痛いけど、痛さも引っ込む娘の気遣い。~里子委託5年目の衝撃~
#20240816-453
2024年8月16日(金)夏休み28日目
天気が不安定なので、1階の洗面所で洗濯物を乾かそうと思った。
アルミ製の物干しスタンドは丈はあるが軽い。
2階からそろそろと運んでいたところ、階段から落ちた。落ちたといっても最後の1段を踏み誤っただけだ。
それでも。
それでもバランスを崩し、足首をひどくひねった。脇腹を階段に強く打ち、ついた肘に全体重だけでなく、物干しスタンドの重さが加わった。
派手な音がした。
「ママ、どうした!」
居間のドアが勢いよく開き、ノコ(娘小5)が駆け寄ってきた。
「落ちちゃった・・・・・・」
階段に倒れた私をノコは見まわすと、踵を返して居間に戻っていった。
――どうしてなのだろうか。
ノコは自分のケガに対しては、見てもわからないような軽傷のものでも大騒ぎをする。
「ここをドンして、バンッてなった!」
ぶつけた部位を示すが、血も出ていなければ、赤くも青くも腫れてもいないので返す言葉がない。
「・・・・・・それは、痛かったね」
なんとかひねり出すが、どうも心がこもらない。
「ママママ、ママママ、よしよしして」
傷めたという部位をぐいっと出すので、私は戸惑いながら撫でる。
「はい、よしよし」
またあえてケガをしにいっているようなときもある。
「それは危ないからやめなさい」と止めるのをきかずに、「大丈夫、大丈夫」とやり続けてケガとは呼べぬケガをする。
幼い頃限定のことだと思ったが、小学5年生になった今もノコのケガ報告と「よしよしして」は続いている。
私とて、いつも心がこもっていないわけではない。
ごくたまにではあるが、「それは痛い!」と顔をしかめるときもある。
たとえば、落としたものを拾いにテーブルの下にもぐり、頭に気を付けるよういったにも関わらず、とてもいい音でゴンッ!とやらかしたとき。曲げた肘を壁に勢いよく打ち付けたとき。弁慶の泣き所と呼ばれる臑をしたたかにぶつけたとき。
そんな瞬間は、ノコが私やむーくん(夫)を呼ぶ前にぎゅうと抱き寄せて「今のは痛かった、痛かった」と患部をなでまくる。
おざなりなのは、いつもではない。
親がそういう対応だからだろうか。
ノコは親が痛い思いをしたときの反応が薄い。
大抵大きな音がするので「なにがあった?」「どうした?」と駆けつけるが、大人が痛さに顔をしかめても「大丈夫」の一言もない。状況確認をしたら去っていく。
自分の痛みには大袈裟に見えるほど騒いでも、人の痛みを我が身に重ねて心配する心遣いがない。
もそもそと身を起こし、物干しスタンドを床に立て、痛む部位を確認する。
居間のドアが開き、ノコが戻ってきた。
「ママママ、これどうしたらいい?」
冷凍庫に常備してある保冷剤をキッチンペーパーで巻いて持ってきた。
「どこにあてたらいい?」
私に触っていいのか、触らないほうがいいのか、わからないらしく、保冷剤を持った手が上に下にと動く。
「ありがと。足首のところにあててほしいな」
今までのノコにないふるまいに私は心底驚いた。
「ママママ、大丈夫?」
人の痛みに寄り添うなんて、どうしたのだろう。
「ありがと。ノコさん、やさしいね。ママ、びっくりしたよ」
里子のノコと暮らしはじめて5年が過ぎた。
私が痛い思いをしてもノコにはヒトゴトのように冷ややかな視線を向けられていた。いや、ヒトゴトなのは事実なのだが、それでもその目にうんざりしたし、悲しかった。
痛いけど。
痛さも引っ込んだ。
いや、やっぱり痛いけど。
でも、一瞬痛みを忘れるほど、ノコの気遣いは衝撃だった。
そんな夏の一日。