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「紫式部による清少納言批判」

原文:

清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、真名書きちらしてはべるほども、よく見れば、まだいとたらぬこと多かり。かく、人にことならむと思ひこのめる人は、かならず見劣りし、行くすゑうたてのみはべれば、艶になりぬる人は、いとすごうすゞろなるをりも、ものゝあはれにすゝみ、をかしきことも見すぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにもなるにはべるべし。そのあだになりぬる人のはて、いかでかはよくはべらむ。

「紫式部日記」より

現代語訳:

清少納言という人は、自信たっぷりで得意げにしていた。あれほど賢そうにして、漢字(真名)を使って書き散らしていたが、よくよく見てみると、まだまだ足りないところが多かった。このように、他の人とは違う特別な存在であろうとすることを好む人は、必ず劣って見えるし、将来は哀れな結果に終わるだけだ。自然体で優雅な人は、たとえ寂しげでわけもなく感じる時でも、物事に感動して心を揺さぶられ、面白いことも見逃さずにいるため、自然と軽薄ではない、しっかりした姿になるだろう。だから、軽薄に成り果てた人の末路が、どうして良いものであろうか、いや、良くなるはずがない。

解説:

この文章では、紫式部が、平安時代の著名な文学者である清少納言を取り上げて、その態度や行動について批評しています。以下、ポイントごとに詳しく解説します。

1. 清少納言への批判

「清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人」という冒頭の文は、清少納言が自信満々に振る舞っていた様子を描写しています。「したり顔にいみじう」という表現は、「得意げな態度で非常に偉そうに」という意味です。つまり、清少納言は自分の知識や才能を誇示し、他人に対して自信に満ちた態度で接していたとされています。

2. 「真名書きちらして」の意味

「真名」とは、漢字のことを指します。平安時代の日本では、漢字は知識と教養の象徴であり、高貴な人々や知識人が使うものでした。清少納言は、この漢字を多用して、あたかも自分の教養を見せつけるように書いていたことがわかります。「書きちらして」という表現からは、やや軽率に、無造作に書くというニュアンスが感じられ、それが逆に知識をひけらかしているように見えると暗に批判しています。

3. 「よく見れば、まだいとたらぬこと多かり」

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