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初めて相鎚を打った

生まれて初めて相鎚(あいづち)を打った。
こんなに緊張感のあるものだったのか、と思った。

集中して、どこを打つか、よく見る。
調子(リズム)を意識して、合わせる。
そうして鎚を打ち下ろす。

眼前の鉄の塊を見つめながら、
意識はむしろ【相手】に向いている。
「交感」という言葉がしっくりくる。
【相手】が打ったのに合わせて、あとを追う。
(だから金偏に「追う」なのかもしれない。)

打ち損じた、と思っても
次の瞬間にはまた、見て、打つ。
【相手】のリズムで、【相手】が止めるまで続く。

こちらの感覚としては、ただ【相手】に必死についていく。
ひとりで打つときよりも真剣に。
いっそう、よく見て、集中して。
鉄の方が眼に飛び込んでくるような迫力を感じる。

そして、じつは【相手】は、先導するだけでなく、
こちらの拙さを絶えず補ってくれている。
巧→拙→巧→拙…の繰り返しで、形ができていく。

【相手】は片手でハサミを持ち、鉄を掴んでいる。
もう一方の手で鎚を打ち下ろす。
相鎚(「向こう鎚」と呼ぶ)は両手で扱う。
こちらの方が、大きくて、重い。

鎚を振り上げるのは最初だけ。
あとは鉄床からの跳ね返りを利用する。
打ち止めるときも腕で鎚を制御するのではなく、
力を抜いて鉄床の上で何度か遊ばせて
自然におとなしくなるのを待つ。
無駄な体力を使わず、過度な負荷を避ける、
身体を守るための智恵。

鎚が鉄床をたたく乾いた音の余韻。

割り込み(地金に切り込みを入れて刃金を差し込む方法)の菜切包丁の制作実演。

「【相手】」は、鍛冶用語ではヨコザ(横座)と呼ばれる。いわゆる親方。
相鎚を打つのはサキテ(先手)。親方/師匠と弟子の関係。

交互に打つときの音を(あるいはサキテが二人、
つまりヨコザと合わせて三人で打つときの音を?)
「トンテンカン」と表現し、調子が外れてしまうこと、
またそういう人のことを、「トンチンカン」(当て字で頓珍漢)
と言うようになった。というのは鍛冶屋のあいだでは
よく知られた話らしい。


「野鍛冶見習い」になって半年あまり。
とても貴重で印象深い体験だった。

鍛冶小屋の看板。

よいものをつくるためには、
ヨコザがどのような形を目指しているのか、
もっといえば、何をつくろうとしているのか、
サキテがよく知っている必要はあるのだろうか。
つくろうとしている「もの」それ自体よりも、
ヨコザとの交感に神経を集中させたほうが
結果的によいものができたりしないだろうか。

「よい相鎚」とは?

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