転職して3ヶ月経った話

4月に入社したので正確には4ヶ月、もう少しで5ヶ月経つ。
経験0、知識0の状態で飛び込んだ介護業界。詳しくは以前書いたのでもしよろしければ読んでみてください。

スクールに通ってはいるものの未だに出来ないことというか慣れないことが多い。
上手くいかないことがある度に、講師の先生にきいたり、経験のある知り合いにきいたり、ネットでいろんなものみたり、初心者なり復習と反省を繰り返してやっている。

シフトの都合上、入浴担当になることが多い。お風呂が好きな人もいるが、大抵の利用者は嫌な顔をする。そりゃあそうだよね。お風呂って夜に入るものって固定観念があるよね。それに今まで1人で入っていたのに共同風呂ってやだよね。わかる。でも入ってもらわないと困るわけで。
利用者はいろんな理由を作って拒否をしてくる
「気分が悪い」
「夜眠れなくてフラフラするから」
「足が痛いから」
こういうものは一旦受け止めてナースに頼ったりすると案外スルッと入ってくれたりする。ナース様様お医者様様。本当にありがたい。
困るのは
「毎日部屋で入ってるのにどうして入らなきゃいけないの」
「ここへ来る前に家で入ったのよ」
とかそういうもの。
お部屋にお風呂ないじゃんとか、家なんてもうないでしょとかひどい言い方する先輩は正直いる。そう言われた利用者はやっぱりいい気分はしないから不機嫌になって2人でギャーギャー言いながら半ば無理やり入浴が始まる。
これって正直そばにいる私も気分悪くなる。どうにか方法がないんだろうか。

悩んで悩んで6月の終わり頃、授業後に講師に相談した。いろんな方法を教えてもらった。その講師の方とは8月の終わりの授業で再会する予定だったので「次の授業までにいい報告ができるように頑張ります」と約束して別れた。
それから約2ヶ月、予定通りその方とお会いできて授業後にお話することが出来た。
スムーズに入浴介助が出来るようになったかと問われるとそうではないこと
拒否されることもしばしばあること
でも私の心持ちが変わったことをお話した。
以前までの私は全てにおいて完璧にやらなければいけないと思っていた。サービスすることが仕事なので。でも今の私は違う。完璧じゃなくてもいいことに気がついた。
知り合いもネットの民も介護に対する悩みをぶつけた時に「わかるわかる!」と共感の声はあれども解決方法は教えてくれない。その人それぞれの価値観があってライフスタイルがあって何が正解なんてものこの世界にはないから。

「寒いから嫌」 
「面倒臭いから嫌」
「頭濡れるのが嫌」
「爪が取れそうになってて嫌」
理由を掘り下げていくと何かしらの取っ掛りが出てくる。小さなことでも否定しないで全部受け止める。
「寒くて嫌なんですね。そうしたらタオルをかけていましょう」とか「洗っている間、洗面器にお湯を張っておくので足を入れていたら寒くないかもしれませんね」とか
「面倒臭いとこは私が全部やるから任せてください」とか
「頭洗わなくてもいいですよ。でも身体だけ洗わせてください」とか
「足には触りませんね。かわりに頭と上半身は洗ってもいいですか」とか。
私たちだって風呂がめんどくさい時はあるし、入らない選択をする人もいるでしょう。(私は弱潔癖があるので風呂に入らないと布団に入れないから絶対はいるけど) それを施設に入ったからって無理強いされたくないよね。
という話をしたら大変に感激されて「人として成長したね」という言葉をかけられた。やらなければいけないことをやらないのは手抜きになるのかなとかも考えていたし、誰に褒められることでもないので嬉しかった。嬉しくてちょっと涙が出た。

自己選択とか自己決定とか残存機能がどうとかとか自立支援を基本としたことを教科書は教えてくれる。正直現場でそれができるかって言われたらできないことが多い。スムーズにことが進む利用者さんならいいが、任せるととんでもなく時間がかかる利用者さんもいる。それを対応するには職員の数が少なすぎるし、例えば頻尿の方の排泄介助を最初の一回目は自立支援を基本にして丁寧に取り組むことが出来ても3回目4回目に同じようには出来ないかもしない。他にトイレを待ってる利用者がいれば急いでほしいと思ってしまってズボンをあげるのに手を貸してしまうこともある。これは教科書的には間違いなんだろう。でもその方だって何度もトイレに行くことで疲れが出てしんどい思いをしているかもしれない。そうなったらできないことに手を貸すことは正解なことで。やっぱり難しい。時と場合によるし人それぞれなことが多い。

ちょっと前にAmazonプライムで「ロストケア」をみた。介護の現場を知らない人も考えさせられる作品だと思う。松山ケンイチさんの演技がすごかった。大きなリアクションは無いのに伝わってくる表情というか目の演技。圧倒された。
あまり内容に触れるとこれから見る人の楽しみを奪うので書かないけれど、何が救いになるのかやっぱり人それぞれで他所から見たら非道と思うことも当事者にしたら救いになることもあるのかもしれない(あっちゃいけないんだけど) その行為を【救い】と思う前にきちんとした合法の救いを受けて欲しいと思ってしまうのは、私が安全地帯にいるからなのかもしれないな。
介護の現場にいるといろんなことを折に触れて考える。

「あなた優しいわね」と言ってもらえることが、最近増えた。正直あまり意識したことはない。
ロストケアでも触れられた聖書の一節
「自分がしてもらいたいことは何でも、あなた方も人にしなさい。」
これに近いのかもしれない。
器用になんでも出来る人だったとしても怖い顔で怖い声色で怖い言葉でお世話をされたくない。多少不器用でも柔らかい人にお世話されたい。

ちょうど今日の授業で
「ヒューマンサービス」、人を大切に
という話を講師がしていた。
忘れないように励んでいきたい。道のりはまだ長い。

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