『チュベローズで待ってるAGE22・AGE32』加藤シゲアキ (ネタバレあり)【読書感想文】
お盆に読んだせいだろうか。まるで線香花火みたいな小説だと思った。
線香花火がぱちぱちとはじけるように、衝動的で、繊細で、甘く、苦い。
私はその線香花火を、いつまでも、見ていたいと思ってしまうくらい、惹かれてしまう。しかしその火は、線香花火のように、忽然と消え去る。
花火が終わった後、寂しいような切ないような不思議な感情を残していく。
いくら感想を探しても、言葉にしてもしきれない。この本は私の特別な本になると思う。
物語は二巻に分かれている。一巻目の開幕編では、22歳の主人公・光太が、二巻目の完結編では、32歳の光太の物語が、それぞれ描かれている。
AGE32の本のあらすじには「ジェットコースター・ミステリー」と書かれていたが、実際に読んでみると、その言葉が確かにしっくり来た。
物語はまさしくジェットコースターのようで、続きを読むのが怖くなるのに、惹き込まれてしまった。
※以下、本編のネタバレを含む感想になります。
また、個人的な考察や解釈も含まれます。
衝動的な「鬼王」の影と若者の孤独
AGE22に登場する「鬼王」の正体とは、抱えきれない孤独や絶望から巻き起こる、衝動的な行動のように思えた。
ユースケは実の母親よりもおばの美津子に懐いており、美津子の自殺の真相に異様に執着していた。
最後、ユースケの母・悦子の口から、ユースケの生い立ちが語られる。
ユースケは時折、子供っぽい姿を見せていた。それは彼の中にある、幼い頃の寂しくて孤独な記憶から生まれたものだろうか。
そんな中、唯一ぬくもりを感じられたのは、伯母の美津子の存在だった。彼女は彼にとって救いのような存在だったのかもしれない。
しかし、ユースケは15歳の時、美津子さえ失ってしまう。
彼は抱えきれない孤独を一人で抱えながら、それは少しずつ形を変える。美津子への執着心は、異様なほど膨れ上がる。やがて自分の理性を失わせ、人に襲いかかってしまうほどの狂気へと変わる。
理性を失った、衝動的なユースケの姿は、22歳の頃の光太とも重なる。
ミサキと雫が揉めて、彼女に手を上げてしまう。逃げる雫を追いかけるうち、光太は理性を失う。衝動に駆られて殴りかかり、やがて乱闘騒ぎになってしまう。
やがて32歳になった光太は22歳の頃よりも落ち着き、大人になっていた。冷静に問題を分析し、考えるようになっていた。
そんな光太とは反対に、光太よりも年下の登場人物は衝動的な行動をとり、光太はそれを冷静に対応していく。
ユースケは「美津子を殺した人」を突き止めるため、人を監禁したり、襲い掛かかったり、最後は美津子同様に自殺をするなど、自信をコントロールできない、危うい行動が描かれている。
また、高校生に成長した光太の妹・芽々は、家出をしてしまう。年齢を誤魔化しながら水商売を始める。彼女の行動は「後先を考えない」ような衝動的なもの。
家出した芽々を見つけた光太に対しても、反抗的な態度をとるものの、光太はそんな彼女の感情を否定せず、泣き出す彼女の背中をそっとさすった。
「人のにおいがする」
作中には何度も「におい」に関する表現が、繰り返し登場する。その中の一つに、「人のにおい」という表現がある。私はこの言葉が印象的で、そこには人のぬくもりがあるものの、どこか寂しさを感じてしまう。
光太の中で渦巻く苦しみを癒してくれるもの。それが、「人のにおい」だったのではないだろうか。
就活による焦りや不安、社会との疎外感。光太はそんな重たい苦しみを抱えながら生きていて、かなり限界だったのだろう。
だからこそ、光太は美津子を求めた。
人のにおいを感じたり、触れることによって、光太は孤独や葛藤から自分を解放して、安心させることができたのではないだろうか。
八千草の策略
「人のにおい」という表現は、AGE32で八千草と光太が会話する場面にも登場している。
「36 ポール・ワイスの思考実験」では、それまで語られなかった光太の過去、そして亡くした父の存在が明かされる。
父親が亡くなったこと、それによって背負ってきた責任感や、家族との関係。それらは、光太の心に重くのしかかり、抱えてきたもの。22歳の頃から変わらず、見ないふりをし続けてきた部分だろう。
光太が背負ってきたもの。光太の弱み。自分で見ないふりをしてきた部分。そこをふいに突かれた光太は、それまで何とか保っていた自分のペースを崩されてしまう。
光太の揺らいだ心の隙間には、父の面影を思わせるような、八千草の温かい言葉や人肌が入り込んでいく。そうして次第に、光太は八千草に心を許していく。
231ページ、涙を流す光太に、八千草はハンカチを差し出すと、光太は「ハンカチから人のにおいがする」と感じる。
それは美津子からも感じていたのと、同じ表現である。そのにおいは、就活時代、崩れ落ちそうだった光太の心を、なんとか支えたものでもあった。
八千草を殴るユースケに対して、「やめろ、その人を殴るな」と言って、ユースケと揉み合いになる。味方だったはずのユースケから、八千草を必死に庇おうとすることから、光太はすっかり八千草のペースに飲まれているように見えた。
八千草は光太が美津子の死の真相を自分に聞きにくることを予想していた。そして、それが自分に好都合に働くための作戦を練った。
光太の経歴を全て調べた上で、光太の弱い部分を握り、攻略して、コントロールしようとした。それは心理学の本も読んで理解していた八千草・兄だからこそ、出来たことだ。
しかし、その作戦は、ユースケが暴れ狂うという予想外の出来事によって、一旦、強制的に途切れることとなる。
光太は八千草のイヤホンから聞こえる声によって、初めて八千草・兄の存在、そして彼らの秘密を知ることとなった。
光太を縛る首輪
八千草・兄弟の壮絶な人生は、冷酷なほどに丁寧に、ゆっくりと、淡々と語られてゆく。そんな八千草のペースに、光太は飲まれてゆく。
八千草・兄は落ち着いた口調で、暴力的なこともしていないはずなのに、彼の言葉の節々からは少し狂気が滲み出ているような怖さがあった。
八千草と美津子との間に起こった事実、そして美津子が光太に近づいた理由。光太は脇役にすぎない、利用されただけで愛してなかったということ___。
八千草の行動には、暴力なんてなかった。けれど、それ以上の頭脳と知識、そして冷酷とも呼べるようほど冷静に、言葉を並べていく。
真実は八千草の言葉通りであるかのような、八千草が全てを操っているかのように思えた。
疑うべきなのは自分なのか、八千草なのか、美津子なのか。どこまでが真実なのか。混乱した光太の中には、それらの見分けなんてつかないまま、八千草の言葉が入り込んでいく。
少し洗脳にも近いような言動が、光太の中に入り込もうとしていく。八千草の言葉によって、光太の首元には首輪がはめられていく。
八千草は、まるで光太をゲームの駒のようにコントロールして、支配しようとしているみたいに思えた。
八千草・兄の語っていく話の中には、真実や事実の中に、八千草の推測も織り混ざっている。それは「美津子は光太を愛していなかった」という、八千草・兄にとって都合の良い解釈だった。
それは八千草・兄が「美津子が自殺した理由だけがわからなかった」せいか。それとも、まだ美津子への未練が残っていて、光太に少しでも嫉妬心があったせいだろうか。
八千草・兄弟の結末
もし八千草が悪者だったら。彼らが悪いことを企んでいた悪者と定義できたら、彼らを恨むこともできただろう。もしかしたらその方が、ずっと楽だったかもしれない。
しかし、八千草は悲劇の主人公だった。さまざまな出来事に苦しみ、戸惑いながらも、生きるために、必死にもがいていた。ただ生きたがっていたのかもしれない。
彼はたくさん本を読み、知識も思考力もあり、賢いのに、どこか「人間らしさ」に欠けているような気がした。それは外見のせいではなく、彼が人肌に触れずに、自分の中に閉じこもって生きてきたせいだろう。
八千草・兄は、孤独や葛藤をゲームで解消してきた。自分の欠けた部分を見ないふりをしながら、ゲームの楽しさでごまかしながら生きていた。
しかし、いくら技術が進化したゲームでも、人の温もりまでは補うことができない。
そして、美津子と出会い、人の体温を知ってしまった。八千草は戸惑い、次第に自分をコントロールできなくなっていく。
それは次第に狂気に変わってしまう。美津子の死の悲しみや苦しみから逃れたがっているかのような、少し狂気じみた言葉。
八千草は「導いてあげるよ」と光太に手を差し伸べていた。それは自分を超える存在である光太を、コントロールしたかったからだろうか。
八千草・兄の言葉は、光太を縛ろうとするが、光太はそれを拒んだ。
そんな八千草兄弟の「人生ゲーム」は、悲劇的な結末を迎えて、終わった。
美津子のUSBメモリ
八千草の事件が全て片付いた頃、光太に光が差すかのように、光太の元にはUSBメモリが届く。そこには美津子の姿が映し出されていた。
美津子から語られたその言葉が、なんて綺麗なんだろうと思った。透明の美しい、繊細なガラスみたいで、見惚れてしまった。
良かった、って思った。美津子の言葉が、心から嬉しくて、安心して、ほっとした。
22歳の光太と過ごした日々、美津子のぬくもりが、偽物じゃなかったということが、嬉しかった。
それと同時に寂しさと、苦しさと、いろんな感情が湧き起こる。けれど、その感情も含めて好きだと思った。
外された光太の首輪
美津子との出会いによって、光太は少しずつ、「八千草・兄のコントロールするゲーム」のもとへと、引きずりこまれていった。
もしも八千草の兄の言う通り、「美津子は光太を利用しただけで、全く愛していなかった」なんて言われたまま終わったら、もう何も信じられなくなりそうなくらい、悲しすぎると思った。
しかし光太は、"美津子の亡霊"に首輪を握られていたわけではなかった。
私は最初、この場面を読んで、「美津子が光太の首輪をほどいた」という読み方をしていた。
しかし、八千草の言葉によってかけられた鎖を、光太は自分の手で外すことができた、という読み方もできることに気がついた。
光太は美津子に甘えず、自分で首輪を外せる強さを持つ人に成長した。
耐えきれないほどの苦しみや責任を背負ったとき。衝動に駆られて人を殴りかかったとき。光太が八千草・兄に飲み込まれそうになったとき。それでも彼はその先を生き続ける、強さを持っている人。
美津子の言葉を聞いて、光太はようやくそれに気づき、光太の首輪がほどかれる。
チュベローズで待ってる
美津子の真相は、いろんな人の視点から語られていく。物語が進むたび、パズルのピースを重ねるように、明らかになっていく。
それらのピースはどんどん繋がって、ひとつの形を表そうとする。けれどそれを見たくないような、でも知らなければいけないような気もする。
そして、美津子の口から、最後のパズルのピースが紡がれていく。
「愛してた」という言葉が、パズルにぴたっとはまったとき、この物語は、美しく綺麗な景色へと変えた。
渦巻く人の感情、影、闇。大変なこと、ショッキングな出来事、知りたくなかったこと……そういうものたちを包み込んで、そっと照らすようだ。
美津子は美しくて、綺麗で、賢く、強く、たくましくて、こんなのずるい。
「愛してた」という、たった一言が、こんなに心に染み透るのも、きっと、それまでのジェットコースターのような展開があったからだろう。美津子は光太を愛していた。それだけで、もう、じゅうぶんだと思った。
それは光太の言葉のはずなのに、まるで私の心をなぞっているかのように思えた。本の中に流れる感覚が、活字を通じて現実の私の中にまで浸透していく。
読み手である私が彼に感情移入しているのか、光太というキャラクターが、読み進める読者の気持ちをなぞっているのか。どちらにしても、私は溺れるように最後の場面を読んでいた。
「ジェットコースター・ミステリー」
パズルのピースを重ねるように、じんわりとミステリーが展開されていく。
読み進んでいくうちに、だんだん頭の思考が追いつかなくなって、頭で考えるよりも先に心で感じる感覚の方が先を越していった。
それでもページをめくる手が止まらなくて、夢中になった。私はこのジェットコースターのような小説を、一気に読み終えてしまった。
この本を読み終わったあとの、なんともいえない余韻。
読み終わった直後は、「すごい」「やばい」という言葉しか思いつかなくて、この感覚にぴったりと当てはまる言葉が見つからないことがもどかしかった。
活字を追うたび、自分がこの物語に触れているのか、この物語に自分を触れられているのか、わからなくなっていく。それでも、最後には好きだという感覚だけが残っている。
ある意味では、ふたりはハッピーエンドを迎えられたように思える。
だけどほんのりと寂しくて、切なくて、恋しくて、苦しくて、辛くて、愛おしい。不思議なにおいの余韻に包まれながら、私はしばらくのあいだ、この感覚に浸って、漂っていたいと思った。