 このままいるより、変えたほうがいいと思ったんでしょ。私もそうだよ。 変化することは、悪いことじゃないと思ってる。 軽く考えすぎだって言われたら、そうかもしれないけどさ。 変化しながら生きてい
朝、何気なくパジャマをまくって、自分の胸を触ってみた。 何の感情も持たずに、ただの膨らみとして、観察してみる。 おっぱいだった。 もうかれこれ20年ほど、自分の身体に存在している。 第二次性徴期の頃の、まだ硬くて、素朴だったおっぱい。 授乳時は張ってしまって、熱を持ったり、痛くて仕方がなかったおっぱい。 大きくなったり、しぼんだり、加齢や状況に伴って、一緒に変化してきた。 思えば私はずっと、自分のおっぱいに対して否定的な気持ちを持っていた。 身体の、他の部位には持たなかっ
きっぱりと捨てることが苦手だ。 デザインが好きだけどいまいち似合わない服、使い勝手が悪いけれど高かった鍋。 なんとなく手放すのを先延ばしにして、しっくりこないまま使い続けたり、使わないのに手元に置き続けたりしてしまう。 幼い頃から、「自分が本当に気に入ってるかどうか」という理由で選択をしてこなかったからだと思う。 人生には色々な自虐がある。その中でも「好きなじゃい服を着る」「食べたくないものを食べる」「嫌いな人と仲良くする」というものがある。 この呪いを持たない人には意味
昨日の残りの小松菜と、鯖の缶詰めでパスタをつくった。 にんにくはオリーブオイルでじっくり炒める。 パスタを茹でるお湯には、塩は入れない。どうせほとんど捨てちゃうんだもん。 ひとりで暮らす、狭くて古い部屋。端から端まで、大股6歩。 必要最低限の荷物だけで、ここへ越してきた。 30歳を過ぎて、人生で初めてのひとり暮らしだ。 敷布団と、アウトドア用の折り畳みテーブル。図書館で借りた本。畳にごろんと寝そべると、下積み時代の芸人や漫画家の気分。イメージだけど。 そんな部屋に、何を積み
私は何かやる人間だ、という自負があった。12歳。群馬の田舎で育ち、特にスポーツに打ち込むでもなく、秀でた学力があったわけでもない。平々凡々な小学生である。それなのに、将来自分は凡人ならざる才能を発揮する気がしていた。確信と言っていいかもしれない。あの、根拠のない自信はなんだったんだろう。 当時の私のアイデンティティとして、絵が得意、というものがあった。クラスにひとりふたりいる、休み時間にいつも絵を描いているような、学級新聞を率先して作るタイプの生徒だった。だけど、別に絵を描
2024/7/18 昨日の夜、友達が、じゃこのおにぎりや、サラダや煮物を持ってきてくれた。前日からまともにごはんを食べていなかったので、涙がでるほどうれしかった。油断したら、千尋みたいに泣きながら頬張ってしまいそう。 今日は今日で、山の上の湖まで連れていってくれた。ぽつぽつ話しながらドライブして、湖を見ながらスイカを食べた。弱っているとき、静かに横に人がいてくれることが、本当にありがたい。 またちょっと、世界の見え方が変わった。というか、好きだった世界を思い出した。それだけで
心細さ について考える 幼い頃からもう、ずっと心細い感覚はあった気がする。それがもう、心細いなあ、とは思わないくらい。身に染みていた。 親が不在の夜とか、学校での集団生活、正解のわからないこと、誰にも相談できないことがあるとき。 そうだ、私には絶対的な味方がいなくて、ずっと心細かった。 揺るぎない存在が欲しかった。誰かに横で正解を提示し続けて欲しかった。 あなたは間違ってないよ、そのままでいいよって。抱擁される感覚を、私は知らないな。 自立するのは早かった気がする。すべて自
2024/7/8 友達と蕎麦を食べに行った。とろろそば。そのあと地元の公園で、川に足をつけながらあれこれ話した。 小さなことで色々と思い悩んでしまうのは、思い悩めるだけの暇があるということかもしれない。自分のやりたいこと、ありたい姿ってなんだろう。うじうじしている暇があったら、望む方向に向かっていきたい。しんどい時の経験は、自分を知るきっかけになるな。もう嫌だけど。 どんな時でも、誰といても、自分のままでいること 2024/7/9 メンタル不調。辛いので散歩をしたり缶チュー
2024/6/26 やる気がでないのはそうか、この蒸し暑さのせいか。と友達と話していて気付いた。1年のうち、調子よく動ける時期とそうでない時期があるのがなんとなく分かってきた。どうしてもマイナス思考になってしまう時も。だったらもう、そういう時は観念するしかない。楽しいと思えることにだけエネルギーを注いだほうがいい。 2024/627 自分の思う、かっこいい大人になろう、と思った。 2024/6/30 昨日、遅くまで友達と結婚観について話していた。自分の発言がクズな男そのも