私とおっぱい
朝、何気なくパジャマをまくって、自分の胸を触ってみた。
何の感情も持たずに、ただの膨らみとして、観察してみる。
おっぱいだった。
もうかれこれ20年ほど、自分の身体に存在している。
第二次性徴期の頃の、まだ硬くて、素朴だったおっぱい。
授乳時は張ってしまって、熱を持ったり、痛くて仕方がなかったおっぱい。
大きくなったり、しぼんだり、加齢や状況に伴って、一緒に変化してきた。
思えば私はずっと、自分のおっぱいに対して否定的な気持ちを持っていた。
身体の、他の部位には持たなかった感情が、おっぱいに対して、ある。
10代の頃、胸が膨らみだした。その頃の背筋が凍る感じを、今でも時々思い出す。
自分の身体が先走って、気持ちが置いて行かれている感じ。怖い。単純に、怖かった。
性的に自分の身体が変化している恐怖。生理が始まるのは怖くなかったのに、胸の膨らみに対しては、はっきりと畏怖感があった。
胸の膨らみは、他の性的な発達に比べて、他者の目にも、自分の目にも明らかに見える。それも嫌悪感の理由かもしれない。
このまま身体が成熟していって、「女性」として扱われたりするのかな。それって、なんか気持ちわるいな。
10代の私にとって、おっぱいは、色々な意味を孕んでいた。意味を持ちすぎていた。
今朝の私にとってのおっぱいは、「ただの柔らかい膨らみ」だった。
揉みしだくと、ふるふる揺れて、ちょっとおもしろい。なんだこれ、スクイーズみたいだな。それか、水まんじゅう。ウォーターベッド?
畏怖の対象で、あまり直視しないようにしていたおっぱいが、なんだかちょっぴり愉快な存在になっていた。
なんだ、この気持ち?と思うのと同時に、ああ、今まで自分の身体の中で、おっぱいがあまり好きではなかったんだな、と気付いた。
今も別に好きではないけど、まあ、時々触って暇でも潰してやろうか、くらいの感覚でいる。
やっと自分の身体の一部だと、しっかり認められたのだろうか。
エロも、成熟も、何の意味も含まず、それはただただ朝日を浴びていた。
私と、おっぱい。