思い出はモノクローム 色を点けてくれ
井の頭線がホームに滑り込む。ドアが開くのと同時に足は迷わずに西口へと繋がる階段を降りる。改札を抜ければすぐにまた階段だ。光が挿し込むほうへと導かれるように上がると、地上に出た。
例年より梅雨入りが早く、不安定な空模様が続いたここ数日がまるで嘘みたいに抜けて広がる青空は、点々と白い雲を並べて夏の片鱗を覗かせる。鎌倉通りを少し歩いて右に折れる。勝手知ったる狭い路地だ。また新しいカフェが出来ている。ピザ屋の看板まで歩いて道なり左へ。
『花泥棒』の2階に自然と目がいく。今日は寄るつもりがなかったけれど、かれこれ10年以上も前から通った喫茶店だ。存在を肉眼で確認するだけでも安心する。そのまま古着屋の前に出て、土日らしい人混みを避け、さらにもうひとつ裏の通りを目指す。行き交う若い男女の数は以前と変わらない。変わったのは口もとの景色だけだ。
中華そば『一龍』は運よく待たずにすぐ座れた。ここもかれこれ初めて来てから10年は経ってる。当然のように中華そばを頼み、カウンターにある無料のツボ漬けをつまむ。テレビでは『アッコにおまかせ』がやっていて、星野源とガッキーの馴れ初めをアナウンサーが解説していた。
ここの中華そばは何度味わっても変わらない満足感を得られる。あっさりとしながらも旨味の染み込んだ黄金色のスープ。紅生姜とメンマは、麺のいいアクセントになってスープとよく絡み、チャーシューは薄めなのに歯応えがあってこれまた旨味が凝縮されている。あっという間に食べ終え、スープを綺麗に飲み干して街に戻る。
一番街に出てきた。南口商店街ほど人は多くないわりに多士済々と並ぶ良質なお店の数々。下北でぶらぶらするなら外せないルートだ。人気のスープカレーの店と新しく出来たラーメン屋には行列が出来ている。昔はもっとマイナーな商店街だったのにな。一番街を抜け、旧線路を通過してスズナリの前に出る。日曜だからマチネの公演でもあるのだろう。劇団スタッフらしき人や観劇客が目についた。かつては僕も何度も観劇した場所だ。
湾曲する茶沢通りを進み、古書ビビビへ。今泉力哉監督の『街の上で』では古川琴音が働いていた場所である。映画は個人的にオールタイムベスト級に突き刺さり、心が豊かに満たされる傑作だった。店内に立ち寄ると『街の上で』のパンフレットを見かけた。最後の1部のようだった。ちょうど欲しかったので、迷わず手に取り購入。レジの後ろには若葉竜也のサインが飾られていた。
思い出深いライブハウス、下北沢シェルターと、お笑いをやってる友人を何度か観に行ったシアターミネルヴァの間の道を抜ける。ミネルヴァの前にはお笑い芸人らしき人たちがたむろしていた。途中、新しくできたドンキホーテが目に飛び込んできた。下北にドンキなんて想像もできなかったのにな。
南口商店街の先、王将まで行き着く手前にある建物の2階『トロワ・シャンブル』でコーヒーを飲みたかったが、満席だった。仕方なく商店街を戻る形で記憶をたぐり寄せ、途中の雑居ビルの3階にあるカフェ『ブリキボタン』に入った。何年ぶりに来ただろう。でもすぐに変わらない雰囲気を感じ取った。店内は広くないものの、すべてソファ席なので居心地が良く、ゆったりできる。会計を済ませたばかりのカップルと入れ替わりで中に入れたのはラッキーだった。最近ハマっているクリームソーダを注文。鮮やかなグリーンに添えられた赤いチェリーと白いバニラはフォトジェニックのお手本のような美しさだった。
ストローからまずは一口飲むつもりが勢い止まらず、甘い炭酸はあっという間に全身に行き渡って渇いたからだを癒やしていった。
夜、ラジオから流れてきたのは藤原さくらがカバーする『君は天然色』。原曲の良さを引き出しながら、自分の色もブレンドする歌声とアレンジは見事だった。
街は変わり続ける。人が成長するのと同じように。変化を絶やさない景色の中で、それでも変わらないものと、新たに生まれてくるもの。その両方を、僕は下北沢を訪れては発見する。いや、むしろ発見したくて訪れている節がある。なんせここまで移り変わりの早い街もないから。
変わらないものが存在する心強さ。新しいものを受容する街の懐の深さ。洗練という風に吹かれながらも、思い出は確かに色味を増していく。