子どもに対しての感情をすぐ切り替えるべきか、否か。
#20230501-92
2023年5月1日(月)
TV大好きっ子のノコ(娘小4)は、我が家に来た幼稚園年長児からTVがついていれば子どもが見そうもない番組であっても食い入るように見る。小学4年生になった今は、理解できる範囲も広くなったからわかるが、同時通訳が淡々と読み上げる世界情勢のニュースから天気予報、大人向けの思想を論じる番組まで魂を奪われたかのようにTV画面に見入る。
TVでなくとも映像ならなんでもござれで、電車のドア上にある交通案内や広告の画面、ドラッグストアの棚に設置された商品紹介の小さな画面などなど、立ち止まって動かずうんともすんともいわなくなる。時に電車では画面が見える位置が座ることより優先される。
もちろんそこから多様な興味に広がればよいが、映像ならばなんでもよい感じが悩ましい。まばたきも忘れるのではないかと思うほど画面を凝視し、手が止まるため、済ませることを済ませ、準備万端でないとTVのスイッチを入れられない。
登校前、ただティッシュとハンカチをポケットに入れる行為すらノコはできない。
大抵の子どもとはそういうものかもしれない。
私が子どもの頃は、TVのチャンネル権は親だったし、TVがついていても関心がない番組なら受け流せたのでノコの執着がよくわからない。録画ができないひと昔前は大人も子どももリアルタイムで見るしかなく、日頃からTVがついていたように思う。
ノコがその時代に生まれていたら、なぁーんもできなくなっただろう。
いや、それとも受け流す術を身につけただろうか。
今が過保護過ぎるのか?
とにかく今の我が家では、ノコが宿題や学校の準備などすべきことを済ませなければTVは見られない。
ノコは自分ばかり我慢を強いられていると憤慨するが、実は親だって強いられている。
ノコがすべきことを済ませていなければ、ノコの就寝後か入浴中しかTVを見るタイミングがない。
むーくん(夫)がノコがお風呂に入ったのを確認し、TVをつけた。
クイズバトル形式のバラエティ番組が画面に映る。むーくんも私も別にそれを見たいわけではない。
ただぼんやり動く画面を眺めて、出演者の笑いや喋る声をさざ波のように耳にしている。
案の定、ソファーに横たわっていたむーくんは秒で寝息を立てはじめた。
私はTVの音をBGM代わりに夕飯の後片付けをする。
洗い物をしていたので、ノコが居間に戻ってきたことに気がつくのにほんの一瞬遅れた。
洗髪した頭にタオルキャップをかぶったノコはパンツ一丁姿で、着るべきシャツを手にしたままTV画面に身も心も奪われていた。
慌てて手元のリモコンでTVを消した途端。
「なんで消すのッ!」
ノコがそう叫んで、持っていたシャツを床に叩きつけた。バッと振り返って私を睨む。
その瞬時に噴きだした荒々しい激情に私の気持ちが沈む。
私は深く息を吐いて、呼吸を整えてからノコにいう。
「宿題が終わっていないもの。TVは見られないでしょ」
ノコがますます強く私をねめつける。
ノコのTVを恋う気持ちの強さはわからなくとも、見たがっていることは把握している。
だが、それを阻害されたからといって、あのような態度はない。
「宿題が終わっていないから消したのに、あんな乱暴なことをされたので、お母さんは今とてもイヤな気分です」
ノコがむくれてそっぽを向く。
「ママママ、ママァ~」
10分後。
ノコが何事もなかったかのように、おちゃらけた仕草をしながら私に寄ってくる。
「何ですか」
応対はするが、さっきのことをなかったことにはしない。
ノコはハッと身を引いた後、ためらいためらい、口を尖らせ、体をくねらせながら上目遣いで私を窺う。
「ママァ、ごめんなさぁーい」
私はノコには聞こえないよう静かにため息をつく。
「わかりました。でも、ママはすぐに気分が切り替えられないので、髪乾かしはパパにやってもらってください」
そういって、寝ていたむーくんを起こす。状況がわからないはずのむーくんだが、気配で何があったのかを察し、寝ぼけながらもノコと洗面所へ向かう。
態度の悪さを謝ったら、すぐに笑顔を向けるべきか。
もう幼児ではないノコに対して親としてどのように接したらいいのか考えてしまう。