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「母国語(母語)で博士論文が書くことのできることの意義と問題点について-日本語の場合を例に-」

今回は、母国語で博士課程まで学べる環境の重要性や、それを可能にしている日本の特殊性について、他国の場合と比較しながら具体的に考えていきたいと思います。


1. 言語と教育の密接な関係

言語は単なるコミュニケーションのツールではなく、知識の創造、蓄積、伝達の根幹です。母国語で教育を受けられることには、以下のような深い意義があります。

思考と言語の一体性

学術的な理解や探究は、言語を通じて深まります。母国語で教育を受ける場合、学生は抽象的な概念や専門用語を、すでに慣れ親しんだ言語で学ぶことができ、より自然な形で「知識」を吸収できます。
一方、外国語(主に英語)で教育を受ける場合、言語のハードルが理解を妨げることが少なくありません。例えば、特定の学問領域(哲学、文学、歴史など)では、言語とその文化的背景が不可分であり、母国語で学ぶ方が本質的な理解が可能です。


2. 日本の学術的独立性

日本は自国語で学術活動を行える数少ない国の一つです。これを可能にしている背景には、日本が長年にわたって構築してきた独自の学問体系と、学術用語や翻訳の体系的整備があります。

学術用語の整備

19世紀の明治時代以降、西洋から輸入された科学技術や思想を日本語に翻訳するため、膨大な数の新語が作られました。「物理」「心理」「経済」などの言葉は、西洋の学問概念を日本語に適応させる過程で生み出されたものです。このような翻訳努力により、日本語で複雑な学問分野を議論する基盤が形成されました。

日本語による研究蓄積

例えば、工学や医療、文学といった分野では、膨大な量の日本語文献が存在します。これにより、学生や研究者は日本語で主要な文献を読むことができ、研究を深めやすい環境が整っています。この蓄積がなければ、博士課程のような高度な教育は日本語だけでは成立しません。


3. 母国語教育のグローバルな比較

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