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本と映画 ー 6月1日から6月14日

今月はアウトプットよりもインプットの気分で、読んだ本の感想や観た映画の感想を記録していなかった。ここで簡単に記録しておこうと思う。

【読んだ本】

「森があふれる」は、作家の妻が発芽する話。担当編集者、作家の愛人、作家自身、作家の妻。視点が切り替わりながら物語は進み、それに伴って作家の妻から発芽した芽は育ち続け大きな森となる。物語の奥、森の奥に進むほどに、ジェンダー論の色彩が強くなっていく。男女のすれ違い。女性の生きづらさ。発芽は、自意識の芽生えということなのだろうか。

「旅する練習」は、小説家の叔父(主人公)と小学6年生の姪との徒歩旅行記。フィクションではありながら、なんともいえないリアリティがある。コロナ禍のごく初期の頃、学校は休校になっていたけれどまだまだ感染者数は少なくてマスクも必須ではなかった頃の話。主人公は風景を文章でスケッチし、サッカー少女の姪はドリブルやリフティングを繰り返しながらの旅。主人公の書く文章がだんだん不穏なものになっていき、このほのぼのとした物語がハッピーエンドではないことを予感させる。タイトルが練習(文章やサッカー)の旅、ではなく「旅する練習」であることが印象に残った。

「あたしたちよくやってる」は、短篇小説&エッセイ集。小説はどれも女性が主人公で、女性として自由に生きることがテーマになっている。「きみは家のことなんかなにもしなくていいよ」は、小説とエッセイの中間のような作品で面白い。理想の生活を妄想する話。自分の好きなことを仕事にして、その仕事が周囲から尊敬されて、生活に必要な家事は誰かが快く引き受けてくれる。これは性別問わず人間として理想の生き方かもしれない。最後に収録された小説「超遅咲きDJの華麗なるセットリスト全史」も好き。好奇心を失わない、常識にとらわれない、かっこいいおばあちゃんになりたい。


【観た映画】

「舟を編む」は原作小説を読んでいるのでストーリーは知っていた。原作の世界を壊すことなく、映画は映画で良かったなという感じ。昔の出版社の雰囲気が良い。松田龍平とオダギリジョーの組み合わせに既視感を覚えたのは、いまやっているテレビドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」に二人とも出演しているからだ。このドラマは今期で一番好き。二番目がドラゴン桜で、三番目がイチケイのカラス。

「ファーストラヴ」の原作は未読。でも島本理生の作品はいくつか読んでいて、共通するモチーフがあるなと感じた。性的虐待や性的搾取。それも大人の男性から、未熟な少女に対しておこなわれるもの。読後感が悪いので彼女の作品はあまり読まなくなってしまった。それは現実から目をそむけることになるだろうか。「50歳と14歳の性交に同意はあるか」という問題が国レベルで討議されて、「同意はある。捕まるのはおかしい」という発言を現職議員がするような社会に私たちは生きている。こういう作品が小説の枠にとどまらず、映画というより大きな媒体でたくさんの人の目に触れたことはとても意義があることかもしれない。

「インセプション」は、人の夢の中に侵入して秘密を盗んだり記憶を植え付けたりする話。夢の中にも階層があって、時間の流れ方も違う。夢の中の夢、さらにそのまた夢の中の夢。冒頭のシーン、字幕版で観ているはずなのに音声が日本語でおかしいなと思っていたら、日本が舞台のシーンだった。渡辺謙が比較的メインの役で出ているせいだろう。

「ショーシャンクの空に」と「キューティブロンド」は、どちらも高校生の時に観たことがある。アマプラで配信されていて懐かしくなって再度観なおした。対照的な作品だけど、どちらも良い。

「ショーシャンクの空に」は細部をほとんど覚えていなかった。モーガン・フリーマンの存在感がすごい。ラストが明るいハッピーエンドなのが良い。漫然と生きていたらダメだなと思わされる。ちゃんと考えて生きていかないとダメだ。

「キューティ・ブロンド」はとにかくハッピーな映画。女性が容姿で偏見を持たれたりハラスメントを受けたりするのは世界共通なのだ。主人公のエルはそのたびに傷つき落ち込むけれど、持ち前の明るさで突き進んでいく。すべての人に理解されるのは、無理だろう。一人の人間としてできることといったら、努力して自分の価値を高めることで、嫌な人間を黙らせることくらいだ。自分が良い方向に変わると、引き寄せられてくる人間も良い人達が増えてくる。嫌な奴を合法的に抹消することはできないけれど、それ以上に良い仲間が増えて楽しく生きられる。そういうことってあるよなぁと、最近しみじみ思う。

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