沈む心 ~その3~
#20230916-231
2023年9月15日(金)
28時間。
まる1日と4時間。
ノコ(娘小4)とむーくん(夫)は顔を合わせなかった。
意図的にむーくんを寝室に隔離したりもしたが、単純に職場に学校とむーくんとノコの家で活動する時間帯が重ならなかったため、会わずに済んだというのもある。
私はむーくんが気落ちして帰宅した翌日、ノコの登校後に頼りしている先輩里母さんに連絡を入れた。
まずは少なくとも一晩は様子を見ようと思ったものの、先輩里母さんは多忙な方ゆえすぐにつかまらない、早めに連絡だけは入れようと動いた。電話で話したかったため、むーくんとノコがいない時間帯をお願いしたが、やはり都合が合わなかった。
ただ文字でのやりとりはしてくださり、かなり心強かった。
ひとつでも外に対して行動したという安堵感かもしれない。
私自身、むーくんの心理状態を詳しく説明できないため、もどかしいなかでのやりとりだったが、それでも言葉にするためにむーくんをこまかに見、気を配った。先輩里母さんという説明する相手がいなければ、不安にかられるだけだったかもしれない。
自分のなかで自問自答を繰り返して、むーくんの状態を把握していく道もあったが、どうしても不安で暗くなってしまう。先輩里母さんという外の人――いざというときは動いてくれる方だと信頼している人――に伝えることで、私の心の風通しがよくなった。
やはり「助けて」といえることは大切だ。
ノコが小学2年生の夏休み明け。
私はそれがいえなかったために、気力が落ちるところまで落ちた。
新型コロナウイルス流行の影響で人との交流が遠ざけられていた時期だったこともある。
先輩里親さん方や児童相談所など「助けて」といえる相手がいるにも関わらず、声が出せなかった。
「助けて」といえばよいとわかっていても、滅入っているときに人は動けない。
その経験が身に沁みたこともあり、今回は早めに連絡を取るほうへ舵を切ることができた。
むーくんのことであり、私自身のことでなかったのもある。まだ私自身には体力も気力もあった。
幸いなことにもむーくんは少しずつ、少しずつ持ち直し、ノコとの会話も復活した。
ノコはむーくんが相手してくれるとわかった途端、容赦なく、言葉もふるまいも体当たりでヒヤヒヤする。熱が出て具合が悪いなどノコにわかりやすい状態ではなかったため、止めるにも止められない。
4日過ぎた今日時点、むーくんとノコはすっかり平常運転に見える。
むーくんも私が繰り返しいったこともあり、いつもより多めに睡眠を取っている。
大人だって自分の心身の管理は難しい。
どうしてもノコに振り回され、ノコばかり見てしまうが、むーくん以上に私も心のどこかでむーくんの体力気力を過信していたのかもしれない。
子どもが成長するように、大人だって年を重ねている。
いきなり老いることはないけれど、昨年の自分と同じわけではない。
そして、この夏は酷暑猛暑で私が例年より疲労を感じているということは、むーくんだってそうかもしれないのだ。
ついつい頼りにしてしまうが、頼り過ぎてはいけない。
同じ屋根の下に暮らしているのだもの、よく見て、よく見て、よく見て。
それはノコだけじゃなく、お互いがお互いを、3人が3人をよく見る。大切な6つの目。(ノコの目はまだ頼りにならないけれど!)
まだまだ残暑が厳しきおり、どうぞご自愛ください。
定型文のようなこの言葉が渇いた土に降る雨のようだ。
しみじみ。
ありがたい。
皆さまも、どうぞご自愛ください。
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