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ある米兵の倫理観

アメスナの感想の続きを書いています。ヘッダ画像をお借りしてます。

クリスはクソつよスナイパーであり、米兵からしたら英雄で敵からしたら悪魔なんだけど、
なんだか知らねえが米兵にはそのような強さがあり、
しかしその強さの代償に人の心をどれだけ失っているのかもしくは戦場という異常事態下における人の心を保とうとするあまりに、敵たる人を殺しまくらなければ自分たちが死んでしまうという使命感で当来の「人」の部分をカヴァーしようとすると、
周りから見たら余裕で人ならざる者になってしまう、

的な側面があることは今日起きた事件からも丸わかりであり、

知らない国にならどんな危険かもわからん有毒剤を流しても何の罪悪感もないし、

手放しに米兵ゴイスーという意見をアウトプットするのは非常に危険であろうと思える。

つまりメリケン兵隊はメリケン人以外を人間だと思ってないのかも知れないということだ。

そのように扱わないと命を狩られるのはこっちである。日本という過酷な駐屯地(戦争が起きてるわけでもない日本で何が過酷なのだ?)で、ストレス発散や正気を保つために日本人の少女をレイプしたとてなんの罪悪感も持たない。

性具として国籍が違うだけの国境線の向こう側にいる人様を扱ってもいいと思っているのだろう。

さすが分断の国にいる生き物だ。

それを踏まえてアメスナについて回想する。前回はこのようなことを考えた。うちに住んでいるお嬢に解説してもらう:

アメリカン・スナイパーとクリント・イーストウッドの魔力

この映画には二人の銃的な悪魔がいて、3人目の単なる悪魔が監督のクリント・イーストウッドなのよ!クリント・イーストウッドについて語りだすと長いの。でも彼がどれほどGorillazのクリント・イーストウッドをカスいと思っていても、それはもう仕方ないわね。

映画『アメリカン・スナイパー』

映画の題名はアメスナ、正式には『アメリカン・スナイパー』。クリント・イーストウッドがクリスの無念を書いたのか、戦争にとらわれるとそうなるよ、が言いたかったのかしら。私が映画監督に憧れる理由は、映画一本作ればそれについて説明する必要がないこと。映画に関わった全員の努力を無駄にしないためにもね。

スティーブン・スピルバーグとの比較

スティーブン・スピルバーグも映画界の巨匠。彼は2005年に『ミュンヘン』を作り、イスラエルにもパレスチナにも批判されて痛々しい経験をしたわ。イーストウッドと比べるわけじゃないけど、両者は大違いね。

イーストウッドの映画

イーストウッドはマジで会ったら嫌悪するタイプの人間かもしれない。彼が書く内容は凄まじく、彼自身が役柄で登場する時も全員嫌いになるの。それが彼の魅力でもあるのかも。例えば、『運び屋』や『グラントリノ』。どちらも内容自体は素晴らしいけど、人を選ぶ映画かもしれないわ。

日本での評価と北野武との比較

日本人はイーストウッドに対して無条件に賛称するバイアスがあるんじゃないかしら。まるで北野武のように。でも私は日本の映画では北野武しか見たくないくらい北野が好きなの。それは過去の感想文でもわかるはず。リンクを貼りたいところだけど、noteという媒体はSNS的に見るとカスいSNSよりもさらに下位にいるから、あまり貢献したくないわ。

グラントリノと北野武の通底感

グラントリノについては5回くらい感想文を書いたわ。それだけ思い入れがあるの。市井の常識は知らないけど、グラントリノで感じた北野武との通底感が、アメスナで確信に変わったの。でもその詳細はまた次回ね。アメスナの悪魔についてもまだ書いていないから、それも次回のお楽しみよ!オーッホッホッホ!


以上だ。このため悪魔について書いた。クリスは実際ペーパーカンパニーみたいなものを持ってんじゃないのとか他にもいろんな真偽があやふやなエピソードがあるっぽい。悪魔はいろんなとこにあらわれるな。

クリスがおかしくなっていくさまをイーストウッドが書きたくて仕方なかったんだとしたら、これは単なる戦争礼賛が書きたいわけじゃなかったんだろうことは痛いほどわかる……んじゃないだろうか?

でもガチで途中までは戦争礼賛でなんたらタワーの復讐には正当性があるよ系の映画に見えていた。序盤のクリスなんて女とやりたいだけのいつまで経とうと成功なんてしなさそうなクソカスにしか見えない。

平成にもなってロデオに優勝してもらったベルトをつけて女を住まわせてる家に帰ったら知らない野郎とハメ合ってて激昂して野郎を叩き潰そうとして野郎も野郎で女に連れ込まれただの異様な正当性を持ち出そうとしてこれが自由の国アメリカか?

だから他国の未成年は平気でレイプするのか?と思わされる。そもそもレイプに関する感情が日本と大きく異なるのかもしれないな。とも

それがよくわからん義勇感でSEALDsに入ってからは帽子とあごひげがトレードマークになっちまって別人だ。そういう「無慈悲な時間経過」による落差、な表現もイーストウッドおよび北野に通底するところなような気がする。

あと上げ下げしすぎる浮遊感が凄まじいところ。せっかくなので明日はそれを話そう。クリスがガキをぶっ殺すシーンが序盤にあり、大半の人はそこに何らかの印象を持つだろうが、ぼくが一番おもしれ~~~と思ったのは2回目にガキを殺そうとするシーンだ。

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