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【ショートショート】窓口

 喫茶店で珈琲を飲んでいると、近づいてきた中年男に、
「身代金を支払いたい」
 と言われた。
「なんですか」
「三千万円でどうです」
 どうですもなにも、私はなにもしていない。
「ダメか。では、五千万円。これ以上は無理です」
「誰も支払えなんて言っていないでしょう」
 店長がやってきた。
「なにを揉めているのですか」
「この人が身代金を支払いたいって」
 ぎく、と店長が身を震わせた。
 店の奥に入ると、白い封筒に金一封を包んできた。
「これでなんとか私の娘だけはご勘弁を」
「いや、これはなにかの勘違いです」
 気がつくと、私の席を取り巻いて行列ができていた。
 蒼白な顔をした人たちが、私のことを恐ろしげに見つめている。
「頼むからうちの子だけは」
「オレの妻には手を出せないでくれ」
「お願いだから、私を誘拐するのだけは勘弁して」
 人々が口々に叫ぶ。
 そのさらに後ろでは、明らかに刑事っぽい人たちが、手を出したいが出せないという悔しげな表情をしてうろうろしている。
「私は。私は誰なんだ」
 過去を思い出そうとしても、喫茶店で珈琲を飲んでいるところまでしかたどれない。
 名前さえ出てこない。
「あなたは交渉相手じゃないか」
 と店長が叫んだ。
「そうだ。窓口だ」
 と中年男も声を重ねる。
 ポケットの中のスマホがぶぶぶと震えた。
 私がスマホを耳に押し当てると、
「五千万円で手を打て」
 という声が聞こえた。

(了)

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