大人から教わるお手本は美しく
朝雨の薄寒い電車の陰鬱さたるや、何にも代え難い苦痛がある。水溜まりを踏んだ靴に自分を重ねて、いっそ脱ぎ捨ててしまいたいと稚拙な感情に支配されそうになるが「流石にそれは…」と大人の理性が嗜める。他人に対するコンプレックスは年々増大していくばかりで、時より湧き出すポジティブな感情はあまりに持続力がなく、所詮は足を一歩前へ進めるだけに止める。だがここ最近、20年来の忌々しい精神病の一つを僕は打ち払うことができた(ヤッター)んだが、鬱は日に日に酷くなっていっている(オエー)と感じていて、ただ前回と比べて理解度が高まっているおかげか「当たり前の様にオレからやる気をそぐんじゃねーよ…まったくよ〜」てな程度で受け止められていて、やっぱり自分自身で経験したことに勝る事はないなぁ…と痛感している。それ故にこれまでの人生でダラダラと自分なりの方便を垂れてきたが、それが関わってきた殆どの人にさほど影響を齎す事は無いのだろうな…ともすこしガッカリしている。いや、最初からそこまで自分に影響力があるとも思っていなければ、失望するほど過信もしていないが、この先いつか自分の死が満ちる時、そこからこぼれ落ちるモノは、誰の手に残るでもなく「は?何言ってんの?」と言わんばかりに、当然・必然に透り抜けて消えてしまうのだろうなぁと、ぼんやり理解した。
表面張力
他人の思念が流れてきて、まとわりついてくる感覚はなんらかの精神病者なら理解できるだろう。そうでなくとも、現代は人の距離がすごく近い様に感じる。否応もなく、名も知れぬ人の罵詈雑言が生活のあちこちに点在していて、繋げばきっと死兆星だ(チガウ)右も左も溺者ばかりでキョロキョロと傍観しているうちに、いつのまにか自分の喉元にまで水は迫っていて、気付いた頃にはもう遅く、自分もまたそうした負の感情にのまれ、哀れみの眼差し注ぐ溺者の1人となってしまうのだ…そんなの恐ろしすぎじゃんね。ただそれ以上に恐ろしいのは、そうした“いき苦しさ”に終わりが見えないことだ。ふと自分がこぼした負の言葉の水のほんの一滴が、誰かの精神の表面張力を崩す一滴になり得る事を、僕らは重々理解しなくてはならない。精神を壊す要因は環境であり、個人でもあり、そのどちらでも無い一見すると無関係の水の一滴でもある。なんにせよそのどれにもならないようにしたいよ…オレは。
手向の言葉
92年製のハンディカムを譲ってもらった。その方の亡き義父が使っていたものらしく、30年前のものとは思えない程美しかった。ACアダプタで給電すると、しゃんと起動した。よ〜しいざ録画してみるかとウキウキでHi8のテープを入れた瞬間、糸が切れたように電源が入らなくなってしまった…トホホ。
状態から見てもわかるように義父様が大事にしていた事を、きっとこのビデオカメラも覚えていて、生命維持装置を最小限のエネルギーで保持し続け、ひとめ最後に愛しい人に会いたいという一心で、義父様を健気に待っていたんだと思う。それなのに長き眠りから覚め、朧げな欠伸の向こう側で、見ず知らずの男がいたら驚くに決まっている。大変恐ろしい思いをさせてしまって、とても申し訳ない気持ちで僕の胸はいっぱいになった。寂しいがもう2度と目覚めることはないだろう…電源が入らなくなる瞬間、回路の焼けるにおいがした。それは生命が燃え尽きる瞬間の匂いかも知れない。もう確かめようがない。もう世界に数少ない新品のHi8のテープは、せめて吐き出して欲しいものだが…でもまぁそれが最後の晩餐か、と思うと冥土の土産にはうってつけだったかも知れないなぁなんてバカみたいな事を本気で思っている。くだらないな…。
新しい風
上述したハンディカムCCD-V800を亡くしてしまってとても落胆していたが、どうしても諦め切れず、探していたところ別のハンディカムを手に入れる事ができた。CCD-TRV211。同じSONYのハンディカムで、大変美しい黒く艶やかなボディ。この当時のモダンなデザインで側面には液晶モニターが付いていて機能美も備わっている。手に触れた瞬間に「あぁコレだ…」と僕の心は鳴った。
TRV-211の中に前の持ち主のテープが入っていて、「上書きすれば使えます」と書いていた。本来こういうモノは不可侵領域で、観るべきではないとわかっているが、「30年ほど前にニューヨークで買った」とあったので、その頃のアメリカを見ることが出来るのではと、ほんの興味本位を“再生機能の確認の為”と自分に言い聞かせ、再生ボタンを押した。(スマン)そこにあったのは、前の持ち主のご夫婦がアメリカに住んでいた頃のホームムービーで、日本に住む友人へ向けてのテープだった。「駅から坂道を登って、この角を曲がると〜…」という様な、家までの案内と素敵な住まいの紹介だった。手入れされた大きなお庭、しっぽを振る犬と優雅に歩く猫。沢山並んだ難しそうな本や、いかにも高価そうなアンティークの置き物。旦那様の仕事場の様な書斎は「あぁ聡明な方だったんだな」とわかるほど、美しかった。最後は奥様がにこやかに「待ってまーす」と仰ってテープは止まる。この映像の中には90年代に生きる彼らがいて、それを今を生きる僕が上書きしていかなくてはならない。ほとんど使命のようにそう感じている。それはプライバシー的な観点からというだけでなく、約30年の時を超えてこの手に託されたモノ・コトの意義や意味を深く重んじているからだ。僕のような不出来な人間が地球人類の為に、後世へ“何か”を残す事は大変難しいと感じていて、その何かとは一般的な“幸せ”と呼ばれる結婚や子孫だと僕は思っていて、それが手に入らない事がもうわかっているだけに、それ以外で少しでも他人の為に生命をつかう必要があると盲信ている。僕はそれこそが人間讃歌であると知っているから。そして有難いことに、僕にも何かを残すチャンスが回ってきたのかも知れない。それは一般的な幸せとは違うかも知れないが、ビデオ文化やハンディカムの様な亡びゆく文明の儚い美しさはきっと誰かが残さなくてはならない。別にそれは僕じゃあなくたってかまわない。僕じゃあなければならないわけでもない。でももしかすると僕であっても良いのかもしれない。ならばその可能性の1ミリの糸にでも縋り付いて生きる意味を見出したい。紡いで生命の布にすべきである。編んであたたかく包むべきである。どんな理由かはわからないが、30年前アメリカにいたご夫婦の映像の中に子どもは映っていなかった。けれど同じ時代にちょうど生まれた僕が、今こうしてそのカメラを手にしている。そこに確かに意味は存在する。
さいごに
優しい人たちの言葉や態度に包まれても、いわれのない疎外感を何故こうも感じているのか、全くもってわからない。精神を病んでいるからなのか、生まれ持っての性格なのか、産まれる前から精神を病んでいるのか…なんにせよ正常な心を保つ為には、異常な自分を認める以外に方法はないのだ。ポジティブな気持ちを持続させなければ、今の現代で自由に生きるのは“大変滅茶苦茶大いに相当”難しい。だからとにかくカメラを持って家の外へ出てみたいと思う。マニュアルにも書いてあったように、歩きながら僕が住む街をとにかく撮ってみたいと思う。明日は休みだから。
吉川 れーじ