『たゆたえども沈まず』 光であり希望であった己の半身【読書感想文】
こんにちは、こんばんは。
今回は、原田マハさんの『たゆたえども沈まず』の読書感想文です。
ずっと読みたかった作品なんですが…なんせ厚みがあるので…なかなか読みはじめる勇気が出なかった…!
やっとやっと読めて嬉しい気持ち。ちなみに、原田マハさんは初読み作家さんでした。
『たゆたえども沈まず』は、みなさんご存知の画家フィンセント・ファン・ゴッホについて描かれた小説でもあります。
歴史上の人物を知るのに…伝記とかではなくて、小説?と思う方もいるかもしれませんが…原田マハさんはキュレーターという職業に就いていたみたいですね…
なので、美術作品にも詳しく、史実を元にしたストーリーとなっています。
結構分厚い小説なので、「おぉ!」と身構えるかもしれませんが…ただの歴史小説では無くて、美しい背景の中で登場人物たちは苦しみを揺蕩ったり、輝きを増していったり…彼らの魂と共にうごめくセーヌ川が、世界が、とても麗しいです。一気読みでした。
ちなみに私は、夜寝る前に読みはじめて、次の日早起きなのにも関わらず、最後の100ページくらい(?)は、捲る手も涙も鼻水も止まらずに、あっという間に読み終えました。
良い作品に出会えて感無量。
※ちなみにキュレーターとは…↓
わたし、実は美術館とか好きなんだ〜。
作品の裏話〜みたいな本を買って読んだり、美術館の解説を永遠と聴いていたりする女なんですよね。
今回の小説は、ゴッホ作品が描かれた背景や葛藤を知ることができて、ほくほくでした。
ね、一緒に美術館デートでもしようか?なんて。
では、あらすじから。
(※一部ネタバレがあるので要注意です。)
◇
『たゆたえども沈まず』は、ただゴッホを追っていく作品ではありません。
ゴッホに関わった弟やゴッホの画法に影響を及ぼした日本の浮世絵、それを広めた日本人画商の林忠正や重吉…と云ったように、作品の作り方や出来上がり図よりも、作品を描いた時の想い・天才画家ゴッホに成るまでの心の浮き沈み、至らなさ、人間模様、絆みたいなものの方がより濃く描かれている様子でした。
作中、ゴッホ出てくるまでにも、少々の焦らしがありますし、寧ろ、その下準備が十分すぎることで、「もしかして?もしかして?」「やっぱり」みたいな嬉しさの結びつきも感じられる。
わかってるのに、改めて知らされた時の「確信の喜び」みたいなね。よくあるよね〜。
◇
こういった、歴史上の人々のお話を読んで、改めて気づかされるのは、昔の人って結構しょうもないやつらばかりで、繊細で、呑んだくれで、すぐ病に伏したり、倒れたりする。しかし、「天才はそのまま天才である」ということ。
ハッキリ言うと、ゴッホもとんでもなくどうしようもない人間である。
けれども、心芯の部分の輝きや純粋さはそのまんまで歳をとり、それ故の生きづらさが、人を(彼を)そうさせてしまうんだろうな、とも思う。
彼は、ただセーヌと共にたゆたうように生きたかっただけなのかもしれない。
◇
小説の最後には、ゴッホは自らの画法を見出していく。
それは、手遅れだったのか間に合ったのか…
私は、間に合ったと思いたい。
常に傍にある、自分の半身というものは、近づけば近づくほど憎らしく、離れれば離れるほど愛おしい。
足元の影が繋がっていたとしても、頭のてっぺんまでを知ることは叶わない。
影が伸びて伸びて、遠くまで細く伸びていくと、一本の紐になって、手繰り寄せたくなる。その先が、どうなっているのか知りたくなる。
近づいて、大きな丸になってしまうと、影って暗くて瞳の奥が真っ黒で、何も見えない。あれ、もしかしてあなたの足でも踏んでいたかな?って、感覚さえも見失っていく様。
最後に糸がぷつんと切れて、どちらかが真っ白く、そして背景と同化して、ただの光となって見てなくなった時、はじめて自分の「希望」であったことに気づくんだ。
もうはじめから、「希望」であると互いに解っていたのならば、それはもうすでに救われているのかもしれない。
きっと必ず、最後は泣いてしまうかも。
ぜひぜひ読んでみてください。
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