変わらないことだけが「責任」なのか。

セクシャリティにせよなんにせよ、「後出し」と言われることに対していつも思うんだけど、人間って変わるものだから、「後出しは許されない」と言い続けていたらなにひとつ決められない。「過去に決めたのだから変節するな」という考えが我慢と歪みを生み続けている。

そういう思想が、こどもに対して「あなたがいたせいで離婚できなかった」と言い続ける毒親とかを生み出すんだろうな。

「責任を取る」って「耐える」ことじゃないし、耐え続けて歪みが出ない人なんているのかな?とも思う。安全圏から他人を批判している人たちは、自分が生きづらい未来を作っているだなんてつゆほども思っていないのだろうけど。

変わってしまったなら、変わったうえでどうするかを話し合うしかないと思うんだ。たとえ相手を傷つける可能性があったとしても。「変わったことは許されない」って言う人は、自分の愛する人に「死ぬまで黙って耐え続けてほしい」と心から思うのかな。僕はそれは嫌だな。

変わることは手間だし、関係性を都度更新するのは労力がいるけど、そっちの方が、「何があっても変わらないこと」よりずっと大切なんじゃないかなと思う。

それとは別に、当事者が真剣に話し合って決めたことになんの関係もない他人があれこれ意見するのはあまりにも恥ずかしいことだと思うよ。


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文月 煉
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