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ゴールデンカムイと「敵キャラクタの概念」について

ヘッダ写真をお借りしています。ゴールデンカムイを読み終わって、やっぱり尾形みたいな敵は許せんと思った。

読む必要はないですが、ぼくは折に触れてゴールデンカムイが好きですよと書いております。それは今もそんな変わらない。

そしてぼくはもともと、例外なく敵に愛着を持つ文化と真っ向対立していました。

対立と言っても、もちろん何かしらゲリラ活動的なことなんてするわけがない。Twitterとかで嫌いな敵をくさす草の根活動みたいなことをしない(そんなことして当該キャラクタを嫌うような単純な脳を持つ人なんているのか?)。ぼくはインターネットを使って戦うことほど無意義なことがないと思っているためです。

この文も、アウトプットして何か得られたらええやんけ以上のことを考えずに書いています。

インターネッツで戦うことほど無益なことはない

そのため取り得る行動としては、せいぜいそういった「敵を好きになる、愛着を持つ」ような文化は見ないようにしよう、という程度でしょうか。交わらなければ軋轢は生まれません。

わかりやすいところではおにめつで鬼舞辻無惨なんて好きにならねーよ、感情移入なんてしねーよみたいな心構えがありました。

好きな人に「するな」とか言っているわけではありません。どうか好きでいてください。。そのほうが集英社が儲かるはずです。取ってつけたように言いたくはないですが、ぼくはおにめつも好きです。

ゲームの敵は集金テコ入れ用装置として設置される

前回は(あまり前回的なつながりもないですが)例えば現代のオンラインゲームは基本無料なため、ユーザをいかにドバっと集客するかが課題になるため、定性的に定量的に季節ごとのイベントが開かれると書きました。

季節という言い訳を根拠にして、本来違和感のもとである特別な装いをゲーム内に滲み出させる。普段そんなことしたら「勝手にUI改悪すんな( •᷄ὤ•᷅ )」とかしばかれるようなこともイベント中なら「限定機能」とか言っていくらでもできる。

そして見たこともないような敵を乱発してやり、後でカルト的な人気でも出ればしめたものでグッズ展開ができるから、当該新規絵を発注したイラストレータに渡した金銭の回収も狙えます。

狙撃しか能がないくせに調子に乗るな

尾形もそうでしょう。

何もゴールデンカムイに限った話ではなく、キャラクターコンテンツだったら全部同じといいますか「それ(キャラ集金)ぐらい抑えないでそんな産業に携わるんじゃねえ」と言われてしまうぐらい、業界内では当たり前なことのような気がする。

ただぼくは幻想をひとつ抱いており、こと漫画については作者はそんなことは考えていないでくれているだろうというものがそれです。

つまり後でグッズにすることを見据えたキャラデザなんていう「物語上、なんの説得力のないこと」を作者はしないでくれるものだろう、という性善説のような信頼です。

そして後から、まるでその敵の動機を正当性あるものとでも形容したいような裏事情を話されても何の同情もできない。むしろ同情に至らなかったことでその話と正しく向き合えたようにすら思える。

例えば尾形について極端に述べれば、安全圏から高台を探すだけであり地道に地表をあるいている主役たちに比べて圧倒的優位性がある。極端にお話しているので、同情の余地なんてないキャラであることが浮き彫りになりますね。

ほかにゴーについて書いたものをいくらか紹介してまた明日……


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中村風景
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