ア ム リ タ 温 泉 に 浸 か る 。
吉本ばななさんの「アムリタ」という小説。
上下巻あるこの小説は、ずっと、わたしのお守りです。
いつでもこの世界にいける、と思える安心感。
いつでもこの小説の中の人達と会える、と思える安心感。
なんだか、ほっ とするんです。
わたしはこの小説を、数ヶ月前から、かばんに忍ばせていました。
病院の待合室、歯医者の待合室、銀行で手続きを待ってる時、隙間時間にちょこちょこ読んでいました。
もう何十回と読んでいるこの小説を。
ばななさんの小説は、とても不思議で。
読んだら、忘れてしまうんです。内容を。
すぐに忘れるのではなく、いつの間にか忘れている。
なんだか、さらさら~っとした、砂みたいです。
良い意味で忘れます。
なので、何回でも読めるという。
これを意図して書いているとしたらばななさんはすごすぎますが・・
どうなんだろ。
だからわたしは「アムリタ」を、いつも、その時々の自分で感じて読んでいます。
そして今回、いまこの時読んで、いまの自分に響く言葉やシーンがたくさんあったので、ここに記して残しておこうと思いました。
まだ、上巻の後半のあたりですが・・
気になるページをメモしていたら、あー どうしよ。いっぱいありすぎるわ・・ てなっちゃって、ここに書き留めたくなったんです。
わたしは今、アムリタの世界、「アムリタ温泉」に浸かっていて、とてもしあわせで。ぬくぬくで。この世界がほんとうに好き。
そんな気持ちをここに落としておこうと思います。
引用が多くネタバレしすぎになると思うので、これからアムリタを読もうとたのしみにしている方は、この先は読まない方が良いと思います。自分のメモ的記事ですみません。
では、いってみます。
* * *
アムリタは、いちど頭を打って記憶を無くしたことがある朔美という女性が主人公で、朔美のまわりには、恋人の竜一郎(妹の元彼)がいたり、個性のある母がいたり、なにかしらの能力を持った歳の離れた弟がいたりします。そして、母の友人やいとこが同居する家にみんなで住んでいて、家に住む家族のような集合体の皆にそれぞれなにかしらの出来事が起きたりして物語が進んでいきます。そして、このお話の背景に、妹の自死があり、うっすらとベースになっているような気もします。
このお話を読み進めるなかで、自分の印象にのこった箇所を抜粋して感じたことなど、感想を述べていきます。
私がこの箇所で好きなのは、後半のところ。
皆が欲しいのは「強く金色に光るイメージ」。というところが印象に残った。決して手が届かないところにある金色の光るもの。。
それは、幸福についてたずねてるうちは逃げて行き、お酒を飲むと近づいて手に取れそうにみえる。という表現もとてもリアルに思えた。
ほんと、そんな感じなんだろうな。
自分に置き換えてみると、恋愛をしていると、手に取れそうに思える時がある。このドキドキ感とかが幸せってやつなのかなって思いそうになる。でも、実際は違うのかもしれなくて。単なる、寂しさを寂しいと感じなくさせる痛み止めのようなものなのかもしれないと思ったり。そして、あまりにその恋愛にのめり込んでいると、本当に大切なものを見失ってしまうような。ずっと自分をだまし続けているような。そんな気がした。
わたしは、自分にとっての「強く金色に光るもの」が欲しい。
それは、自分にしか分からない、自分にしか理解できないようなものでもいいと思う。それを手に入れた時に本当に幸せな気持ちになるんだろうな、充実した、満たされた気持ちになるんだろうなって思う。
恋愛は楽しいけれど、一時的なものって気がする。たまにままごとのような気がする時がある。わたしはそういう一時的なものじゃなくて、続いていくものが欲しい。本当の安心感とか・・。
この小説のなかには、朔美がバイトしているバーの店内のシーンもたくさん出てくるのだけど、このシーンも好きだった。情景が浮かぶようで。
ゆっくり溶けていくグラスの中の氷と、心のピントが合う夜と・・
この、心のピントが合う日がある、ということに共感してた。
そういう夜ってあるな、って。心がいろんなところに分散しなくて、ある一点に集中していたり。
この箇所は、いつ読んでも心に刺さり、
「ほんとそうだよな・・」と、静かに思わされる。
日々、いろんな武器を使ったり武装したりなんとか守ったりしながら、過ごしている。へとへとになる。なんとか、生きている。
息をして生きていることが、奇跡なんだ。
ロマンチックな表現。朔美は頭を打ってから、竜一郎に会い、そのときの勢いというか成り行きで一夜を過ごす。この箇所の「刻み込まれた」というのが心に残った。で、成り行きとか流れとかでそういうことってあるよねっていうリアルな感じも共感した。
ここを読んでいて、わたしも、今恋愛中のKさんの良いところを思い浮かべたりしてた。仕事中も普段もにじみでてる上品さのようなものとか、まつげが長い横顔とか、仕事中は制服だから仕事って感じなのに私服だとちょっとかわいくなっちゃうとことか、笑うと目じりに寄るしわだったりとか、乗り慣れてない車で慎重にバックしてるとことか、そういうの見てる時、愛しいなかわいいなとか思ったりする。けれどもその反面、喜ぶかなあってしてみたことに対して何の反応もなかったり、ふとした時に淡泊に言葉を返されたり、答えたくない事にはお決まりの自然なスルーを決めこんでみたり、自分の事を全然話さなかったり、レストランなどで料理に関して少し感じ方が厳しめだったり・・、みたいなところを見ると気持ちが萎える。無理かもっていつも思う。
でも、ばななさんのこの箇所にある「生き生き」っていうのとか、不完全なひとりが不完全なひとりを受け入れる苦しみ、っていうのはすごく共感するところで、自分とKさんもそんな感じだなって思う。
思うからこそ気持ちが大きく揺れてしまうのだろうし。
* * *
上巻を読んでるときにぴんときた箇所はまだまだあって。
ありすぎたので、長くなるだろうな・・ と思い、一旦このへんで止めてみました。続きは同じタイトルの「2」とかにして、書こうと思います。
アムリタを読みながら、今の自分を見つめる、みたいな感じになってるんだよね。今読めて、良かったです。
タイトル画には、みずたまさんの「元気になるお薬袋。」という絵をお借りしました。いつもありがとうございます。自分にとって、小説も、絵も、元気になるお薬袋のようなものだなって思います。
つづく。
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