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あのひとの読む本|きらきらひかる
趣味がほしいんや、と彼が言った。
いつものように本を読みながら。
あるじゃない、趣味。とその本を指さして私は言う。
彼は私をみて本をみて首を振った。
読書は趣味やないよ。ライフワークやから。
長野まゆみがすきなの、と言って
あぁ少年アリスのひとやろ。それだけ読んだことあるわ、
と返ってきたとき、私はびっくりした。
男性で、長野まゆみを読んだことのあるひとを、はじめて見たのだ。
浮気性で軽薄な彼は、意外にも、無類の読書ずきだった。
本なぁ、まあまあ読むで、と言うのは、別に女の子の気を惹くためではなかったらしい。
読書はひとに広い知見と思慮深さを与えるもの。
彼は、そう信じていた私に、読書の崇高さを疑わせた人間だ。
本から怠惰とけだるさと厭世観のみを抽出したみたいなひとで、彼を見ていると、本を読むのは善人のみではないのだと、つくづく思った。
あるとき彼が寝る前に読んでいた本を覚えている。
江國香織さんの本だった。
私は江國香織さんの本を読んだことがなかった。そして、彼の手元にその名前を見つけてからは、意図的に避けるようになった。
そのひとの読む本を読むのは、そのひとの心のうちを読んでしまうような気がする。
だから、私には読めなかった。
私のすきな作家さんが、すきな作家に江國香織さんを挙げていた。
『ぬるい眠り』が特に、とおっしゃていたので近くの図書館で探したが蔵書にはなく、かわりに『きらきらひかる』を借りてきた。
はじめて、江國香織さんの本を手にとった。
家に帰りそろそろとページをめくる。すこし緊張した。
寝る前に星を眺めるのが睦月の習慣で、両眼ともに一・五という視力はその習慣によるものだと、彼はかたく信じている。
冒頭のこの一文で、うわっと息がとまった。
その本をすきになるかどうかは、冒頭のほんの数行で、わかるときがある。
これは、まさにそんな本だと思った。
あのときの寝る前の彼は、本を閉じると大切そうに撫でたのだ。
あの子にも貸したことあるんや。彼女、読むほうやから。
彼が流行りもののタイトルを読むのは珍しいと思ったが、そういうことかと一瞬で察した。
そうして、たとえば『少年アリス』を、彼がこんなふうに撫でることなんてないんだろうなと思った。
とてもかなしかった。
だからずっと、江國香織さんの本は読めなかった。
いま、私の手に『きらきらひかる』がある。
江國香織さんの本はなんにも悪くないこと。
私だって、江國香織さんをすきになっていいってこと。
あのころがもう、薄まっていること。
そういうことを、手のなかのこの本は、やさしく教えてくれていると思う。