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【ショートショート】近所迷惑
四十歳になっても、なにものでもないオレ。
妻なし、恋人なし、持ち家なし、定職なし、特技なし、趣味なし。
あ、趣味といえるかどうか、ひとつだけ継続していることがある。日記である。たいして変化のない日々をもう二十年も克明に記録している。
そんなことに時間を費やしているから、なにもできなかったのではないか。
ある朝、ふと、一からやり直そうと決めた。まだ人生折り返し地点。
決心の証として、五十冊に及ぶ日記をすべて焼き捨てることにした。
アパートの小さな庭にノートを積み上げ、一冊ずつ燃やしていく。
消防車のサイレンの音が聞こえてきた。
誰かに通報されたのかと不安になったが、サイレンの音は近くの道を通り過ぎ、駅の方向に向かった。
駅前には、ちょっとさびれた商店街がある。オレは豆腐屋の二階に下宿していた頃を思い出した。それから隣町に引っ越し、十年前にまたこの町に戻ってきた。
日記に書いた日々だ。
オレはノートを燃やし終わり、バケツの水で火の後始末をした。
部屋に戻ってテレビをつけると、臨時ニュースが流れた。近所の町が連続的な火事に見舞われている。放火の可能性もあるそうだ。
オレが住んだことのある町ばかりだな。
それどころか。
行きつけの喫茶店が燃えている。
行きつけのスーパーが燃えている。
行きつけの飲み屋が燃えている。
行きつけの本屋が燃えている。
懐かしの豆腐屋が燃えている。
「火事だ」
という誰かの叫び声が聞こえた。
ぽっと足下が暖かくなり、オレはたちまち炎に包まれた。
(了)
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