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社会とつながる

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僕は学者でもコメンテーターでもないけれど、社会の中で生きるひとりだ。 それなら僕も、社会について思いを馳せることが必要だと思う。
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日本人は人権を知らない

アメリカの人種差別に反対するデモがすごいことになっている。 こうした状況に言及して「日本では差別というのは身近ではないかもしれないが……」というような発言をいくつか目にして、僕がふと思い出したのは「人権標語」のことだった。 日本全国のさまざまな自治体で「人権標語」を公募して、受賞作を看板にして街頭に立てたりしている。特に田舎で多いような気がする。名目は「人々の人権意識を啓発しよう」。 ところがこの「人権標語」の受賞作を眺めてみると、日本の社会に「差別から必死で目を背けようと

文月煉、不惑になる

7月22日で40歳になりました。 40歳は「不惑」というらしい。 出典は、大昔の中国の哲学者、孔子の言葉から。 孔子は今から2500年も前に74歳まで生きたスーパーおじいちゃんで、 70歳を過ぎて自分の人生を振り返って残したのがこの言葉。 日本でもとてもよく知られていて、特に40歳の「不惑」は圧倒的にわかりやすい言葉だからか、いちばん多く言及されている気がする。 定番は「私はもう『不惑』の年齢になりましたが、まだまだ未熟、惑うことだらけで……」ってやつだ。 「不惑」は、

脱・相対評価

僕がいちばん語りたいこと、伝えたいことは「相対評価で世の中を見るの、やめない?」ってこと。 他の人が配慮されていると「ずるい」って言っちゃうのも、そもそも社会全体が「よくなること」に抵抗するのも、相対評価、つまり「他人とくらべること」のせいじゃないかなと思うんだよね。 そしてそうだとしたら「相対評価の弊害」ってものすごくて、はっきり言ってしまえば「社会をだんだん悪くする」ことを推し進めてしまいかねない考え方、と言える。 自分が幸福だと感じていない人にとっては、周りの人が不幸

こどもの目に映る景色に思いを馳せる

学童に通っているといろんなこどもに出会う。 「こどもって無邪気でかわいいよね」と簡単に言える人は、きっとあまりこどもに接したことがないか、忘れちゃっているか、たまたま自分のこどもが「おとなしくていい子」だった人なんだろうな、と思ってしまう。 「こどもはかわいい」ばかりじゃない。 でもそれでも、小学校低学年はまだ、この世に生まれ落ちてから10年未満なのだ……たとえどんなにひねくれていてもかわいげがなくても、「そう育ってしまう環境があったんだな」って思うし本人を責めたり憎んだり

変わらないことだけが「責任」なのか。

セクシャリティにせよなんにせよ、「後出し」と言われることに対していつも思うんだけど、人間って変わるものだから、「後出しは許されない」と言い続けていたらなにひとつ決められない。「過去に決めたのだから変節するな」という考えが我慢と歪みを生み続けている。 そういう思想が、こどもに対して「あなたがいたせいで離婚できなかった」と言い続ける毒親とかを生み出すんだろうな。 「責任を取る」って「耐える」ことじゃないし、耐え続けて歪みが出ない人なんているのかな?とも思う。安全圏から他人を批

SDGsは「ひとりひとりの心がけ」なんかじゃない!

なんか、いろんなところで「SDGs特集」みたいなのがやるようになったけど、その中身が結局「一人一人の心がけでゴミを減らしましょう」「ものを大事にしましょう」みたいなレベルで、少し前の「エコ」を言い換えただけの、何の発展性もないもので虚しくなる。 SDGsは「持続可能な開発目標」だぞ。「地球にやさしく」じゃないんだぞ。「開発」の要素無視しすぎだ! という気持ちが年々高まってる。 大きな組織や国や自治体こそが取り組むべきもので、上から下に「SDGsに配慮しなさい」と命令するもの

「学童保育」を「こどもの安心できる場所」にしたい。

7月の終わり頃から、学童の非常勤スタッフをはじめてみた。 登録している児童の数が60人以上もいるかなり大規模な学童。 スタッフは10人くらいだけど、僕以外は全員女性、そして一人を除いて全員が50代以上。 これはたぶん、この学童に限ったことじゃなくて、日本全国の公立学童ほとんどがそう。 学童って、1日の勤務時間が短くて、しかも給料がとても安いから(たぶん全国的に最低賃金付近)、働き盛りの若い人はほとんどいない。定年後か、子育てを終えた専業主婦的な人しかできない。 問題は、「

「政治の話をするべきではない」なんてのは、もうやめた!

先日、期日前投票をしてきた。 日本では「公開の場で政治の話はするべきでない」みたいなマナー?がまことしやかに語られがちで、これまでは僕も、なんとなくそれに従ったりしていたんだけど、よく考えてみればそれって、現状を維持したい多数派に有利なんだよね。 やっと気がついた。 そもそも政治の話は暮らしの話、人生の話。 それを語らずにいようとすれば、本心や重要なことはなにひとつ語れないと言うことになってしまう。 僕は、 人よりも国を優先し、一部の権力者が喜ぶようにと貧富の格差

グレーのままで抱え続けるということ

白と黒のあいだ、1と0のあいだで、簡単には決めつけられないもどかしさに耐えながら考え続けること、その場しのぎのインスタントではなく、じっくりと時間をかけて消化し、深化させていくこと。今、なによりないがしろにされていて、でも本当はいちばん大切なこと。 先日、深い話ができる大好きな友人と、そんなことを語り合った。 「若者たちが生きていく未来の世界を少しでもよいものにするためにできることはなんだろう」という話の中でのことだ。 こんな話を、笑い飛ばしもせず、肩をすくめて黙ってしまう

いつでも離れられるからこそ、離れないでいようとする行為が尊いと思う。

ずっと前から何度も同じことを言ってるんだけど、僕はいつまで経っても「去る者は追わず」の境地にはたどり着けてなくて、「仲良かったはずなのに急に去って行った人たち」のことを定期的に思い出してはウジウジしてしまうな。 ネット上での繋がりだからこそはかないし、それはいいことなのだけど。 でもいつでも離れられるからこそ、離れないでいようとする行為が尊いんだよね。 そう思うと、今つながっている人たちのすばらしさを感じる。 自由だからこその寂しさと、尊さ。 「本当は嫌いになったけど言い

「教員不足」に思うこと。

「教員不足」が急に報道されるようになって(今さら?って感じだけど)、そういえば僕が学生だったころは「氷河期」と重なっていたために教員の採用がほとんどなくて、「教員を目指したら地獄」という雰囲気が漂っていたことを思い出した。(たしか、東京都か神奈川は倍率百倍とかいってなかったっけ?) 僕もその雰囲気を感じ取ってしまい、大学でとっていた教員免許の単位を途中であきらめたんだったな。 民間の企業が不景気で新卒が採れないことはある程度仕方なかったところもあると思うけど、国や公共団体

近況報告:いつの間にか、フリーランスになっていました。

5月に、勤めていた職場を辞めて、2か月が経ちました。 ものすごく心配していた資金繰りもどうやらギリギリ間に合って、しばらくはお金に心配しすぎず生きていけそう。 (しかし本当にギリギリの綱渡りなのはいつものこと) わりとすぐにもう少し都心の近くに引っ越して、新しい職場でも探そうかと思っていたのだけど、予想外にいろいろなところから仕事の話をもらえていて、あれ、ちょっとしばらく、フリーランスでもいいんじゃない?って気持ちになってきた。 僕は怠け者なのでフリーランスには向かないと

コロナの時代の生きづらさ 〜人には「異文化交流」が必要だ

2020年は、新型コロナ一色の一年だった。 そしておそらくはその影響で、2020年の日本の自殺者の数が11年ぶりに増加したという報道があった。 日本は、世界的に見ても自殺が多すぎる。 それはずっと言われてきていることだけど、こうやって具体的な数字が出てくると、その数の大きさにくらくらしてしまう。 記事によると増えているのは女性と若年者で、特に若者については、 「小中高生の自殺者は68人増の440人で、同様の統計のある1980年以降で最多だった。内訳は小学生13人、中学生

2020年を振り返る。「予想外」で良い年だった。

すっかり年末。僕は毎年、仕事を納めたあとにその一年を振り返るのが好きなんだけど、今年もちょっと振り返ってみようと思う。 2020年はどんな年かと言ったら、世界中で「コロナで大変だった年」っていう答えが返ってくるのだろうけど、僕としては「予想外のことだらけの年」だったな。それも、予想外のいいことばかりだった気がして、振り返ってみればすごくいい年だった。 年明けは心も体も本当に調子が悪くて大変だったんだけど、そのおかげでこれまでにない決断ができた。つまり「週4勤務で働く」とい