いいか…慈悲を土足で踏むなよな?
4月が早駆けて、ぼんやりしていたら5月の背中がもう目の前に。半端な雨が増えてきて、それに伴って気持ちも若干落ち込んでくる。書き終わる頃にはもうとっくに5月かもしれない。これまで半年ほど続けられていたnoteの更新は、良いか悪いかは別として心の波が大きくあるが故に書けていたというか、書かされていた?に近い感覚だった。頭の中がごちゃごちゃと騒ついて、「お願いだから静かにしてくれ〜><」という半ば諦めの様な、細やかな抵抗といて文字を編んできた。コイツらは無邪気に走り回るこどもと同じで、放っておいたっていつかは自分自身で落とし所を見付けて大人しくなるんだけども、厄介なのは“同調力”(そんな言葉ないが)がとても強いのである。時に周りをも共振させるほどに喚き散らす。静かになったらなったで部屋の隅で命乞いをしている。本ッッ…当に大変面倒で仕方がない。図太く頭の中に居座り続けるコイツらが他人に迷惑をかけない様に閉じ込めておこうと努めた結果、あまりに波がなくなってしまった。心の揺れが無くなってしまった。その結果noteを書くという気力が湧かなくなってしまった。
今こうして“書けないこと”を書いているのはかなり苦し紛れで、惨めで仕方がない。それでも書くのをやめてしまう方が“書けない自分”を認めて、さらに書けなくなってしまうのではないかと恐ろしくて仕方ないのでこの様な恥辱で稚拙な文を曝け出している。情けない…。
生命が終わる音
ウソみたいだがこの書き出しの数日後、見知らぬおじさんの介抱をした。書き起こす気力が湧くほどの出来事だった。不謹慎だと自分でも思うが、私は別に聖人君子ではないので思ったことを素直に書きたいと思う。幾つか前のnoteで他人に何かを施す事について書いた覚えがあるが、自分の様な人間でもこれまでの人生で倒れた人に声をかけ続けるといった経験は、今日で二度目だった。
一度目は旧友と3人で夜の岡山の都会から、田舎の故郷へ帰るまでの車の道のりで、信号を無視したバイクが軽自動車に轢かれた瞬間に出会した時だった。友人の運転する車で、信号待ちの2番目だった…私は助手席に座っていて、談笑しながら窓の外をチラチラ眺めていて、私の左側をバイクがビュンとかなりの速度ですり抜けていった、「え?」と思った瞬間にバアァン!と音が鳴った。車内が10フレームくらい緊張して3人ともの心が(なんだかわからんがとにかくヤバい)と共振したのがわかって、すぐに車を横に付けた。バイクは文字通り粉々。本当に粉々でバイカーは仰向けでピクリとも動かなかった。私達3人ともが当たり前だが、誰も口にはしないものの(コレは死んだな)と思ったと後に話した。私はそのままバイカーの手を握り、とにかく声をかけ続けた。友人の1人は救急へ電話を、もう1人は車のドライバーの方へと散り散りになった。車のドライバーに怪我はなかったものの、心がとても揺れていて「どうしよう…人を殺しちゃった…信号は赤でした…?どうしよう…私が間違えた…?」と轢かれた方よりも恐怖していた。顔も本当に真っ白で、困惑とか動揺とかそんな生半可な言葉で表せる様な状態ではなくってもっと最悪な感じだったのを覚えてる。友人はドライバーに「完全に青でしたよ。あなたは全く悪くないですよ。」と毅然と説明していて、目の前の「あ…う…」としか喉のならない、死にかけのバイカーには悪いと思いながらも、遠耳で聞いて私も安心した。その後すぐに救急車が来て、私達は簡単に状況を説明して車に乗って田舎へ帰った。私も友人の1人もその頃はもう岡山に住んでいなかったから後日談を、運転していた1人が教えてくれた。警察署に再度呼ばれた彼がある意味面白い後日談を話してくれた。
警察の話によれば、バイカーは奇跡的に一命を取り留めたらしい。そこまでは良かった…本当にそこまでなら「あぁ…私達のした事は間違ってなかったな。」と純粋に誇れたと思う。けれども、そのバイカーは烏滸がましく、「私は悪くない」「車の方が悪い」などとつけあがり、事故の責任を全てドライバーに被せようとしていた。私はそれを聞いて「あぁ…あの時、私がそれなりに必死に助けた男は、ゴミカスだったんだな…」と思うと世の中、本当にくだらないなと感じた。私もそれくらいにはカスだが、所詮信号無視をして自分勝手に事故を起こす様な輩は、たとえ死ぬ思いをしても根底にある心は変わらないんだなと学んだ。友人は警察に「いや、車は全く悪くないです。」とキッパリ証言してくれたので、あの時人を殺してしまったかもしれないという、罪の重さを理解し、異常なまでの動揺の中で自分を省みることの出来る優しい心を持ったドライバーは、きっとなんの責任も課されることなく生活を送ってくれていると私は信じている。そうでいてほしいと私は願って祈っている。
あの時、心を揺らすほどの“人が轢かれる瞬間の音”は、哀れなバイカーの人生の終わる音だった様に今は感じる。
二度目の音
人の肌に手で触れる瞬間、その皮膚の下に流れる血脈の熱が生命を訴えている。まだ終わるまいと、細胞が喚いている。
街はGWで駅はひといきれ。仕事終わりに1人歩く自分はみじめだな…なんて悲観し、疲れた〜…この角を曲がればもう家だな、なんてコンビニの袋を下げて歩いていたその時、20メートルほど先に遠目で男が倒れるのが見えた。「ありゃ、コケたのかな。」なんて思っていたんだけど、どうやらそれだけではないらしかった、倒れたおじさんの手足はピンと硬直して痙攣していた。この瞬間(あぁコレヤバいヤツだわ…)と内心思って駆け寄った。近所に住んでいるであろう奥様達2人組が「え?あ、」なんて狼狽えてるのを横目に「救急車は僕が呼ぶので」と声をかけて駆け抜けた。50代くらいのおなかのおっきなおじさんは、痙攣しながらぶくぶくと泡を吹いていて、目はパチパチしているがイビキの様な「ぐるるる」と喉を鳴らしていた。まだ手足がピンと伸び、痙攣していて、後ろに倒れたので頭を強く打ったらしく地面にはピンクに近い赤い血が広がっていた。おじさんの手を握りながら救急に電話で簡単に説明した。「到着まで出来ればいてほしい」と言われたので「かしこまりました」と返して電話を切った。この時の電話がとてもスムーズに出来たのは、コールセンターで働いていて良かったな〜なんて思ったりするくらいの余裕があった。
電話を切る頃には、手足も力が抜けた様子で呼吸も落ち着いてきていた。手を握ったままおっきなお腹を撫でて「大丈夫ですよ。僕がそばにいますからね。ゆっくり呼吸してください。安心してくださいね。救急車がもうすぐきますからね。」なんて子どもをあやす様に声をかけた。だんだん自分のコンビニの荷物が気になってきて、ご近所の奥さん達に「ちょっと観ててもらっていいですか、荷物置いてくるので」と無責任なことを言って走って家まで帰って、家に入った瞬間「めんどくせー」と本音を吐き切った。サイテーかもだけどずっと今日は嫌な予感がしてたから「あーもうやっぱりな〜…」なんて負の感情を家の外に出さない様にしたかった。荷物を全部置いて、捨ててもいい古いバスタオルを持って現場に戻った。少し人だかりが出来つつあったが、誰もおじさんに近寄ろうとはしていなかった。走る僕に「救急車よんだ?」なんて声をかけてくれる人もいて、「ええ、もう呼んであるので安心してくださいニコニコ」なんて笑顔振り撒き返したが、今思うとこの小さなコミュニティでのイレギュラーな出来事に、地域そのものに得体の知れない不安が広がっているんだなと心が感じ取ったのか、普段より無駄に和やかな雰囲気で人と接していた様に感じる。
不安を気取られない様に堂々と凪の様におじさんに触れて、言葉を掛け続けた。「頭痛いですか?少し上げられますか?」と声をかけるとフと首が浮いたのでバスタオルを差し込んだ。おじさんはちょっと眠そうだった。目は空いているが、イビキをかいていて寝ちゃいそうだな〜と内心怖かった。救急から折り返しの電話がかかってきて、「少し時間がかかりそう」と続けてまっすぐに「呼吸が止まったら、電話ください。」と言われ(あぁ止まるかもしんないのか…)と再認識した。
近所の人たちに「知り合いの方いますか?どなたかわかる方いますか?」と聞いても知らない様子で、サイレンの音が遠く聞こえてくると、救急車の誘導の為に走り回ってくれる人もいて、私の言葉のひとつも聞こえているかもわからないおじさんに「良かったですね。みんな優しい人ばっかりで。」とわざとフックになる様な言葉をかけた。場所や時間が悪ければおじさんは野垂れ死んでいたねと含みを持たせた。私は悪い人間だと思われても別に構わない。多分おじさんは脳に何か問題があると思う。そう長くないかも知れない。けれどこの小さな地域があなたを助けようと意識を集中させたことを忘れてほしくない。感謝するべきだし、それをまた誰かに返すべきだと私は素直に思う。冷たいかもしれないが、他人同士だからこそ、迷惑をかけた事を申し訳なく思うべきである。社会に生きる者として、目の前の困った人を助けるのは当たり前である、けれども助けられる事を当たり前だと感けてはいけないのだ。救急隊員は仕事だから親切なわけではない。親切な思慮深い人が救急隊員なだけなのだ。
ずっとそばにいてくれた奥様達は「手際も良くて、素晴らしかったわよ。」「素晴らしいわ」と絶賛して褒めてくれた。「いいえ〜ただそばにいただけですよ〜さようなら〜」なんて急に小っ恥ずかしくなっちゃって走って家に帰った。玄関を閉めた後、爆裂ため息をついた。ドアの閉まる音は、私の人生を表している様に感じた。
スッゲ〜爽やかな気分だぜ〜
誰しもが一歩家の外に出れば、誰かに迷惑をかける可能性がある事を知っていてほしい。他人から慈悲を受けたいのならば、我が他人に心を傾けるべきである。バイカーの様に他人の慈悲を土足で踏んで、汚しても構わないという様な生き方は私は否定したい。くだらない生命ならあの場で捨てておくべきだったと後悔すべきである。
愚かな私は、恐れ踏みとどまって捨てきれなかった生命を、他人の為に使わなければならないと誓いを立てた以上、出来得る限りの奉仕をしなければならない。これは何度も言っている事だが、「こうあるべき」とか「である」とかそういう決めつけの強い言葉は使わない方が良いに決まってるんだよな…それでも私は私をずっと許せずに毎日を過ごしている。知らないおじさんは見過ごせないのに、一番良く知る私自身をどうとも思わない。他人がかけてくれる慈悲でのみ、生かされている様に感じる。つまりそれが無くなってしまったら…私は…あのバイカーの様に、おじさんの様に、声も出せぬまま野垂れ死んでしまうのだろうな…。と少し恐ろしくなった。でも人を助けた後のタバコがこんなに清々しいなんて知らなかった〜スッゲ〜気持ちいいぜ〜。
そんな4月も終わる。5月はもう少し優しく生きたいよ…ネ。
吉川 れーじ