笑顔咲くワイ将とあじまってたい
グラン・トリノを見終わっていろんなことを考えています。ヘッダ画像をお借りしています。
今日はウォルトというカス、タオという(周囲の悪影響で仕方なくごくごく消極的に)カスになりつつあった子供、スーという「聖人なのに世界中のカスの攻め手を一気に被害として受けさせられる女」、という結論にしようと思ってしました。
つまり、イントロではカスだったウォルトとタオがカスではなくなる話だ。そりゃ見た人ならわかると思うけど、いかにしてウォルトがカスではなくなるかといえばまさに自力でそうなっていったのであり、タオはウォルトのちからでカスではなくなっていった。どっちかというとぼくの中でタオはカスではない。だが対の主人公と考えた時に整合性を持たせるためにそうした。日本人が好きそうな仕草で我ながらなんかなと思う。ぼくはこのとおりバーチャル世界にしか生きていないので
いや、言ってしまえばウォルトも無理矢理に隣のフン族みたいな連中、主にスーの信じられないぐらいのお節介を受けた結果、少なくともすれ違った若い女ぐらいになら暴言を言わずナンパするぐらいの軟派になった。流石にこれは見逃せないか……やはりスーがキーパーソンなのか。といいますか……スーはウォルトを救い、自らがレイプされ、それだけでなく暴行まで受けて、新しい環境の一員として独立し始めていたタオを激昂させ、ウォルトにあの決断をさせた。
でも決してスーがでてこないほうが良かったとは思えないわけです。ぼくはウォルトとタオがグラン・トリノのW主人公であると断言したが、スーはやっぱりこの二人の支えである。ウォルトの心を氷解させ、それがタオの独り立ちにつながる。
となると、やっぱりウォルトがその決断をした場所がどこだったのだろうと考えてしまう。ウォルトはいつもいつまでも強気だった。それが崩れたのがやっぱあのかかりつけ医がいなくなり、よくわからん(ウォルトは朝鮮で人を殺しまくったからなおさら)アジア系の美人女の医者に変わって、一切なんの示唆もされない問診票みたいのが視聴者の前には提示されたところではないだろうか。
これ監督うまいといいますか憎らしい~~~~~~~~~と思うんですが、クリント・イーストウッドが監督もですかね、視聴者にどんだけ血をはいたウォルトの具合が悪いのかを紙面で明かさないわけです。それで意味深に表示するだけで、その後のウォルトはまさかそんなことするわけねえだろという行動をとる。あんなに毛嫌いしてた子供に電話をかけることですね。
ウォルトの子供はなんかしらんが家でまたクソみたいな営業先のリストアップみたいなことを休日なのにしていて、また汚い金で私腹を肥やそうとでもしているのか。そんな不法行為をやってんのに、おやじからの電話を心底うざそうに受け取る。そしてウォルトは自分の病態がどんだけオワなのかを言えないで電話が終わる。おまえたちは元気か、とだけ聞いて終わる。
なんならその前に、またこの子供の奥である女がウォルトを施設に入れようとして休日にやってきてカタログをウォルトに見せる。あのウォルトの前にですよ。そこでどんだけウォルトが激昂したのかは語られず、この腐れ夫婦はうんざりしながらウォルトの家をでていき、わざわざ休日に来てやったのになどと腐れ外道らしい腐れせりふをはきながら帰っていく。
そんな事があった矢先のこの電話である。ウォルトは自分の人生に安らかに(安らかな死ではなく)死が勝手に一方的に訪れたことをまざまざと知ることになり、体感した。
ぼくはウォルトがあの決断をしたのがここ……といいますか、スーがあの最低国のごみ共にレイプされ暴行すらされたあと、その落とし前をどうするかの理由にこれを使ったのではないかと考える。もうこの国の文化は俺の常識が通じるところからは逸脱するとこまで来てしまったのだ、と。
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