見出し画像

「新紙幣と旧紙幣の肖像画に描かれた人物と裏面にまつわるエピソード」

Ⅰ「千円札」「五千円札」「一万円札」の紙幣の変遷、およびそれにまつわるエピソードについて

「千円札」「五千円札」「一万円札」の肖像に描かれた人物の変遷

(1)肖像画に描かれた人物の変遷について

千円札 (せんえんさつ)

日本武尊 (やまとたける)
1942年の千円札: 日本古代の英雄で、日本書紀や古事記に登場する伝説の人物。各地で多くの戦いを繰り広げたとされています。

聖徳太子 (しょうとくたいし、574-622)
1949年の千円札: 飛鳥時代の政治家、皇族。推古天皇の摂政として、中央集権国家の基礎を築いた人物であり、十七条憲法を制定したことで知られています。

伊藤博文 (いとう ひろぶみ、1841-1909)
1963年の千円札: 明治時代の政治家で、日本の初代内閣総理大臣。大日本帝国憲法の起草者としても有名です。

夏目漱石 (なつめ そうせき、1867-1916)
1984年の千円札: 明治から大正にかけての小説家、評論家。代表作には『吾輩は猫である』や『こころ』があります。

野口英世 (のぐち ひでよ、1876-1928)
2004年の千円札: 明治から昭和にかけての細菌学者。黄熱病の研究で世界的に知られています。

北里柴三郎 (きたさと しばさぶろう、1853-1931)
2024年の千円札: 明治から昭和にかけての医師、細菌学者。破傷風菌の純粋培養や血清療法の開発で有名です。

五千円札 (ごせんえんさつ)

聖徳太子 (しょうとくたいし、574-622)
1957年の五千円札: 千円札の説明と同じです。

新渡戸稲造 (にとべ いなぞう、1862-1933)
1984年の五千円札: 明治から昭和にかけての教育者、農学者、国際連盟の事務次長。著書『武士道』は世界的に有名です。

樋口一葉 (ひぐち いちよう、1872-1896)
2004年の五千円札: 明治時代の女性作家。代表作には『たけくらべ』や『にごりえ』があります。

津田梅子 (つだ うめこ、1864-1929)
2024年の五千円札: 明治から昭和にかけての教育者。津田塾大学の創立者で、日本の女子教育の発展に貢献しました。

一万円札 (いちまんえんさつ)

聖徳太子 (しょうとくたいし、574-622)
1958年の一万円札: 千円札の説明と同じです。

福沢諭吉 (ふくざわ ゆきち、1835-1901)
1984年、2004年の一万円札: 明治時代の思想家、教育者。慶應義塾の創立者であり、『学問のすすめ』の著者として有名です。

渋沢栄一 (しぶさわ えいいち、1840-1931)
2024年の一万円札: 明治から昭和にかけての実業家。日本の資本主義の父と称され、多くの企業の設立に関わりました。

これらの人物は、それぞれの時代において重要な役割を果たし、日本の歴史や文化に大きな影響を与えました。

(2)「紙幣の裏面に描かれたデザインの変遷について」

千円札 (せんえんさつ)

彩紋と文字 (1942年)
1942年の千円札: 裏面には、装飾的な模様(彩紋)と日本語の文字が描かれています。

法隆寺夢殿 (1949年)
1949年の千円札: 奈良県にある法隆寺の夢殿は、聖徳太子に関連する仏教建築物で、日本最古の木造建築の一つとされています。

日本銀行本店 (1963年)
1963年の千円札: 東京にある日本銀行本店の建物が描かれています。日本の金融の中心地であることを象徴しています。

丹頂 (たんちょう) (1984年)
1984年の千円札: 丹頂鶴が描かれています。丹頂鶴は日本の特別天然記念物で、美しさと長寿の象徴とされています。

富士山と桜 (2004年)
2004年の千円札: 日本の象徴である富士山と桜が描かれています。富士山は日本の最高峰であり、桜は日本の国花として愛されています。

神奈川沖浪裏 (2024年)
2024年の千円札: 葛飾北斎の有名な浮世絵「神奈川沖浪裏」が描かれています。この作品は「冨嶽三十六景」の一つで、波の力強さと富士山の静けさが対照的に描かれています。

五千円札 (ごせんえんさつ)

日本銀行本店 (1957年)
1957年の五千円札: 千円札と同様に、東京の日本銀行本店が描かれています。

富士山と赤松 (1984年)
1984年の五千円札: 日本の象徴である富士山と、松の木が描かれています。松は長寿や不老の象徴とされています。

燕子花図 (かきつばたず) (2004年)
2004年の五千円札: 尾形光琳による「燕子花図(かきつばたず)」が描かれています。この絵は国宝に指定されており、色鮮やかな燕子花(あやめ)が描かれています。

藤の花 (2024年)
2024年の五千円札: 藤の花が描かれています。藤は日本の伝統的な花であり、古くから詩歌や絵画に多く登場しています。

一万円札 (いちまんえんさつ)

鳳凰 (ほうおう) (1958年)
1958年の一万円札: 鳳凰が描かれています。鳳凰は中国や日本の神話に登場する伝説の鳥で、平和と繁栄の象徴とされています。

雉 (きじ) (1984年)
1984年の一万円札: 雉が描かれています。雉は日本の国鳥であり、美しさと力強さの象徴とされています。

平等院鳳凰堂の鳳凰像 (2004年)
2004年の一万円札: 京都府宇治市にある平等院鳳凰堂の屋根に設置されている鳳凰像が描かれています。平等院は藤原道長が建立した寺院で、その建築は日本の文化遺産として非常に重要です。

東京駅 (2024年)
2024年の一万円札: 東京駅が描かれています。東京駅は日本の主要な交通拠点であり、その赤レンガの建物は歴史的建造物として有名です。

これらのデザインは、日本の自然、文化、歴史を象徴するものであり、紙幣に描かれることで日本のアイデンティティを表しています。

Ⅱ「日本武尊」について

日本武尊(やまとたける)は、日本古代の伝説的な英雄であり、『日本書紀』や『古事記』に登場する重要な人物です。以下に彼の詳細な説明をします。

出生と背景

日本武尊の本名は小碓命(おうすのみこと)で、第12代景行天皇の皇子です。彼の出生に関しては、『古事記』と『日本書紀』で若干の違いがありますが、いずれも天皇家に連なる高貴な出自とされています。

若き日の勇猛

若い頃から非常に勇敢で、豪傑な性格であったと伝えられています。彼の最初の大きな業績は、熊襲(くまそ)と呼ばれる反乱軍の討伐です。熊襲討伐の際には、敵の大将を偽りの宴会で油断させ、その機をついて討ち取ったとされています。この行動から、彼の智勇と機転がうかがえます。

東征

その後、日本武尊は東国(現在の関東地方)に派遣されます。ここで彼は、多くの部族や反乱勢力を平定しました。東征の際のエピソードとして、彼が草薙剣(くさなぎのつるぎ)を用いて草を薙ぎ払い、火攻めを逃れた話が有名です。この草薙剣は、後に熱田神宮に奉納され、現在でも日本の三種の神器の一つとされています。

伊吹山の戦いと最期

東征後、日本武尊は西に向かい、多くの戦いを繰り広げます。しかし、伊吹山での戦いで大雪に見舞われ、深刻な体調不良に陥ります。『日本書紀』によれば、彼は帰途の途中で病気が悪化し、伊勢の能褒野(のぼの)で亡くなったとされています。

伝説と信仰

日本武尊の伝説は、日本各地で信仰の対象となっています。彼を祀る神社や、彼の足跡が残る地名が多数存在し、その中でも有名なのが愛知県の熱田神宮です。ここには草薙剣が奉納されており、日本武尊の霊威が感じられる場所とされています。

文学と文化

日本武尊の物語は、古代日本の武勇伝として多くの文学作品や歌舞伎などの演劇で取り上げられています。彼の英雄的な行動や悲劇的な最期は、多くの日本人の心に深く刻まれており、今日でも彼の物語は語り継がれています。

このように、日本武尊は日本の古代史において非常に重要な人物であり、彼の勇猛さや智謀、そしてその悲劇的な運命は、後世の日本人に多大な影響を与えています。彼の物語は、日本の文化や歴史の理解を深める上で欠かせない要素となっています。

Ⅲ「第一国立銀行と渋沢栄一」

「第一国立銀行の模型」(「江戸東京博物館」所蔵、出典:「江戸東京博物館」のSNS)

第一国立銀行(だいいちこくりつぎんこう)は、日本で初めて設立された銀行であり、日本の近代銀行制度の礎を築いた機関です。以下にその歴史や役割について説明していきます。

設立の背景と経緯

  • 設立年: 1873年(明治6年)

  • 設立者: 渋沢栄一を中心とする一団

  • 設立目的: 明治政府が貨幣制度の整備と経済の安定化を図るため、国立銀行条例を制定し、その一環として設立されました。

渋沢栄一の役割

渋沢栄一(1840-1931)は、第一国立銀行の設立に大きな役割を果たしました。彼は、西洋の銀行制度を導入し、日本における近代的な銀行システムの確立に尽力しました。また、渋沢は実業家として多くの企業の設立に関与し、日本の経済発展に大きく貢献しました。

建物とその特徴

第一国立銀行の建物は、1872年に三井組の本拠地として建てられ、翌年、第一国立銀行の社屋となりました。この建物は洋風建築の影響を受けたもので、当時としては革新的なデザインでした。建物の特徴的な外観は、東京名所として広く知られ、錦絵などの芸術作品にも描かれました。

業務と役割

第一国立銀行は、日本で初めての近代銀行として、多くの革新的な業務を行いました。例えば、紙幣の発行や預金業務、貸付業務などが含まれます。これらの業務を通じて、日本の金融システムの基盤を構築し、経済の発展を支えました。

後の展開

  • 1876年: 国立銀行条例が改正され、他の国立銀行が設立されるようになりました。

  • 1896年: 第一国立銀行は、普通銀行に転換され「第一銀行」となりました。

  • 1943年: 第一銀行は、横浜正金銀行と合併し、「第一勧業銀行」となりました。

  • 2002年: 第一勧業銀行は、富士銀行および日本興業銀行と合併し、「みずほ銀行」となり、現在に至ります。

第一国立銀行の設立とその後の発展は、日本の近代金融システムの確立に大きな影響を与えました。特に渋沢栄一の功績は、日本の経済史において非常に重要な位置を占めています。

ここから先は

2,943字 / 4画像
この記事のみ ¥ 250

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?