壊れたいわけじゃないし、壊したいものもない
僕はフラカンをそんなに知ってるわけじゃない。
でもこの曲を聴くと、丸みを帯びた黒髪のショートヘアの後頭部を少しだけ思い出すことができる。記憶は時に絶望、時に憧憬のように眩しい。
北海道出身の彼女は歌がうまかった。さすがYUKIや吉田美和や中島みゆきを輩出した大地。
その子はカラオケに行くと毎回必ずこの曲を歌った。フラカンなんて世代でも柄でもない女子大生のくせに、フレーズが強く引き立つほど魂を込めて毎回気持ちよさそうに熱唱する。そんな彼女のよく通る歌声や屈託のない笑顔がまるで昨日のことのように思い出される。とかなんとか書いたら詩的かもしれないけれど、もうあの頃の日々はずいぶんと遠くに感じる。
前回の記事で好きな異性のタイプについて書いたが、思えば彼女もその要件を満たすひとだった。純粋で可愛げがあって会話をしていて飽きない。何より尊敬できた。芸術肌で絵は描けるわ音楽は作れるわ写真も撮るわで、極め付けは短編映画を脚本監督して地元で賞をもらったりしていた。
そんな才気のある子が一緒にいて僕の冗談で爆笑してくれるのだから楽しかった。あるとき言われた「○○くんってさ、薄情な顔してるよね」という一言は、あまりに核心を突いていて、その表現にも感心していまだに記憶に残っている。
なんで別れたんだっけな。もう忘れてしまった。たしか最後は電話越しに、2人して嗚咽を漏らしたのだけは覚えている。
僕は感傷に浸るのが好きなので、感傷に浸れるほど甘酸っぱい思い出を最低限それなりに作ってこれたのはよかった。19歳のときに「エピソードのない生活は若さの浪費だ」と当時のブログに書き殴った自分に少しは報いることができたと思う。
もう二度と交わらない世界線だとしても、かつて交わることが出来た奇跡と、今もどこかに存在してくれてるであろう事実は、なんだか心強い。
僕は君の知らないひとと出会って、君の知らない時間を生きている。おそらく君も僕の知らないひとと、僕の知らない時間を生きている。成長したなんて口が裂けても言えない。口をついて出る言葉はすべて自分を納得させるための、自分に向けた言葉ばかりだ。
僕はまだ、あの頃と変わらない愚かさを抱えて、適度に被害者ぶったり主人公ぶったりしている。ポジショントークばかり上手くなってレーワまで生き延びた。いつまでも自分を特別だと思うのも、その逆に平凡で何もないと思い込むのも、どちらも傲慢だってことにようやく気付いたよ。
生きててよかった、そう恥ずかしげもなく言葉にできる瞬間を柄にもなく飽き足らずに探してる。
夜の街を歩くと春とも夏とも似つかない風だけが顔を洗っては逃げてゆく。