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ぼくらはせまい水槽から出ないといけない - 介護とメジナの話
酒井穣さんという方がどれだけ知的でカッコいい大人か、ということについては魂を込めてこちらの記事に書いた。
そんな酒井さんが書かれた書籍を読もうと探していたところ、この本を手にした。
『ビジネスパーソンが介護離職をしてはいけないこれだけの理由』
今自分が差し迫って介護のことを何かしないといけないという状況には幸いなことにない。だけれども (もしくはだからこそ) こういった類の本を読むことがなかった分、とっても貴重な機会かなと思いポチッと買うに至った。
本書は親の介護に伴う離職、そのリスクと回避の仕方について分かりやすく解説したものだ。介護離職をすると再就職や年収維持がどれだけ難しいことか、「介護離職をしたほうが介護に集中できて負担が減る」という誤解がいかに危険なものか、といったことついてデータとともに包み隠さず記している。介護のプロと人脈を作ることがいかに大事かなど、具体的な示唆も惜しみなく提供する。
こう書くと「介護に今困っている人向けに書かれたハウツー本ね」と思われるかもしれないけれど、そこはやっぱりこの著者のすごいところ。この書籍の本質は最初の1ページに集約されている。
自立という言葉は残酷です。これほどまでに誤解され、結果として多くの不幸を生み出している言葉はないからです。
まず自立とは、誰にも頼ることなく生きられる状態ではありません。これが人間を不幸にする決定的な誤解です。真の自立とは、その人が依存する先が複数に分散されており、ただ一つの依存先に隷属(奴隷化)している状態から自由であることです。
自立が進んでおらず、ただ1つの依存先しかないと、個人は、依存先に対する交渉力を失います。これは、依存先の言いなりということです。ですから交渉力を失うと、相手に隷属することになってしまいます。結果として、自分の人生のあり方を自分で選択することができなくなるわけです。
え、自立の話?これが介護とどう関係があるんだろうか。
「介護とは自立支援である」と言われます。自立の意味を誤解していると、この介護の定義には戸惑うでしょう。なぜなら、要介護状態(介護が必要になる状態)にあれば、必ず、他者の助けが必要になるからです。要介護者(要介護状態にある人)になるとむしろ、それまでの人生以上に、より多くの他者に依存して生きることにもなります。
しかし自立とは、依存先を増やしていくことであると理解すれば、この「介護とは自立支援である」という定義もスッと頭に入ってくるはずです。実際に、優れた介護においては、要介護者は、この人がいないと死んでしまうという状態、すなわち特定の人への過度な依存が上手に避けられています。だからこそ要介護者であっても、何かに隷属することなく、自らの幸福を自分の意思で追求する自由が残されるのです(自己決定の原則)。これこそが「介護とは自立支援である」と言われる背景です。
ぼくはこれを読んでぶっ飛んでしまった。介護というテーマを「人間が幸福に生きるためになにが必要か」という幸福論にまで昇華させているところに、凄みを感じざるを得ない。
子どもが親に、部員が顧問に、部下が上司に隷属するときには往々にして悲劇が生まれるんじゃないだろうか。"上から下"への影響から逃げられない状態を作ってしまうことで、とてつもないストレスとそれがもたらす惨事 (ときに非行だっり暴走だったり)を招くのだろう。だからこそ子どもは友達や親以外の大人と関係性を作ることが大事だったり、サラリーマンであれば副業をしたり汎用性の強いスキルを身につけることで「いつでも仕事変えられまっす」という状態を作っておくのが大事なんだと思う。
介護の話で言えば、子どもが親の介護を一手に負ってしまうと、親からすると「自分が育てた子供にこんなお世話までされたくないわ」と思って素直に受け取れず時にはぶうぶうとクレームをつけてしまう。そして最悪のケースでは、そんな親の反応を我慢できない子どもが親に暴力を振るうなどの痛ましい事件が起きてしまう。「介護のプロに頼ろう」というのは介護が専門性を必要とする分野だからスペシャリストに頼ろうという側面だけでなく、サポートする人を分散するという大事な一面もあるのだと察する。
ちょっと遠いようで関連している話を差し込みたい。さかなクンのエッセイより (前回の記事でも触れたけれども)。これがもう本当にめちゃくちゃ面白かった。
この本の中にも出てくるけれど、さかなクンが朝日新聞に連載していた「いじめられている君へ」という文章にこんな話が出てくる。
たとえば、メジナというさかなは、海のなかで仲良く群れて泳いでいます。(…)
せまい水槽に入れたら、一匹を仲間はずれにして攻撃し始めたのです。ケガをしてかわいそうなので、そのさかなを別の水槽に入れました。
すると残ったメジナは、他の一匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても、新たないじめっ子があらわれます。
広い海のなかなら、こんなことはないのに、小さな世界に閉じ込めるとなぜかいじめが始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。
人間は(なんならメジナも)、幸せに生きるためには色んな人に支えられ、そして支え返して生きていく必要があるんだろう。広いところで。
せまいところでチクチク攻撃し合うような関係はきっとなにも生まない。さかなクンも先の文章をこう締めくくる。
大切な友だちができる時期、小さなカゴのなかでだれかをいじめたり、悩んでいたりしても、楽しい思い出は残りません。外には楽しいことがたくさんあるのに、もったいないですよ。
広い空の下、広い海へ出てみましょう。
学校であろうと家庭であろうと人間関係はその複雑性 (どれだけ多様な交友関係を築いているか) というパラメータを持ってして個人の幸福度に作用するのかもしれない。
介護とは多くの人にとって避けられない道である。そんな介護を"やっかいな仕事"として待ち受けたり対処するのではなく、人間の生き方を追求する機会になれば有意義なんじゃないかなーと思う。皆さんは人間関係のあり方やなんやかんやについてどう思われますか?
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今日はそんなところで。シアトルのバラードというところのブルワリーにて。おいしいビールでニッコリな土曜日の朝。
それではどうも。お疲れたまねぎでした!
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