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世の中に変化しないものがあるとするなら・・・

みなさん、おはようございます。
ウェルビーイング・コンサルタントのフジガッキーです!
GWも後半に入ります。昨日とは打って変わり、快晴です!

そう、天気も日によってころころ変わる。
自分の心持ちや考えも変わる。

昨年のGWは、ゴルフに、ウォーキングにと心が外に向いていました。
が、ことしは打って変わって、書斎に引きこもり読書三昧。
どんなに外が天気が良かろうが、心が向かない。それよりは読書!
妻にも心配されるほどです💦

昨晩から、図書館から借りてきた『茶の本』(岡倉天心著)を一気読み。

感動した箇所です。

第二章「茶の流派」

南方王朝の詩人たちは「液体硬玉の泡沫ほうまつ」を熱烈に崇拝する・・・

茶を「液体硬玉の泡沫」と表現するなんざ、ニクすぎる!

第三章「道教と禅道」

水差の効用は、水を容れる空所にあるのであって、水差の形状やその材質にあるのではない。「虚」は一切を含有する故に万能である。
おのれを空しくして他人を自由に立ち入らせることのできる者は、どんな事態をも自由にすることができるであろう。全体はつねに部分を支配することができる。

彼(道教徒)にとって人生の三つの宝石は「慈悲」と「倹約」と「謙譲」であった。

真理は相反するものを把握することによってのみ、得ることができる。

第五章「芸術鑑賞」

傑作にわれわれが感じるのは、人間心情のあたたかい流露りゅうろであるが、凡作には儀礼的な挨拶しか感じられない。

日本の昔のことわざに、見栄はる男は女に好かれぬ、というのがあるが、そんな男の心には、愛情を注いで満たす隙き間がないからである。

第六章「花」

変化こそ唯一の永遠なるものである。

つまり、逆説的ですが、
この世に変化しないものがあるとするならば、「すべてのものは変化する」という真理だけということ。

そして最後は、

第七章「茶の宗匠たち」

茶の湯は終わった。客は涙をおさえかね、最後のいとま乞いをして、室を出る。ただ一人、もっとも親近な者が残って、最期を見届けるよう頼まれる。そこで利休は茶会の衣服を脱ぎ、それを畳の上に丁寧にたたむ。するとそれまで茶会の衣服の下に隠れていた、しみ一つない白の死装束があらわれる。彼は、生命を奪う短刀の輝く刃を、しみじみとみつめて、それに呼びかけて、次のように絶唱を詠む。

来れ、汝
永遠の剣よ!
仏陀を殺し
達磨を殺し
汝は汝の道を切りひらきたり

微笑を浮かべつつ、利休は未知の国へ立ち去った。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

久々に本に感動しました!

「一服のお茶をすすろうではないか。」
「はかないことを夢み、美しくおろかしいことへの想いにふけろうではないか。」

感動に浸りながら、一服したいと思います。


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フジガッキー/ウェルビーイング・ビジョナリーコーチ
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