漱石の迷走と救い_近代日本文学と聖書(上)/奥山実:1994/1/15【読書ノート】
■プロローグ
1:文学の世代
本を読みあさる/久米正雄と野球部/山本周五郎と奥山家
2:聖書との出会い
日本文学の行きづまり/絶対の救い/絶対者と日本文学/キリスト教と聖書
日本のキリスト教
聖書的キリスト教とは
聖書の中に織り込まれた神秘的なメッセージは明確である―神の性質、この世界への視点、そして救済の道。これを心に受け入れ、聖書の教えを体現したキリスト教は、時が経つにつれても、国境を越えても、その精髄は揺るがない。パウロ、オーガスチン、ルーテル、カルビン―彼らが抱いた信仰と我々の信仰は、核心においては一緒だ。三位一体の神、キリストの処女誕生、復活、十字架での贖罪、そして最後の審判。これらは全て、聖書が伝える永遠の真実である。
同じくらい明白なのは、それが聖書の教えから逸れた神学が衰退していることだ。啓蒙主義や進化論、共産主義に迎合し、聖書の核心を歪める者たちは、社会から信用を失い、風前の灯火となっている。主イエスが語った良い麦と毒麦の譬え(マタイの福音書 13:24-30)が、この事実を象徴している。
この信仰は一見すると非現実的かもしれないが、それは永遠であり、決して色あせない。逆に、時代の流れに乗り、受け入れられようとした神学は、人々に拒絶され、踏みにじられている。聖書の教えから逸れたキリスト教は、まさに「塩の塩味がなくなった」という状態(マタイの福音書 5:13)。
さらに興味深いのは、近代日本文学の先駆者たち―国木田独歩、北村透谷、島崎藤村―が一度は洗礼を受けながらも信仰を捨てたことに対し、夏目漱石の視点が聖書的な深みを持っていたことである。これは白樺派のような他の文学者たちにも見られる現象で、日本人が信仰に対して曖昧であるといえるだろう。
しかし、詩人八木重吉の作品を読むと、彼が真のキリスト教徒であることが感じられる。それは何故か。それは、彼が聖書的キリスト教の信者だからである。
つまり、一軒一軒訪ねて宗教書を売っている「ものみの塔」や、霊感商法で悪名高い「統一協会」は、キリスト教と呼ぶにはほど遠い。これらは「新興宗教が使う聖書」と考えるべきであり、主キリスト自身が世の終わりに多くの「偽キリスト」が現れると予言している(マタイの福音書 24:5, 24)。
このような複雑な背景を持つ信仰世界において、聖書的キリスト教はその原点を忠実に保ち、世界中でその影響を広げているのである。
本当のキリスト教徒
■第一部■漱石の迷走と福音
1:人間の本質を描いた漱石
文学とは何か
阿部知二の『文学入門』における文学に対する洞察は多面的かつ複雑である。阿部によれば、文学とは簡潔に言葉で表現するのが困難なもので、その多面的な性質を象徴的に強調する試みが過去から続いている。もし文学の本質を一言で捉えるならば、「人間性の探究」とでも言おうか。その探究は、過去から現代まで多くの哲学者や作家が挑戦してきた。
明治期において、そうした「人間の本質」に対する洞察を見事に表現した作家としては、夏目漱石が挙げられる。その作品は多くの人々に思索と感動を提供し、読むたびに新たな発見がある。筆者自身も若いころから漱石の作品に親しんでおり、その多面性に何度も心を打たれた。
しかし、最終的に筆者がキリスト教に帰依した経緯は、夏目漱石が嫌悪していたと言われるキリスト教という信仰体系に、筆者自身が何かを見出したからである。その信仰によって私は人生を変え、会社を退職して神学校で学び、牧師として教会に赴任する道を選んだ。文学が人間の探究であるなら、筆者のこの選択もまた、人間性と向き合う別の形と言えるのかもしれない。
ある京大生の質問
ある京大生が私に向けた疑問は、漱石文学とキリスト教道徳における「罪」の本質を揺るがすものであった。この学生は、漱石の「こころ」に登場する「先生」の自責と悩みを真の倫理と位置づけている。
先生は、人間不信と自己不信によって苦悩しているキャラクターであり、その起源は自らのエゴイズムと、それによって引き起こされた親友Kの自殺にある。先生自身がその罪の重荷を生涯背負い、最後に自ら命を絶つ。
この学生に対し私は尋ねた。「先生は最終的にどうなったか?」
彼は即座に「自殺しました」と答えた。そこで私は言った。
「その通り、つまりその生き方は滅亡に至る生き方で、何の解決もない。もし人間が、自分の犯した罪の一つひとつに責任をとり罪責を感じて生きていったら、正直で真面目な人ほど自分を苦しめ、遂には自殺する。つまり滅びる。倫理は立つが自分は滅びる。
そこで人間はもう一つの生き方をする、滅びないために。それは、罪なんかどうでもよい、どうせみんな悪いことをやっているんだと図々しく、悩みなく生きること。しかしこの時、倫理は倒れる」
この対話は、罪と倫理、そして人の業に対する神の許しという、深遠なテーマに触れるものであった。この学生は意図せずとも、漱石文学とキリスト教の交点、それらがどのように「人間性」と「倫理」を問いつめるのか、その核心に迫る質問を投げかけたのである。
人間の二つの生き方
このように、一般的に人間には二つの生き方しかない。
一つは、真面目に倫理を立てて、自分の罪の一つひとつに責任をとってその罪責を背負って、暗く悲しい人生を送り、最後に自殺するか。
もう一つは、倫理を踏み倒して、悪いことをしてもいちいち罪意識などもたず、図々しく明るく生きのびていくか、この二つしかない。
もっと端的に言えば、倫理を立てて自分が滅びるか、倫理を倒して自分が生きのびるか、これしかない。つまりどちらにも解決はない。
そのように「こころ」に解決はない。そして漱石が解決できなかったように、誰も解決できない。
このように漱石は解決不可能な問題を我々に提示したのである。
しかし人間には不可能で神に不可能はない。だからこそ、主なる神は全く異なる道を我々に与えてくださったのだ。
それが福音の道である。
即ちそれは、主イエス・キリストが、人間のすべての罪を背負ってくださり、神の刑罰を身代りに十字架で受けてくださった。それ故に主イエス・キリストを信じた者は「罪の赦し」を与えられ、罪責からの解放を与えられ、天国の保証が与えられる。
だからこそクリスチャンは喜びと感謝にあふれている。
主イエス・キリストの十字架の身代りの死の故(贖罪)に、すでに罪の赦しを得、すでに救われたからである。
これを「めぐみの救い」(エペソ人への手紙2:8-9)という。
我々人間の側の努力の救いではないからだ。
人格を磨きあげて救われるのではない。
献金額でもない。
神への奉仕によってでもない。
主イエス・キリストの贖罪によってである。
このようにクリスチャンとは、主イエスの十字架の故に罪を赦された者、全生涯の罪を赦された者なのである。だから生涯主イエス・キリストから離れようとは思わない。このような絶大な救いは他にないからだ。
ところでクリスチャンは罪の赦しをすでに与えられたからといって、やたら罪を犯すだろうか。現実にそうではない。クリスチャンぐらい罪に敏感な者はいない。人を少し憎んだだけでも心が痛む。だからクリスチャンは普通の人間よりはるかに罪を犯さない。「赦される」と百も承知でも罪を犯さない。何故か、罪が嫌いになる「聖霊」が与えられているからである(コリント人への第一の手紙3:16)。
つまり主なる神は、主イエスを信じた者に「罪の赦し」と「罪を嫌う聖霊」を同時に与えてくださる。 ここに神が与えたまう救いの完全さがある。
だから「罪が赦されつつ、同時に倫理が立つ」のだ。
ここに見事な解決がある。倫理を立てながら、しかも立派に生きて行けるのである。このように福音こそが人間の生きる道なのだ。
漱石の深い悩み
漱石の内的葛藤は平凡な人々のそれとは次元が異なる。その極端な深みを悟ることで、彼がどれほど核心に迫っていたかが明らかになる。それと並行して、真実の解は聖書の「福音」にのみ存在することも理解されるべきだ。
繰り返し明確にしたいのは、漱石が倫理の柱を築けば自身が崩壊する、それゆえに「生き延びるためにどう行動すべきか」に独自の深刻な取り組みをしたことだ。そして、その解決策を見い出すことは叶わなかった。だが皮肉なことに、答えは聖書の福音に隠されていた。漱石はほとんどキリスト教の精髄、すなわちキリストによる救いに触れていたのだ。
ヴァルドー・ヴィリエルモ氏は日本文学の欧米での研究の第一線で活動しており、彼が漱石に対して持っている洞察は注目に値する。西洋人として驚くべきは、明治維新後の日本に、すでに救済と無力感の問題を深く考察した作家が登場したことだ。彼によれば、漱石が社会批判を行わないのは、彼が問題としているのは「人間そのもの」であり、人間は「エゴイズムの集合体」であると主張しているからだ。
漱石の登場人物を通して描かれるエゴイズムは、その醜さを総括して読者に暴露される。もし読者がその事実から目を背ければ、それは自らの内面から目を背ける行為と同義である。
漱石は、当時の自然主義と一線を画しながらも、人間性を鋭敏に捉える観察眼を持っていた。谷崎潤一郎さえも、「彼ほど正確に人間を描写している自然主義の作家はいない」と評した。漱石のこの力量は、聖書の教えにより密接に接近していたものであり、恐らく漱石自身がその事実に気づいていないのが更なる皮肉である。
2:漱石文学の二面性
3:自然主義文学の発展
明治時代の到来は、日本社会に一大変革をもたらし、その威力は文学の風土にも及んだ。従来別々の存在であった詩歌、小説、戯曲が「文学」の包括的な領域に取り込まれ、特に小説はその自由度の高さから主流へと台頭した。
この文脈において、十八世紀のイギリスに起源を持つ写実主義(リアリズム)は、明治初頭の日本近代文学に重要な影響を与えた。
坪内逍遥の「小説真髄」や、二葉亭四迷の「浮雲」は、この西洋の芸術思想が日本に浸透し始めた。また本格的写実主義小説として高く評価されている。この写実主義を継承したのが、「硯友社」であり尾崎紅葉が中心人物である。
このような時に、欧米では写実主義に科学的方法をとり入れた自然主義文学が発展していた。 十九世紀後半にフランスを中心に起こった文芸思潮であって、日本には明治三十年頃に入った。
島崎藤村の『破戒』(明治三十九年)と田山花袋の『蒲団』(明治四十年)が、日本における自然主義文学の始まりとされている。
そしてこの自然主義文学は、日露戦争後の日本の社会的要請にマッチしていたので、藤村、抱月など自然主義提唱者が続出し、明治四十年代の文壇は、自然主義全盛時代となっていった。そしてさきの写実主義も、結局同じような傾向であるので、この自然主義の中に吸収されていったのである。このような訳で、当時は文壇の主流は自然主義文学であって、夏目漱石や森鷗外は、その天分にもかかわらず、片隅の方に追いやられていた。
このような文学的風潮が支配的であった中、夏目漱石は異色の存在であった。彼のデビュー作「吾輩は猫である」は、自然主義の重苦しさを払拭する、まさに爽快な作品であり、一挙に名声を博した。漱石の文学に対する深遠な洞察は、その教養と倫理観に基づいていた。特に、その倫理性は彼が自然主義文学、そして自身の人間性に対して厳格な評価を下す基盤となっていた。
4:自然主義文学でも書けなかったもの
告白文学の限界
何故自然主義文学がしばしば不健全、暗鬱、不道徳と見なされるかというと、それはこの文学が現実を飾り立てず「ありのまま」に描き出すからである。しかし、なぜ「ありのまま」を描く行為が暗い結果を招くのか。その答えは、人間性が本質的に欠陥があり、「罪人」であるからだ。この考え方は聖書の教義にも見て取れる。したがって、作家が人物の内面と外面をありのままに描くと、その描写は暗く、不健全になる。資本主義であろうと共産主義であろうと、この「罪人」によって構築された社会もまた矛盾と失望に満ちている。
最も真実に近い人間の描写を試みるならば、自己をその材料とすることが最も合理的だ。自分自身の本質を誰よりも理解しているのは自分自身であるからである。この観点から、自然主義文学はしばしば「自己告白」的性格を持つ。
田山花袋の「蒲団」(1907年)は、日本において最初のこの種の作品であり、作者自身の官能的な世界観を遠慮なく表現している。だが、このような個々の告白から読者が何を得られるかというと、答えは「何も」である。暗くじめじめとした物語は、確かに真実を告げているが、それによって読者をさらに失望させてしまう。
実際のところ、自然主義的なリアリズムでさえ、人間の全体像を描くことは不可能である。その理由は、人間の存在があまりにも不完全で、「罪人」であるからだ(ローマ人への手紙3:10-23)。
故に、自分を遠慮なく描写する程、その不完全性や不純さが明らかになり、結果として読者に不快感を与える。どれだけ誠実な告白文学であっても、全てを表現することは不可能であり、一定の限界が存在する。
漱石の告白
夏目漱石が代表作「こころ」を完成させた後、一種の心的解放を感じて1915年に「硝子戸の中」を執筆した。この作品は漱石の生涯における唯一の自伝的小説であり、告白文学としても類例の少ない存在だ。彼の思考と感情が忌憚なく開示されており、漱石を解読する上で不可欠なテクストである。大塚楠緒女史との微妙な関係、家庭内の対立など、彼の人格に影を落とすような事柄までが赤裸々に綴られている。
漱石は学習院で行った講演「私の個人主義」において、正直さを全文化に普遍的な倫理観念として強調している。漱石のこの観点は、彼が漢文学の基盤上に英文学を学び、またロンドンでの異文化体験を経て獲得した国際的洞察に由来する。その講演では、彼の卓越性が他の教職員と比較しているわけではなく、彼が稀に登壇するために珍重されていること、さらには学習院の教職に採用されなかったことまで赤裸々に語られている。
漱石のこの種の謙遜と飾りのなさは、彼の人間性の真摯さを強調しており、偽善的な宗教家とは比較にならないほど尊敬に値する。特に印象的なのは、文部省から博士号を授与されることになった際にこれを丁寧に断り、自身の平凡性を保持しようとしたエピソードである。
加賀乙彦の研究
※参考資料
精神科医で作家の加賀乙彦は、『夏目漱石』(群像日本の作家Ⅰ、小学館)の中で、《私が自説を発表したとき、さる高名な漱石研究家から、大漱石を狂人あつかいするとは何ごとかと、激しい批難の手紙が来た 》としながら、《つい最近(1990年4月)、NHK の教育テレビで、私は『夏目漱石』という30分4回の番組に出演し、そのなかで、漱石の精神変調について話した。すると、長男の夏目純一氏から電話があり「父の異常をずばりと言ってくれて嬉しかった」と伝えられた。弟子たちと鏡子夫人や 子供たちとの間に、病気をめぐった確執があった点もはっきりと証言しておられた》と記しています。[出典:http://soseki.tokyo/index21.pdf]
もっと絶望的に
漱石の文学は、自然主義リアリズムの作家たちが目指した「正直さ」を一歩進め、人間の本質をさらに暗く、絶望的に描いた。『こころ』の先生の人生の絶望は深いが、その先生は、実は漱石自身の反映である。そして、その漱石の方が実は、先生よりも悲劇的であった。たとえ彼が正直であったとしても、その自分自身の「ありのまま」を描くことはできず、彼自身が自分の内側に存在する絶望的で救いがない醜悪なものを告白している。
彼が持っていた深い「罪意識」の理由は、高い倫理性にあった。それは神経過敏ではない。高倫理性の人は、小さな罪さえ見逃さず、自分の中でそれを見つけると、自分を許さず、自分を責める。しかし、低い倫理性を持つ者は、罪を犯しても罪意識が薄く、「何が悪いんだ」と倫理を無視して無頓着である。
特に、この種の「自分の罪がわからない」人間が日本人の中に多い、それも韓国人や中国人よりも。結局、漱石よりも低い倫理性しか持っていない弟子たちは、漱石の深い苦悩を理解することができず、漱石のように自分の醜悪さを認めることができなかった。それは、彼らの倫理性が低かったからである。
読者も同じだ。読者が漱石文学を読んでも、自分の内側にある「醜悪なもの」に気づかなければ、漱石の弟子たちと同様に、漱石を理解することは決してできない。
人生を生き抜いていない、ただの傍観者や評論家である多くの日本の文芸評論家も同様だ。彼らは漱石の苦悩を漱石自身のものとだけ考え、自分の内側にある醜悪なものを認めようとせず、「先生」と同様のエゴイズムに陥りながら何も感じず、文芸評論を無頓着に行っている。その低い倫理性が問題である。
醜悪なる人間の本質
どれほど正直とされる漱石であっても、自己の内奥にひそむその不条理と歪な本性に対しては、最後までペンを振るえなかった。彼が「自分に対して色気を取り除き得ない」と明かすそのジレンマは、書く行為に対する深い羞恥心を窺わせる。
この不条理な人間性は、漱石だけの特異な問題ではない。彼が明瞭に描き出しているこの普遍的な暗黒面は、多くの文学評論家が疎かにしている点である。人間の内部に隠された卑劣で恥ずべき欠点との戦いは、勝者を生まない。芥川龍之介も、太宰治も、最後には挫折と破滅を迎えた。
この普遍的な「罪」は、聖書が教える人間の根源的な問題でもある。自然主義リアリズム作家に対する漱石の優越性は、その高度な倫理観に基づいて、より鋭く、より正確に人間を描写できる力にある。彼の作品はそのために絶望的なほどに深い。まさにこの点で漱石は、時代を超えて評価されるほどの作家である。
漱石がリアリズムにこのように徹底できたのは、何よりもその正直さに起因する。自己を詳細に観察し、客観的に分析する力は、言うまでもなく重要だが、それ以上に「正直であること」が求められる。それは自己を否定する勇気、自己を乗り越える力が必要だからだ。
三つの行く道
わからず屋の弟子たち
囲まれていた不関心な弟子たちによって、漱石の存在は事実上悲劇的であった。この人々は生きることそのものに対して深刻な関心を持っていなかった。
漱石が『こころ』で人間の不愛情性を暴露した瞬間、小宮豊隆も自身がエゴイストであることを自覚する必要があった。漱石の告白が特定の個人に限らず、普遍的な人間の不都合な真実を象徴していると理解すれば、小宮もまた内に秘めた不鮮明な部分を認識するべきである。
小宮豊隆にとっても選択肢は「死、狂気、または宗教」だけである。自死を選ばず、精神的に崩壊もしなければ、残された逃げ場は宗教だけである。しかし、漱石自身が彼の独自の宗教観「則天去私」で救済を見いだせなかったように、小宮もまた救われる可能性は低い。もし小宮が生きることにこのように真剣に取り組んでいたら、もう少し洗練された漱石研究ができたであろう。
漱石に仕えた弟子たちが創り出した神格化された漱石の偶像は、江藤淳の批評によって崩壊した。それは確かである。しかし、その崩壊が皮肉なことに、表面的な漱石批判の火種になったことは否めない。
低次元の漱石批判
三枝和子の著作『漱石の過誤―恋愛小説の陥穽』は、漱石の恋愛小説における女性像が矛盾していると主張している。谷崎潤一郎も尊敬の念をふんだんに表明しつつ、「漱石はうそを描いている」と断じている。いずれも漱石の作品の核心をつかんでいない、表面的な批評に過ぎない。
その根本的な原因は、評論家たちが生きること自体に真剣ではないからだ。彼らには、椎名麟三が体験したような究極的な挑戦や試練が欠けている。それゆえ、彼らは容易な人生を歩んでいる。
そのため、漱石のような洗練された作家に対する評論は慎重でなければならない。評論の過程で評論家自身が暴露される可能性があるからだ。漱石の作品とその意義に対する浅薄な評価は、結局、評論家自身が漱石によって評価される結果となる。このことは漱石が「明治のみならず、近代日本の文学全体を代表する巨人」(江藤淳)である理由を一層強調している。
救済の瀬戸際
漱石の偉大さは、彼が非の打ちどころなき道徳的完璧さを持っていたからではなく、むしろ自然主義リアリズムの作家たちさえ触れることのなかった人間の奥底に迫ったからである。江藤淳が指摘するように、その偉大さは「問題を解決しなかったから」にこそある。
しかし筆者は主張する:漱石が問題を解決「できなかった」のだ。
仮に漱石が『こころ』で何らかの解決を見つけていたとしたら、その後の作品は椎名麟三の『美しい女』のように、闇から光へと変貌を遂げただろう。椎名は問題の解決後、明確にその文学性が変わった。漱石が「悟りきって人生を達観していた」のではなく、むしろ彼は「恐れ、孤独、傷つきやすい獣」でありたかった――それは彼の弟子たちが理解しなかった点である。
弟子たちは、大作家漱石の幻想を創造し、その虚像に仕えていた。彼らの視点はずれていた。漱石が人間的愛の絶望を描いたとき、弟子たちはその痛みを自らの中に見つけ、それを深く感じるべきだった。しかし、多くは人生と真剣に向き合わず、出世や名誉に取り込まれていた彼らは、自分の内部の醜悪を認識する能力が欠如していた。
このような水準の弟子たちだからこそ、漱石の最後の言葉が一時秘匿されたとも言われている――彼らは漱石の偉大さに対する誤解を維持するために、政治的な隠蔽工作を施したのだ。この状況について、江藤淳は「漱石はおそらく救済の瀬戸際に立っている。しかし救済は現れない……」と述べており、その言葉が何層にもわたる意味を持つことは言うまでもない。
江藤淳の救済とは
江藤淳による「救済」という語は、洗練されたキリスト教と文学に対する理解を反映している。彼が評論家として優れていることは疑いようがないが、その解釈には問題が存在する。彼が用いるキリスト教用語—「啓示」や「使徒」—が、その複雑な理解を示している。これらの用語を島崎藤村や小宮豊隆への批判に結びつける過程で、実はキリスト教そのものに対する微妙な誤解が浮かび上がる。
江藤は、キリスト教の独特な用語を用いて漱石とその弟子、特に小宮豊隆を糾弾する。小宮らが漱石を神聖視しているとして批判する一方で、それが暗にキリストとその十二使徒を貶めるものであるという。その核心は、漱石やキリストが「問題を解決していない」にもかかわらず、弟子たちがそうであると過度に賞賛している点にある。
しかし、江藤淳のこの解釈は不完全である。キリスト教の真髄、すなわち「福音」に触れたとき、この脆弱な評論は崩れる。福音とは、人間が自らの罪の重荷から解放される道であり、この解放が真の「救済」である。「その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です」とマタイの福音書に記されている通り、この救済はキリストによってもたらされる。
その意味で、江藤淳の言う「漱石は救済の瀬戸際に立っている」がもし聖書の「福音」を指しているならば、その主張は一貫しているだろう。しかし、彼の文脈はそのように読めない。江藤淳自身が「救済はあらわれぬ。すでにそのような宿命を負わされた人間であった」と指摘するように、漱石の救済は現実的なものとは言えない。それは漱石が「聡明な頭脳を持ちすぎていた」という事実によって、余計に疑問が投げかけられる。
結局、江藤淳の「救済」に対する解釈は、漱石に関する深い理解と並行して、キリスト教—特にその核心である「福音」—に対する理解の欠如を露呈している。そして、その欠如が彼自身を、真の救済から遠ざけているのである。
江藤淳に救済はあるか
江藤淳が漱石の「悲惨な姿」と「救済」についての解釈で到達した地点は、人間性の無力性とその後の絶望に関する深い認識を暗示している。もし漱石が「救済」を求めるとすれば、それは人間の能力を越えた「神の救済」に他ならない。江藤淳によれば、漱石は何らかの曖昧な救済を望まず、その代わりに神の救済へと向かった。ただし、江藤が話題にしている「救済」が聖書に記された神の救済、すなわち「福音」と一致するかどうかは不明である。
江藤淳が考慮に入れているのが何らかの非神的救済であるなら、その議論は破綻する。漱石が既に人間による救済の無力性を認識しているのだから、何が残るというのか。江藤自身も、漱石が孟子の「則天去私」に救済を見出さなかったと断言している。それならば、江藤淳に問いたい。「神の救済」でなければ、漱石は一体どのような「救済」を求めたのか?
人類の哲学や精神的探求に一石を投じる漱石は、陽明学や東洋思想においても救済の糸口を探ったであろう。しかしこれらも、結局は人間が築き上げた思想体系に過ぎず、漱石自身がその限界を悟っていた。西洋哲学、さらには物理学まで手を広げたのもその故である。
漱石の聖書に対する関心は確かに多面的であったが、その作品『行人』においては明らかに神的な救済を模索している。これが真実ならば、江藤淳の救済に対する認識も、人間性の無力性を超越する一途は神による救済以外にないという点で、漱石と一致する。
したがって、もし江藤淳が人生に対して真剣な考察を行っているのであれば、彼自身も救済の問題に直面するだろう。その救済が見つからなければ、彼もまた絶望の淵に立つ。そしてもしその絶望から逃れようとしなければ、江藤淳は漱石の多くの追随者と同様、ただの生涯を漱石の影響下で送る評論家にすぎないのである。
5:宗教に救済はあるか
漱石は救済の境界に立っていたが、救済そのものは彼に現れなかった。その原因は漱石自身が神的救済を拒絶したからだ。
『こころ』において自殺する「先生」を創出した漱石は、実生活においても、自らの破滅が不可避であることを認識していた。その根底には神の「福音」を拒む姿勢があった。
大正二年に漱石が和辻哲郎への手紙で「私は今道に入ろうと心掛けています」と記したのは、『行人』の中の「塵労」が書かれている時期であった。彼はここで、「死か、狂気か、宗教か」と語っている。自殺する勇気も、狂気に陥る可能性もない漱石にとって、選択肢は「宗教」のみであった。それで、弟子たちと一緒に「則天去私」と唱えるようになる。
だが、漱石とその弟子たちは、致命的な誤謬に陥っていた。彼は絶望の本質を理解していたが、神の福音を拒否したうえで、人間が創り出した宗教へ進んでしまった。それは再び「絶望の淵」への進行であり、全く非論理的な選択であった。
漱石は、物理的にも精神的にも限界に達しており、人間が創出した宗教に逃げるしかなかった。そこには神の福音を拒否した人々の悲劇が潜んでいる。
彼の生涯は痛々しいほどの現実を描き出しており、その終焉は「ああ、苦しい、ああ苦しい。いま死んじゃ困る」という言葉で締めくくられた。その言葉は「敗北の言葉」として、しばらくの間、公にされなかった。
人間は絶対者にはなれない。漱石の失敗、そしてその後の崩壊は、人々が人間を神格化する危険性を警鐘としている。江藤淳は「則天去私」という言葉を「人生に傷つき果てた生活者の、自ら憧れる世界への逃避の要求をこめた、吐息のような言葉」と評した。漱石とその弟子たちが築き上げた祭壇は、これによって崩壊した。
6:リアリズムとヒューマニズム
リアリズムとヒューマニズムの中間に「福音」と呼ばれる第三の視点が存在する。この「福音」の医者は、病患者に真実を告げるが、同時に治癒の可能性も提供する。この観点は、聖書において人間の罪と堕落を明確に暴きつつ、神からの救済も約束する。
こうした枠組みを理解した上で、夏目漱石の深遠な洞察について考察すると、漱石自身は神からの救済を拒否し、その結果として絶望に陥る。この絶望は一般の人々や多くの文芸評論家が理解できないレベルに達している。しかし、漱石に対する鋭敏な批評で知られる江藤淳は、漱石が決して「悟って」いないと指摘する。
家庭での漱石
漱石の虚像
漱石の門下生や一般の読者が彼を理想化し、誤った像を構築していることは否めない。しかし、この過ちは漱石自身にあるわけではなく、その賛美者や解釈者たちに起因する。漱石が意図的に誤解を招いているわけではない。
彼らが創り出している「理想の漱石像」は、漱石自身が何度もその矛盾や欠点を作品を通して「告白」しているのに、未だに根強く残っている。例えば、「漱石は極めて優れた日本人である」という種類の解釈があるが、これは単なる幻想に過ぎない。
漱石は、確かに優れた思考家であったが、「模範的な日本人」ではない。彼は一種の二重人格者であり、その複雑な性格は家庭内での権威主義からも窺い知ることができる。漱石の真の偉大さは、完璧な人格者であることではなく、人間の弱さや矛盾を率直に表現した点にある。
その内面のもつれや、人を真に愛することの困難さを自らの作品で告白している。それは多くの読者自身が抱える普遍的な人間の葛藤を鋭く描いているのである。
にもかかわらず、多くの人々は自らの欠点や人生の暗部を漱石の作品から読み取ることなく、空虚な賛美や誤った解釈で漱石像を再構築してしまっている。結果として、漱石は多くの人々にとって、本人も意図しない「人道主義的な作家」にされてしまっている。
漱石は、その多面性について作品で明らかにしている。例えば、『行人』に登場する「一郎」は、社会的には模範的な人物に見えるが、家庭内での行動はその逆であり、そのギャップが如実に描かれている。この矛盾は漱石自身にも見られる。
彼の真の偉大さは、人間としての不完全さや矛盾を勇気をもって告白している点にある。そこに漱石の真の倫理的高潔さが存在する。
門下生や読者は、漱石を単なる理想像として仰ぎ見てしまうが、漱石自身は「私は完璧ではない、家庭でさえ暴君である」と告白している。その自覚と修正の試みが、真に尊敬に値する。
それに対して、「一郎」の両親のように、社会的評価だけを重視する姿勢は、倫理的に問題がある。このような人々が創り出す「偶像」こそが、漱石と彼を理解しようとする人々との間に生まれるギャップの原因である。
7:漱石のごまかし
漱石の二面性は、その作品と実生活の間に鋭い裂け目を呈している。漱石は人間の愛の欠如、愛の不可能性、その絶望的な状態を巧妙に描写しているが、それと同時に微笑んでいる。
一方で、芥川龍之介は自ら命を断つ道を選んだ。漱石が微笑むその背後には、自己と他者への欺瞞が横たわっている。
漱石の倫理感と透明性にもかかわらず、人生の戦略として「誤魔化し」しか選択肢がなかったのだ。
人間の愛の不可能性、人間の絶望を内省した者は、芥川のように命を絶つか、あるいは精神的に崩壊する。最後の拠り所は宗教だが、人間が創り出した宗教には望みが見出せない。そのような宗教は、絶望そのものだ。
それが故に、「その時兄さんの顔は、むしろ絶望の谷に赴く人のように見え」たと言えるのだ。
唯一の救済は、人間を超越した存在、即ち「神による救済—福音」にあるのだろう。しかし漱石はその救済を偏見から拒絶した。結果として、自殺する勇気もなく、無望な人間の宗教に依存するしかなかった。
それが何ら保証のない救いであることを知りつつ、漱石は「きっと何とかなる、何とかなる」と自己欺瞞にふける。この姿勢は重大な矛盾を内包している。人間の絶望を理解しつつ、それでもなお人間に希望を見い出すからだ。
このような局面において、漱石の悲劇が形成される。滅亡は既に予定されていたのである。
8:漱石の求道
では漱石は、「神による救済」を求めていなかったのであろうか。
求めたことはあるのだ。
彼の宗教的な探求は特に『行人』における「塵労」〈三十四〉以下に集約される。詳しく〈三十四〉から〈五十二〉までを読むと、漱石は確かに絶対者を求めたものの、その追求から逃れ、自らの内面的な宗教に閉じ籠もっていった。
『行人』〈三十四〉では、彼の探求はこんな風に始まる:
「君、近頃神というものについて考えたことはないか」と。
ここで言われている「神」は、神道のようなアニミズムの神々とは一線を画す、より高次な存在である。この点は「神とか第一原因」という表現からも明らかで、第一原因とは通常アリストテレスの神、すなわち「不動の第一動者」を指す。
ここでアリストテレスの哲学を詳述する誘惑はあるが、簡単に言えば、彼は経験主義を基盤に、自然哲学を築いた。その哲学は帰納的で科学的であり、現象が単なる人間の解釈によるものではなく、事実として独立して存在する「所与」として取り扱う。
このような観点から、アリストテレスが考えた神は、すべての存在を動かすが自らは動かされない「不動の第一動者」である。この神観は極端な形で聖書に啓示された神に近いものがある、とも言えるだろう。
漱石もこのような高次な神について語っているのだ。かつては「神や第一原因」という言葉を頻繁に使用していたが、それは過去の話である。
そしてこの後漱石は、一郎に「そんな意味のない口先ロジックだけの論理が何の役に立つものかね。そんなら神を僕の前に連れて来て見せてくれるのが好い」と言わせて、忘れていた絶対者なる神に対して敵対する。
「僕は死んだ神よりも生きた人間の方が好きだ」と一郎(すなわち漱石自身)は宣言する。この言葉によって、漱石は絶対者と決別する。しかし、「苦しそうに呼吸をはずませていました」という一文から、その決断が彼の精神を深く揺さぶったことが伺える。
明治時代の多くの文壇人物が洗礼を受けた後、簡単に棄教したのとは対照的に、漱石はその宗教的探求において遥かに深く、また西洋的だったのである。
9:日本人の神観と漱石
神棚と仏壇
明治時代の文壇で主流を占めた者たちがキリスト教の真髄をほとんど理解せずに洗礼を受け、後に背教した行動は、宗教に対する日本独自の浅薄な理解を示している。彼らの世界観は相対性に溺れ、絶対的な価値や存在との真剣な対話を欠いている。だからこそ、「神を捨てた」との告発にも震えることはない。日本の宗教観は柔軟だが、その柔軟性が時として不誠実に映る。例えば、インドネシア人は日本家庭での神棚と仏壇、神道と仏教の両立が理解できない。唯一神を信仰する者にとって、このような宗教的な曖昧さは信じがたい。
この宗教に対する曖昧な態度は、アニミズム的背景を持つ日本特有の現象とも言える。もちろん、日本人には短所だけでなく、多くの長所もある。それは他のどの民族、国民とも共通している。完全に長所しかない民族は存在しないし、その逆も然り。日本人の努力と優れた資質は、広く評価されている。
宣教師の日本人観
カルチャーショック
しかし我々は我々の真の姿を知るために、我々日本人の短所にも目を注がねばならない。その第一は、「文化の差を知らない」ということで、国際化時代にあって、大問題となるのである。
韓国人や中国人に比べ日本人はより多く「文化ショック」を受け、また与える。「文化ショック」とは「文化による病気」であって、ノイローゼ、発狂、自殺、殺人、と犯罪にまでなる。あまりに多いので『日本人の海外不適応』(稲村博著、NHKブックス)という本まで出る始末である。
漱石のロンドンでの「狂人」扱いは、日本人が自国の文化を普遍的であると誤認している面からも研究に値する。山本七平が指摘したように、多くの日本人は自らの文化が国際的に通用すると錯覚している。中根千枝はこれを日本の地理的環境、即ち島国であり国境を陸に持たないことに起因すると論じている。その結果、文化的な他者との交渉がほとんどなく、善意で接触しても意図が履行されないという状況が生まれる。
韓国や中国は異なる。韓国は古来から満州との国境を有しており、中国は多様な民族が共存している。これらの国々では、言葉も、人種も、信仰も異なる人々との日常的な交流が存在する。例えば、韓国人の礼儀や中華人民解放軍内での多様性は、その異文化体験からくるものであり、それが若い年齢から身につく。
歴代首相の失敗
日本の歴代首相と政府は、外交と国際問題で一連の失敗を犯している。これらの失敗が日本外務省の予算不足や手抜きによるものである可能性が高い。さらに、これらの問題点は日本国内でほとんど報道されていない。このような状況が日本と日本人に対する国際的な誤解や評価の悪化を招いている。
難民の受け入れ
特にベトナムの難民問題で、日本は国際的に期待される行動をとらず、ほんのわずかな人々を受け入れただけで、その他は全てアメリカに送ってしまった。これらの問題は、日本国内でほとんど報道されていない。その結果、多くの日本人は「国際関係オンチ」とも言える状態にあり、国際的な誤解や評価の悪化が進んでいる。
日本人の神観
日本人の神観は、なぜにこんなにも低いのであろうかと思う。いまだに、きつね、たぬきの類を「神」として礼拝する奇行をやめないのである。
神道のアニミズムの影響であるが、真理への恐れにも似た、いやそれ以上の、生ける真の神への畏れなどからはほど遠い。
これは知識階級の人間もみな同じで、大学あたりで形而上学的神を学んだとしても、知識としてあるだけで、彼の生活に直接影響を与えるようなことなど極めて希である。江藤淳もそのことを明言している。
「西欧人が、『無限の空間の永遠の沈黙』と向い合った時、彼らの胸には、反射的に一ほとんど条件反射的に――神もしくは神の追憶の観念が去来する。しかしぼくらの胸にはそのような性質のものが何も浮かばない。これは決定的な相違である……」
とこのように崇高なる絶対者なる神を知る西欧人と、それを知らない日本人の「決定的な」相違を明らかにしている。
日本人にはそのような高度な神のイメージが「何も浮かばない」と強調している。それくらい日本人の神観は、他民族とは比較にならないほどに低いことをしかと知るべきなのである。日本人よりも韓国人、中国人の方が遥かに高度な神を「肌」で感じている。
中国人の神観
八年にわたって東ジャワのインドネシアで神学教育に携わり、地元の医者の診察を受けたことがある。その地での医者は大抵が中国人で、私が彼らに金銭を提供したところ、彼らは決して受け取らなかった。初めはその慈善心がキリスト教に由来すると考えていたが、非クリスチャンの医者もまた金銭を受け取らないという現象に出会い、理解が変わった。中国人にとって、宗教家に善行を施す行為は「天に宝を積む」という信念からくるものだと悟った。
ここで重要なのは、中国人の「天」観が単なるヘブンではなく、人格的かつ創造主なる神に通じる哲学的深みを持っていることだ。これは中国古代思想が何らかの形で旧約聖書の影響を受けている可能性を指摘している。この点において、中国人の神観は一層の高度さを示していると言えよう。
10:絶対者との決別
11:「自己本位」と「則天去私」に解決はない
漱石の精神的迷走は、一見、彼の日常生活には反映していないように思われる。表面上は笑顔を絶やさず、『こころ』や『行人』のような作品を執筆しつつ、学習院で「私の個人主義」と題した講演も行った。その講演では、漱石の「自己本位」という思想が堂々と語られ、彼自身も自信に溢れていた。
しかし、その堂々とした態度には騙されるべきではない。芥川龍之介の例を挙げれば、表面上は明るく、痛快な話をして聴衆を楽しませていたが、心の中ではすでに自殺を考えていた。漱石も、表面的な自信の背後には、深い迷走と悩みが隠されていた。
漱石が後に「則天去私」という考えを提唱すると、多くの人々は彼が問題を解決したと信じがちだ。しかし、その評価は表面的でしかない。もし漱石が問題の解決に成功していたなら、なぜその解決は作品に表れないのか?『こころ』では愛という人間の根底にある問題に対して、何の解決も提示されていない。
もし漱石が問題の解決策を持ちつつ、それを作品で隠していたとすれば、その行為は極めて危険で非道なものだ。それは人々を感動で欺き、最終的には失望に導くだろう。しかし、真実は、漱石自身が解決に至らなかったからこそ、『こころ』や『行人』が創られ、そして赦されるのだ。
いずれにせよ、漱石の「自己本位」も「則天去私」も、彼が抱える存在論的問題には何の答えも提供していない。漱石が罪深いと言えるならば、それは彼が内面の迷走を公にしなかった点にある。彼の講演は、表面的には問題が解決したかのように見せかけるもので、人々を欺いていた。
漱石が一番深く悩んでいたのは、この存在論的問題に対する答えを見つけられなかったことだ。そのため、いかなる試みも、結局は表面的なものに過ぎない。漱石の最後の言葉「いま死んじゃ困る」は、彼が最後まで答えを見つけられなかったという証左である。その事実を隠していたのは、漱石を理解していない、或いは誤解している人々だった。
12:著作的事業の失敗
漱石の核心である「自己本位」という哲学は、一見して解決策のように思える。特に、学習院での彼の講演では、この概念が西洋への対抗手段として機能したことが明らかにされている。漱石はこの信念を武器として、西洋文明との対決に臨んだ。この極東の島国から「私は私、私が望むように文学を創るべきだ」と宣言する胆力は、何もかもが西洋中心の世界においては画期的であった。
だが、問題はこの「自己本位」が漱石の作品にどれほど反映されたか、という点である。読者として感じ取れるのは、漱石作品の中の「自己」が一筋縄ではいかないものであることだ。作品の隅々に現れる絶望と暗黒は、彼が「自己本位」を持ち出しても克服できなかった人間の闇を象徴している。
このように漱石は天才的に「自己」を描き出したものの、その暗黒の淵に対する解決策を提示することはなかった。存在論的レベルにおいて「自己本位」という思想が完全に力を失い、漱石自身も迷走してしまったのである。漱石が究極に迫ったこの「自己」の謎が、彼の作品に深い多層性をもたらしている一方で、彼自身をも永遠の苦悩へと誘っているように感じられる。
13:迷走の果てに
簡単に言えば、作家の夏目漱石は人生や宇宙について深く考えていました。彼の作品「行人」では、主人公一郎(漱石自身とみられる)は、自然や宇宙が自分のものであると宣言します。しかし、これは高飛車な言い回しではなく、むしろ孤独と寂しさの表れです。
また、一郎(漱石)は家族や周囲の人々も真実ではない、つまり「偽り」だと感じています。このような思考は彼自身の迷いでもあり、形而上学的な考察から現実へと気持ちが行ったり来たりするのです。
最終的には、一郎(漱石)が考える解決策は三つしかないという結論に達します。それは「死ぬか、気が違うか、宗教に入るか」です。しかしこれも確固たる答えにはならず、絶望と迷いが続いています。
要するに、一郎(漱石)は生きること、宇宙、家族といった大きなテーマに対する答えを求めていますが、その答えはなかなか見つからない。そしてその迷いは続いているのです。
ここまで達観すれば、もう何も悩む必要はないと誰でも思うだろう。
漱石が作品〈三十六〉で自然の一部が自分の所有であると主張した理由も、表面上は理解できる。彼の言葉は「西欧的絶対」を「東洋的思想」で解釈しているように見えるが、正確にはそれは「東洋的風味」に近い。何れにしても、これは一見「悟り」のように映る。
しかし、この「悟り」が漱石自身の実生活で具現化しているわけではない。彼は〈四十五〉でこの「悟り」を実践するべきだと考え続けているものの、それが現実化することはない。ここで、Hに「どうやってこの理論的な自分を実践的な自分に変えられるのか」と助言を求める。言い換えれば、形而上学的な理解が形而下の現実で具体化されない。カントの言葉を借りれば、これは単なる「観念」の遊戯である。この模様は以前と同じで、自己が形而上学的な空間に飛び立つものの、すぐに現実へと落下する。
さらに、漱石の「悟り」も内部的に即座に崩壊する。〈四十五〉で「僕は絶対だ」と言った直後に、「絶対は僕と離れてしまう」と自ら認めている。この矛盾と不安定性は、まさに漱石の「煩悶家」な性格と迷走する思考の表れである。
漱石が犯している大罪は、「人間を神と見做している」ことだ。
これに対して、日本文化では「なぜ人間を神としてはいけないのか」と問いかけるかもしれない。その答えは、真の「絶対者」である神に対する深い理解が欠如しているからだ。
教育水準が高くても、絶対者についての知識が言葉のレベルでしかない。そして、「絶対者以外の何ものも神としてはならない」ということが、最も重大な罪である。
神学的議論はここで逸脱する恐れがあるので、一つの警告に留めておこう。「絶対でないものを絶対と見做してはならない」ということだ。
14:漱石の問題は人類全体の問題だ
事の重大さ
江藤淳は、漱石の闘争が人類全体にとっての問題であるという事実に気づいていない。江藤淳が認識できていないのは、この問題が解決できなければ人類が滅亡の道を歩む、というその重大性である。
江藤淳は、「漱石はその問題を解決できなかった」と単純に結論付けてしまった。その後で「その求道の姿は美しかった」と述べるが、その言葉がどれほどの重みを持つのか、江藤淳自身は理解していない。
日本人は、神(絶対者)についての理解が深くない。この無知は日本人にとって致命的な欠点であり、救済と滅亡の真実を見誤らせている。「絶対」という概念が身についていないため、日本人は本当の意味での「救い」を知らず、「滅亡」の真実も認識していない。
ここに神(絶対者)を知らない者の悲劇がある。
福音の本質
ローマ帝国の厳格な治安環境において、福音は歴史に刻まれるほどの迫害を乗り越え、圧倒的な速度で拡散した。その時代の哲学界の新進気鋭、新アカデメア派はキリスト教徒を「独断論者(ドグマティックス)」と銘打った。
プラトンの理想的世界観やアリストテレスの哲学とは根底から異なる、キリスト教は聖書に基づく「神による世界創造」の理念で立ち向かった。この世界は幻影や仮象ではなく、創造者である神による現実そのものであると主張したのだ。
アリストテレスが物理学的観点から永遠なる自然を描き出す一方で、キリスト教は「神による無からの創造」という聖書の教えで彼らに挑戦した。つまり、この宇宙は永遠ではなく、「始まり」を有しているのだ。
永遠であるのは唯一、主なる神だけ。このように、人々の創り出した多様な哲学を、聖書の真理で退け、世界観を一変させた。結果として、武力を有していたローマ帝国が武器もないキリスト教徒に屈服した。
プラトンとアリストテレスのような極めて高度な知識を有する新アカデメア派が、独断論者であるとされたキリスト教徒に敗北を喫した。後にこの「独断論者」の称号は「キリスト教教義学」という概念へと昇華した。
優れたとされる人間の理性から生まれた哲学的な神や世界観と、真の神の啓示を受けた聖書の神や世界観は、根本から相違している。
故に、聖書の真理を擁護する者に対し、多くの人々は「独断論者たち!」と非難する。
一方で「論語」に対しては、そのような批判は存在しない。なぜならそれは人間の言葉であり、多くの人々にとって「味方」の言葉であるからだ。
15:神への反抗
どうして人々は、何度も何度も、神に対して底なしの敵意を抱くのか。椎名麟三が唱えた「神よ、お前は――」という言葉は、筆者にとって、そのような言葉を決して口にできないし、他人の言葉とはいえ、今こうしてペンで書くことすら恐れるものである。
「鼻もちならない人間のこの高慢の罪を、お赦しください」と主なる神に祈るのみである。
実のところ、椎名麟三はかつて無神論者であった。しかし、究極の疑問、「何のために生きるか」に答えを求め、最終的には神の存在を無視できなくなった。反逆と敵対の中で、彼は絶対者、すなわち神の呼びかけに応えた。主キリストの十字架により、彼の罪は赦された。それは何故か。主が我々の罪の責任を背負い、人類の身代わりとして神の刑罰を受けたからだ。
この神秘的な赦しによって、信者は神の子となり、神の許に帰ることができる。この喜びは、何ものとも取り替えがたい。数え切れないほど多くの人々が、罪からの解放と人生の勝利を経て天国に至った。そして椎名麟三も、この驚くべき赦しによって神の元に帰った。
聖書は「神から人へ」の招きであり、呼びかけなのだ。「悔い改めて、福音を信ぜよ」と神は人に訴える。それゆえに、聖書は人生の成功のための名言集ではない。そのような短絡的な解釈に堕すると、人々は絶望的な探求に陥る。
神の招きは明確である。「悔い改めよ」。人間には、悔い改めるべき基本的な課題がある。それは漱石が痛烈に描き出した、人間の「罪」である。
リアリズムと科学的方法を組み合わせた自然主義文学よりも、漱石の筆は人間の本質をより厳密に描いている。その冷徹な眼は、人間の心の闇を剥き出しにした。そして、この罪は治癒できない「死に至る病」である。しかも、これは人間誰もが持つ罪である。
この普遍的な罪が、愛を蝕んでエゴイズムへと変え、無数の悲劇を引き起こしている。そして、この罪に対抗できる者はいない。それは敗北である。人間の知恵や信条、どんな名言集や宗教も、この罪に対しては無力である。
つまり、人間が罪に対して有効な手段を持たないのと同様、現代医学も癌に対する特効薬を持たない。そこへ神が迫ってくる。「悔い改めよ」と。
創造者を冒涜する行為は、一切の罪状を凌駕する悪行と言える。政治の腐敗や殺人以上に、存在の根源である神に対する挑戦は、究極の冒涜である。
そうした冒涜によって、人は不可避なる地獄へと投げ出される。日本の知識人たちが神を気軽に否定する姿は、知識の象徴であるかのような虚偽に包まれている。彼らは自らを地獄へと引きずり込む審判を、あたかも誇りであるかのように招き寄せている。
芥川龍之介さえ、「人生は地獄よりも地獄的である」と語り、その無知を露呈している。全能の審判は、そんな容易く片づけられる題材ではない。全能者の手が下す判決は、無量の恐怖に満ちている。
だが、"アダムの違反"という名の原罪に囚われた人類は、神に対して無謀な敵対を続け、罪を積み重ねている。その究極の結末は、他ならぬ「滅亡」である。
16:「存在論的問題」をめぐって―哲学に興味をもつ人のために
さて、哲学の領域における「存在論的問題」について言及せずにはいられない。特に、哲学に燃える者たちに対して。漱石がこの問題について何も示さなかったことは、その迷走の証ともいえるだろう。それでは、何が人間存在における核心的な問題なのか?
ハイデッカーが指摘するように、「死の恐怖によって呼び起こされた自我」に関する問題に対し、科学は無力である。彼はこれを通して、近代科学の限界と哲学の重要性を強調する。ハイデッカーの他にも、キェルケゴール、ヤスパース、マルセル、サルトル等が同様の課題に取り組む哲学者として名を連ねる。
これらの哲学者は、西欧社会の合理主義と実証主義を問い直し、人間存在の根底にある意義を追究する。科学、特に相対性理論や量子力学がもたらす知識と技術は壮観であるものの、分野ごとに分割された研究は全体像を見失う。そのため、科学は「究極の実在」についての質問に答えることはできない。これこそが哲学の不可欠な役割であり、そのアプローチとして「直観」と「自己批評」が挙げられる。
しかし、哲学自体も無力である場合がある。ハイデッカー自身がナチズムとその極端なイデオロギーに傾倒したこと、その後の反省の欠如はその一例だ。反対に、いくつかの牧師は聖書に基づいてナチスの暴虐を批判した。これは「人間の限界」ともいえるだろう。いかに頭の良い者でも、「直観」に依存すれば真実には到達しない。
結局、科学も哲学もその限界を持ち、我々が目を向けるべきは「神からの啓示」である。存在論的問題が本当に根本的な問題であるなら、その答えは神の領域にあるのかもしれない。サルトルや漱石が神との和解を拒んで迷走した悲劇は、その証左である。
最後に、神が我々を創造したという事実に対する謙遜が必要である。それは神の「天地創造」の冠石であり、人間はその創造の一部として「非常によかった」と評されている。しかし、人間の「堕落」がこれを覆し、悲劇的な人生が生まれる。したがって、最も重要なのは「神との和解」であり、それが達成されなければ、人間の存在は悲劇でしかない。
堕落の影響で、人の愛は誤作動を起こす。漱石の天賦の筆は、この人間性の脆弱性を訴えている。「人間は愛しきべからざる」と彼は暗示する。その切なさは、我々が無意識に高い道徳的基準を設定しているからこそ感じる。言い換えれば、何も愛する価値のない存在だという認識が欠けている限り、人間と文学は生き続ける。
実存主義も、高度な存在への期待という暗黙の前提に縛られている。この哲学は、人間の現実に目を向け、「実存が本質に先立つ」と主張するが、それでも理想化された人間像を求める思索に終始している。
これは矛盾である。なぜなら、実存主義は、あらゆる形而上学や本質論に対立し、人間の具体的な存在を前面に押し出すからだ。人が実際に存在する事実が至高であるはずなのに、実存主義者も、現実の人間を一種の遷延、あるいは「非本来的な自己」と位置づけている。ハイデッカーもその一例で、人は「本来的な自己」に成熟しなければならないと主張している。
このような趨勢は、実存主義哲学者に広く見られ、それぞれが「現存在」から何らかの「超越」を求めている。キェルケゴールは神による関係性、ヤスパースは隠された包括的存在、ハイデッカーは存在の明るみと、各哲学者は異なる方向へと「移行」を試みている。
漱石もサルトルも、この移行の必要性に触れている。ともに、「自己からの脱出」、あるいは「超越」が不可欠であるとしている。サルトルにとって、人間は現状から常に「前へ投げ出される」存在であり、その「脱自」こそが、人の自由の根底を成す。
この一貫した模樣は、人間が究極的には「いまここにいる」以上の何かを求め続ける生き物であるという証左であり、それが人間の愛、哲学、文学における普遍的なテーマとなっている。
したがって、人間の実存とは、自己を逸脱し、その境界を超えるものであると理解される。サルトルが「脱自(ek-stase)」と名づけたこの概念は、実存がどういうものかを示唆する要素となっている。実存主義が現実の人間性を強調するように一見するものの、その哲学の核心は「人間の現状をその本質とはみなさない」という点で一致している。
この観察は特に興味深いところがある。無神論的な実存主義者までが、実は聖書の基本的な教え—すなわち、創造と堕落—を確認しているのだ。この共通性は、聖書が同様に人間の現実の状態をその本来の性質とは認めていない、という事実に起因している。
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