あの子のことが好きじゃないのは お里が知れた単語を下品に使うから
画面を見てたらホアキン・フェニックスが出てきたので「はい?」と思ったら、ジョーカーの続きを作ってしまうらしかった。ヘッダ画像をお借りしています。
ぼくはかつてジョーカーについて今年最強の映画だと褒め称えた。ちょうど八ヶ月と13日ぐらい前に言ったのでそりゃ当たり前(その年に初めて目にしたメディアだから)なのだろうが……
ホアキン・フェニックスと監督を褒め称えに褒め称えた。かつてあそこまで映画の感想を書いたことがあっただろうか?たぶんグラントリノとかパルプ・フィクションとかの他にないだろう。そしてそれぞれが回数別とか文量とかたぶん同じぐらいです。全部一列に文字を並べたらですね。この3つがさぞぼくの印象に残ったのだろう。だが、この機能超嫌いなんだけど、より多くの方に読まれた映画の感想はレナードの朝とマイインターンがつながってるね!的な文だったらしいとここのサイトの機能が言っている。人にどんだけどうリアクションされたのかいちいち教えられたら、そっちに迎合するだけのつまらない文になっちまうだろう。
もっとも、読者の中には「よしよし、俺がリアクションしてやったのと同じ傾向の文をまた書いているな」というような「飼いならし感」をこのサイトに求めるケースもありそうであり、そういうことを感じたり、それを相手に押し付けたり、押し付けられたりされる人がこのサイト内にいんのかなと思うと大変そうだね、と思う。
なぜこんな普段なら絶対言いたくないようなことを言ったかと言えばジョーカーがそのような内容だったからです。人の目をきにして、といいますか無理やり気にさせられながら生きるしか許されなかった。だから殺した。ジョーカー お母さん で検索するといいでしょう。全然よくないけど
クソリーマンを殺しクソ同僚を殺しカス司会を殺した。その過程ですべてを捨てたらジョーカーになれてしまった。望んでなったのか違うのかどうかもわからない。そして、そんな事実があるのかないのかもわからない、という理解をしてやるのがマーベル?ファンに配慮するといいらしい。あまりにもくだらない。
もともとぼくは「そもそも物語であり、さらにその中でも実際にあったかなかったのかわからない描写」みたいなものがクソ嫌いで、そのような文を書くやつはマジで読者の信頼を損なうだけでしかないと捉える。読者はお前の文を信じて読んでやってるのに、そこで書かれたことが実際には起きてませんよ~~~wwwとか言われてみろ。な……何が面白いわけ?その描写をするまでお前が必死に書いてきたことが全部無駄になるだけだけど……?と。
だからこの、ジョーカーが母さんと別れ、車の上で自由に放火してたと思ったら鑑別書みたいな最後の場所に移動しちまったまでの間にあったことはなかったこととする理解ができるだのどうだのいう見方があるそうだ。なんてくだらないのか……
ぼくの中ではジョーカーの最後は精神鑑定士を足首で絞め殺して脱獄して看守をぶっ殺して終わる話だ。それ以外の見方ができるのなら教えてくれ。
つまり、すべての人を殺しジョーカーになって覚醒したことが嘘だったとしても、精神鑑定で何らかの意味を見出すため(周囲の奴らを殺しまくったことを伝え、自分に不利になるに決まってんだから異常者認定を狙うためなのか、厳罰を望んだのかすらわからんことになり、そのように見える脚本をわざと書いたのならすごいことだ)に言ったただのでまかせがジョーカーの正体だったんだとしたらあまりにも悲しい。
だから続きが来たことは一定の喜びがあるはずだ。ジョーカーがいた世界は正しいものであってくれとぼくは願った。ジョーカーと出会ってしまったらぶっ殺されるのが必至だからとても会話なんてしたくないが、アーサーの受けた地獄を救ってやれるのは(やれる、とはまた偉そうな言い方だな)ジョーカーしかいないのだ。