kenken

野鍛冶見習い。人類学者インゴルドの"correspondence"を追究。 書くことは苦手で喋る方が楽だと思っていた。写真が趣味になりつつある。 米国パーソンズ美術大学(MFA Transdisciplinary Design)'23修了。メッシュワークゼミ2期生。

kenken

野鍛冶見習い。人類学者インゴルドの"correspondence"を追究。 書くことは苦手で喋る方が楽だと思っていた。写真が趣味になりつつある。 米国パーソンズ美術大学(MFA Transdisciplinary Design)'23修了。メッシュワークゼミ2期生。

マガジン

  • 日常を眺めて

    • 5本

    パーソンズ美術大学・Transdisciplinary Designへ同じ時期に留学していたΧとkenkenが、ささやかな日常を留学生活の後日譚として語り合う交換noteです。

最近の記事

  • 固定された記事

初めて相鎚を打った

生まれて初めて相鎚(あいづち)を打った。 こんなに緊張感のあるものだったのか、と思った。 集中して、どこを打つか、よく見る。 調子(リズム)を意識して、合わせる。 そうして鎚を打ち下ろす。 眼前の鉄の塊を見つめながら、 意識はむしろ【相手】に向いている。 「交感」という言葉がしっくりくる。 【相手】が打ったのに合わせて、あとを追う。 (だから金偏に「追う」なのかもしれない。) 打ち損じた、と思っても 次の瞬間にはまた、見て、打つ。 【相手】のリズムで、【相手】が止めるま

    • 『日常を眺めて』4通目by kenken 結局correspondence

      Χ(カイ)さんから軽やかなお返事が届きました。 モノローグ的にnoteを書くことは、材料の買い出しから、調理、盛り付けまで全部一人でやっているようなもので、それはそれで楽しいものの、どうも気が乗らないこともあります。それに比べると、このような「文通」はとても気楽に感じます。通りかかった八百屋さんで旬の野菜を見つけたから買ってきたよ、今日はなんとなく中華な気分だな、前にあるお店で出してもらったこんな料理が美味しかった…。そういう投げかけがあると、自然に応じることができるように

      • 落としもの、捨てられたもの|correspondence記#002

        落としもの アパートの駐輪場に帰ってきたら、ぺんぺんがいない。 慌てて保育園までの道のりを引き返す。 駅前を過ぎても見つからない。 なるべくぺんぺんの視線の高さで目を凝らしていると、 人通りがこわいものに見えてくる。 大きめの通りの信号近くにも、 その先の坂道や曲がり道にもいない。 もう保育園に着いてしまう。 もし見つからなかったら、娘に何と伝えればいいだろう。 ケガをしてしまって入院することになったから 治ったら帰ってくる、と説明して、 その間に新しいペンペンを迎え入れ

        • 生のダンス|correspondence記#001

          光を介して娘の姿を楽しんでいるのか、 娘の姿を通して光と戯れているのか。 久しぶりに娘とふたりで休日のお出かけ。 大きな公園で、走り回り、どんぐりを拾い、ボール遊びをした。 類例として、陶工が陶土と応答するためにろくろが必要であり、陶芸の凧揚げどちらの例においても、「実践者の注意深い、丁寧な身体の動きが一方にあり、物質の流れと抵抗が他方にある」。また同様に、音楽を奏でることは、単に楽器(チェロ)と相互作用をすることではなく、音と交感することである。「生のダンス」において、

        • 固定された記事

        初めて相鎚を打った

        マガジン

        • 日常を眺めて
          5本

        記事

          『日常を眺めて』2通目by kenken まともな日常

          Χさん、記念すべき1通目をありがとうございます。 返答になっているのか正直不安ですが、Χさんの胸を借りるつもりで(?)、思いつくままに書いてみてみます。 カフェにて 昨日、初めて行ったカフェに入るとき、入口のドアノブに「PU」と書いてあるのが目に入りました。本当は「PUSH」か「PULL」であったはずの文字列が、何度もノブに手がかけられるうちに、あるいは風雨にさらされて、部分的に擦り落とされてしまったのでしょう。そして、「SH」か「LL」だったであろう2文字を消したのが人

          『日常を眺めて』2通目by kenken まともな日常

          ともに読む、ひとりで書く、そしてフィールドワーク

          いい読書会に参加させてもらったな、と思った。 記録 昨年10月からの半年間ほど、第2期生として参加したメッシュワークゼミ「人類学的な参与観察によって問いをアップデートするトレーニング」。第3期がすでに始動していて、今期はオンラインでのディスカッションに1・2期生が交代でオブサーバとして参加するという試みが取り入れられている。 今回(9/14土)は「課題図書のディスカッション」の前半ということで、『人類学とは何か』(ティム・インゴルド 著)と、『フィールドワークへの挑戦』

          ともに読む、ひとりで書く、そしてフィールドワーク

          日々の運行はつづく

          居心地のよい記憶 じゅんさんの展示は、居心地のよい空間だった。 そこを立ち去るのが名残惜しい。 「まあゆっくりして行きなよー」 って展示全体から声をかけられているような気分になる。 展示の中に身をおくことで、 じゅんさんの世界のとらえ方や その蓄積としての記憶を 共有してもらっているような感覚がある。 そしてその感覚の心地よさは、 何よりも写真一枚一枚の雰囲気によるものだと思う。 少し大げさな表現かもしれないが、 「生を肯定している」ような感じがする。 記憶を想起させ

          日々の運行はつづく