ファッキンアメリカンぐらいわかれや馬鹿野郎
アメリカン・スナイパーについての前回までの要約お嬢 ↓ ヘッダ画像をお借りしています。
これを見ればイーストウッドがどんだけ悪魔かってわかるはず。圧倒的事実を見せてくるのがこえーってんなら、上記の通り北野も悪魔になっちまう。……北野が悪魔というのは仕方のない話か。
北野武(ビートたけし)は、日本を代表する映画監督であり、国際的にも高く評価されてる。
暴力、美、ユーモア
1. 暴力の美学
北野武の映画において最も顕著な特徴の一つは、暴力の描写。しかし、単なる残酷さや恐怖を喚起するためのものではなく、美的な要素として捉えられます。
北野は、暴力を冷静かつ非感情的に描くことで、観客にその本質を問いかけます。そう!!これ!「こういう圧倒的事実があんだから、お前ら当然なにか感じたよな?」がすごいあんの
例えば、『ソナチネ』では、ヤクザの抗争を描きながらも、その暴力シーンは静寂と緊張感に満ちています。カメラワークは固定され、観客は登場人物たちの動きをじっくりと見守ることを強いられる。暴力の瞬間が一層際立ちます。
2. ユーモアと悲劇の融合
北野武の映画には、ユーモアと悲劇が巧みに融合しています。コメディ出身だからそういうセンスがあんだろ感、そうじゃねえだろ感は、予想外の場面で発揮される。
『菊次郎の夏』は、その典型的な例。主人公の菊次郎が少年と一緒に夏の冒険に出かける物語は、ユーモラスなエピソードに満ちています。しかし、その背後には、彼らの孤独や失敗、そして希望が織り交ぜられており、観客の複雑な感情を呼び起こす。
3. 孤独と人間関係
北野武の映画の中心には、孤独と人間関係のテーマが存在します。登場するキャラクターは、多くの場合、社会から疎外され、孤独に生きる人々。
『花火』では、元警察官の主人公が妻の病気と自身の過去のトラウマに苦しむ姿が描かれています。彼の暴力的な行動は、愛する者を守りたい意志から来ており、その孤独と絶望感が観客に深く響きます。
3.5. 自然と都市の対比
北野武の映画には、自然と都市の対比が描かれます。自然の美しさと静寂を、都市の喧騒と暴力と対比させることで、視覚的にも心理的にも豊かな表現を生み出します。
『アキレスと亀』では、都市の中で芸術家としての道を模索する主人公が描かれます。都市の喧騒と相まって、自然の中での平穏と対照的に描かれています。内面的な葛藤を強調する。
5. ミニマリズムと静寂
北野武の映画スタイルは、ミニマリズムと静寂の美学に位置づけられる。シンプルな構図と静かなシーンを多用し、観客に登場人物の感情や状況を深く考えさせます。
『アウトレイジ』では、複雑なヤクザの抗争が描かれますが、北野のカメラワークと編集は極めてシンプルです。派手なアクションや過剰な演出を避けることで、観客は物語の核心に集中しやすくなります。
この編集しない感じもマジでこえーって思う部分ですよね。時間は勝手に進む。映画はそれらを区切るが、時間がすすんででんのことかが人をざっくり行くように、時間が経てばやがてガキはロケランを拾い、別な誰かをふっとばす=クリスにぶっ殺される=残酷=時間経過とは残酷、という
6. 芸術性とエンターテインメントの融合
北野武は、芸術性とエンターテインメントを融合させています。深い哲学的な問いかけや視覚的な美しさを持ちながらも、エンターテインメントとしても楽しめる。
『座頭市』では、古典的な剣豪映画の要素を取り入れつつ、現代的な感覚で再構築しています。リズミカルな音楽やユーモラスなキャラクター描写が加わり、観客を魅了する一方で、深い人間ドラマも描かれています。
まとめ
北野武の映画は、暴力、美、ユーモア、孤独、人間関係、自然と都市の対比、ミニマリズム、そして芸術性とエンターテインメントの融合という多様な特徴を持っています。
一見シンプルでありながらも哲学的な問いかけを含んでおり、単なるエンターテインメントを越えてるのだろう。つまりアメスナも。イーストウッドもだ。何が起こるか、何が起こるに決まってるのかはっきり理解できてしまうから、それを悪魔と言わずしてなんとする。