古代のイノシシ儀礼とイノシシの自己家畜化・半飼育
僕は千葉市昭和の森で、2021年1月から、野生のイノシシの観察を続けています。トップ写真は2022年7月に昭和の森に現れたウリ坊(イノシシの幼獣)です。家族と離れてしまったようで、いつも独りでやってきていました。
現代は野生のイノシシと出会うことは少ないですが、イノシシは古代人にとって身近な存在でした。縁にイノシシ形突起のついた土器が見られたり、古墳時代にはイノシシ形埴輪が作られたりしています。
ちなみに、僕のプロフィールのアイコンは、千葉県市原市出身のイノシシ形埴輪です。
取掛西貝塚のイノシシ儀礼跡
古代の遺跡からは、イノシシを使った儀礼と思われる跡がたくさん出土しています。
※骨の写真が出てきますので、苦手な人は閲覧ご注意ください。
例えば、千葉県船橋市の取掛西[とりかけにし]貝塚では、イノシシの頭蓋骨を集めて並べ、火を炊いた跡が見つかりました。イノシシは7体でした。積み重なった貝殻(貝塚)の下からでした。縄文時代早期(約1万年前)のイノシシ儀礼跡と考えられています。取掛西貝塚は2021年10月に船橋市で初めて国の史跡に指定されました。
取掛西貝塚の紹介サイト(千葉県船橋市)
纏向学[まきむくがく]研究センター(奈良県桜井市)が2022年8月に刊行した論文集『纏向学の最前線』に、イノシシ儀礼に関する論文がありましたので紹介します。
論文:弥生集落におけるイノシシ属下顎骨穿孔・配列の再検討
筆者:宮路淳子氏(奈良女子大学教授)
宮路さんは、①遺跡によってイノシシの年齢構成には2グループがあり、家畜化のパターンに違いが見出せること、②イノシシの家畜化によるヒトでの感染症発生が想定されるかもしれないことを論じています。
①イノシシの年齢構成と「完全家畜化」「自己家畜化」
遺跡によって年齢構成は2グループ
論文からの引用です(小見出しは僕が追加)。
「完全家畜化」「自己家畜化」については後ほど説明します。
取掛西貝塚と金生遺跡
イノシシ骨の配列は下顎骨が138体も出土した山梨県の金生「きんせい」遺跡(縄文晩期)が有名です。一方、取掛西貝塚は縄文早期の最古の儀礼跡であること、下顎骨だけでなく頭蓋骨で出土したことが特徴だと思います。
自己家畜化とは?
ここで「自己家畜化」という聞きなれない用語について説明します。
米国の科学ライター(神経生物学・行動学博士)であるリチャード・C・フランシスさんは、イノシシからブタへの家畜化について、2ルートを想定しているそうです。「最初から人間が管理する完全家畜化」と「自己家畜化したイノシシをその後に人間が管理する完全家畜化」です。僕は以下のように理解しました。
完全家畜化:ヒトが餌づけするなど、積極的に関与して野生動物を家畜化すること
自己家畜化:餌づけはされない。野生動物がヒトの残飯や農作物などを狙って集落の近くに住み、ヒトと協調するほうが生存のためには効率的であることを覚え、家畜化されていくこと(野生動物が自ら家畜の道を選ぶこと)
なるほど、確かに自己家畜化という過程もあったかもしれません。ただ、イノシシが自ら家畜としての遺伝子を獲得するまでには(特にヒトを襲わなくなるまでには)、とても長い時間がかかったと思います。
現代でも、神戸市では野生イノシシが家庭ごみを狙って住宅街に出てきます。ヒトから食べ物を得られることを覚えたイノシシは、ヒトを襲います。彼らがヒトとの協調性を学び、自己家畜化することは、すぐには考えづらいです。
一方、「完全家畜化」はわかりやすいです。ウリ坊の時から育てると、イノシシはヒトになつきます(僕も育ててみたい)。
YouTuberのアリス組Familyさんは、離島で野生鳥獣保護ボランティアをし、いわゆる多頭飼いをしています。ウリ坊のゴン太も登場します。とても愛らしいです。
コメの伝来を描いた小説『二千七百の夏と冬』(荻原浩、2017年)では、完全家畜化されたイノシシが描かれています。この小説はウルクとカヒィの恋の物語であり、ウルクが幾多の危機を乗り越えるサスペンス小説であり、歴史小説、反戦小説、社会問題(SDGs)小説でもある秀作です。
まさか縄文・弥生時代が小説になるとは! NHK大河ドラマになってほしいです。イノシシ狩りも出てくるので表現が難しいとは思うのですが。
半飼育の可能性
「自己家畜化」「完全家畜化」の他に、僕はもう1つの家畜化があったと思います。イノシシの「半飼育」です。
これは『猪の文化史考古編』(雄山閣、2011年)の中で、新津健(にいつ・たけし)さん(元・山梨県埋蔵文化財センター所長)が述べています。
新津さんによると、2005年に山梨県で飼育されたウリ坊のはな子が、2月にいったん山に入って帰ってこなくなったと思ったら、何と5月にお腹を大きくして帰ってきて、「実家」で出産したという事例が報告されています。本能的に実家が安全なことがわかっていたのでしょう。
縄文弥生、弥生時代にも同じことはあったと想像できる事例です。このような半飼育のイノシシもイメージできるのではないでしょうか。僕も集落と山の中を自由に行き来するイノシシを想定したいです。
家畜化していたウリ坊が儀礼に使われたのだとすると…特に子どもたちにとっては、ウリ坊との涙の別れがあったのかもしれません。
①のまとめ
幼獣(ウリ坊)は狩猟対象ではない
儀礼に使われるイノシシは家畜化されたイノシシである
年齢構成は、幼獣・若獣を中心とするグループと成獣を中心とするグループに大別できる
宮路さんは、幼獣・若獣は「完全家畜化」、成獣は「自己家畜化」のパターンを示しているのではないかとする
僕は新津さんの説を支持し、「半飼育」も想定する
②イノシシの家畜化による感染症の発生?
宮路さんの論文のもう1つのテーマは、イノシシの家畜化による感染症の発生です。
確かに、弥生後期には近畿地方にしか、イノシシ儀礼が残っていないのは不思議です。
宮路さんもコメントしているとおり、感染症の発生は、一緒に出土する弥生人骨で検証する必要があります。弥生人骨はいい状態で出土することが少ないと聞いていますが、宮路さんは「別稿で論じる」としていますから、既にある程度の検証が進んでいるのかもしれません。
儀礼には辟邪[へきじゃ=災いを避ける]という意味があったでしょうから、古代人は感染症を怖れ、イノシシ儀礼を行った可能性はあると思います。イノシシ儀礼が衰退していったということは、感染症も減っていったのでしょうか。
千葉市昭和の森にとって冬から春がイノシシの季節です。イノシシの掘り返し跡が増えてきました。昨日(2022/11/30)は目撃情報も寄せられました。
付き合い方を間違えなければ、昭和の森のイノシシがヒトを襲うことはありません。古代のように、イノシシと共生できる森になることを祈っています。
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(追記2023/3/3)
僕が入院中の2023/1/20に『纏向学の最前線』がPDFで公開されました。編集部に感謝します。
宮路さんの論文は分割版1(p85-94)となっています。
https://www.city.sakurai.lg.jp/material/files/group/54/10thcontents_1.pdf
なお、宮路さんの論文には誤記があると思います。
p88右
×幼獣をそこに含む下郡桑苗、唐古・鍵(中期)のような事例と…
〇若獣をそこに含む…
(図2を見るかぎり2遺跡とも幼獣は含まないように思います。僕がかん違いしていたらすみません)
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