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ブレイディみかこ「両手にトカレフ」
#20240502-396
2024年5月2日(木)
移動図書館は穴場だ。
予約待ちが100人以上という人気本でもひょっこり棚に並んでることがある。移動図書館が巡回する地区は、市内にいくつもある図書館のどこからもちょっとずつ遠い。図書館に足を運べない人に本を届けるのだから、それもうなずける。
図書館で読み聞かせボランティアをしている私は、定期的に勉強会や当番で図書館へ行く。それでも、我が家のすぐ近くに来る移動図書館はありがたい。
移動図書館の書棚にトルコブルーの背表紙は目を引く。鮮やかなレモンイエローの尖った書体で綴られたタイトルは、「両手にトカレフ」。
表紙のイラストは、金髪の制服姿の少女と黒髪の着物姿の少女が背中合わせに手をつなぎ、その双眸は斜め上を見上げている。返して、裏表紙を見れば、金髪の少女と同じテイストの制服の少年が1人たたずんでおり、やはり斜め上を見つめている。本を広げると、少女2人と少年1人は同じところを凝視しているように見える。
トカレフはない。
主人公は、14歳の少女ミア。表紙の制服姿の少女だ。
スマホをはじめ、登場する電子機器を見ると、舞台は現代。国はイギリスだろうか。
ミアは、母親と小学生の弟チャーリーと暮らしている。時折、母親が連れ込む男性が加わるが、長く続くことはない。
母親は酒や薬に溺れ、働かない/働けない。生活保護を受けているものの、お金はいつも母親に使われてしまい、ミアとチャーリーは常に腹を減らしている。
なんせ、冒頭の文章が「ミアはお腹が空いていた」だ。
ミアが図書館の前を通ったら、1階にあるカフェの窓越しにケーキを食べる女の人が目に飛び込んできた。「ああ食べたい。食べたい。私もあれが食べたい」と思っているうちに、ミアは図書館に入ってしまう。
そこでミアはある本と出会う。
100年程前、日本にいたカネコフミコという女性の自伝だ。
表紙の着物姿の少女である。
ミアとフミコの生きる状況は、時代も国も異なるが、共通している部分が多かった。ミアはフミコに自身を重ね、その人生の行方を求めるように読み進めていく。
読むまで、社会的養護に関わる物語だとは思わなかった。
生活保護、ソーシャル・ワーカー、福祉課、養子縁組、里親。馴染みの単語が並ぶ。
ミアとチャーリーは母親がいるものの、その暮らしは食べるものに困窮し、体に合った服を買うこともできない。生活に問題があるのにソーシャル・ワーカーの訪問があれば、ミアは問題がない振りをする。施設や里親のもとで暮らすことになった場合、十中八九チャーリーと離ればなれになると思っているからだ。
だから、「助けて」と声をあげることができない。
14歳のミアは本を読む。
母親は、幼いミアに繰り返しこういった。
本をたくさん読みなさい、本を読まなかったから私はこうなった。
そういって図書館で絵本を借りたが、読み聞かせはしなかった。絵本を身近に置いておけば「そのうち子どもはひとりでに読み始めると思っていた」とある。
ミアが絵本に物語が書かれていると知ったのは、4歳の頃に母親がつきあっていた男性が読み聞かせをしてくれたからだ。ミアはそれまで、絵本を指でページをめくったりして遊ぶ玩具だと思っていた。
その後、ミアに読み書きを熱心に教えてくれたのは、小学校のレセプションクラスの同級生イーヴィの母親ゾーイだった。
白人と黒人の間に生まれ、ミアの家族と同じ公営団地ーードラッグやDVや窃盗などの罪を繰り返す人たちが多く暮らすーーに住み、スーパーマーケットで働くゾーイはいつもこういった。
早く自分で本が読めるようになりなさい。たくさん本を読んで大学に行けば、私のような仕事をせずにすむし、こんな団地に住まなくてもすむ。一生懸命勉強して、こことは違う世界に住む人になりなさい
ミアは「本の中にはこことは違う世界がある」「本をたくさん読んだら違う世界に住む人になれる」、本は「違う世界」と繋がっていると感じた。
私は折にふれ、一緒に暮らす里子であるノコ(娘小5)にいう。
「本はノコさんを助けてくれるからね」
もちろん楽しく読むときもあろう。心躍らせ、本の世界にひたるときもあろう。だけど、もしノコが里親である私たち夫婦にも、友だちにも話せない鉛のように重い気持ちを抱えたとき、本は心の支えになると私は信じている。
迷ったとき、悩んだとき、行き先が見えないとき、ノコに本を開いてほしい。
ノコは今のところ本が好きだ。図書館でも貸し出し冊数いっぱいまで借りる。
そして、眺めているだけではないかと思うほどの速さで読む。本人は「ちゃんと読んでる」というので追及はしないが、読後トンチンカンなことをいうので怪しい。
10歳のノコが4年後、ミアと同等の読解力を得られるだろうか。かなりかなり怪しい。
日が暮れてきた。ノコが薄闇のなかで本を読んでいる。
「カーテン引いて、電気つけてね」
私の言葉にノコが束ねたカーテンを両腕で抱きかかえて引っ張った。
どこまで本気で。
どこまで冗談なのか。
不明なノコだ。
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