2024年9月に読んだ本まとめ【読書感想文】
ようやく秋めいてきましたね。涼しくなったおかげで集中して本が読めるようになり嬉しい反面、あと3ヶ月で2024年も終わりかと思うと床に這いつくばって奇声を上げながらのたうちまわりたくもなります。また何も成し遂げずに年が過ぎていくのだなと思うと、やるせないことこの上ない。
でもいいんだ、大きな目標を達成しなくても小さなことからコツコツとやっていけば自ずと道は開けていく。
ここ数年で睡眠不足はすべてを破壊するということを学んだから今年のささやかなる目標は「早起き」に設定したのだ。「早起き」さえ出来ていれば何の問題もない、着実に人生を前進させられるし全てのことが好転しだすに違いない、早起きは三文の得とはよく言ったものだ……っていうかなんか前置きが長くないか?早く本題の読書感想文を書き出せよ、お前が早起きしようが遅起きしようが自主的に冬眠態勢に入ってニート化しようが読者諸賢の方々からしたらどうでもいいよ、いやなんでこんな支離滅裂で実質ほぼ何も言っていないに等しい文章をつらつら書き連ねてしまったかって昨日3時間しか寝てないからなんですよね。2時に寝て5時に起きた。どうやら「早起き」というものは「早寝」とセットじゃないとその真価を発揮しないらしい。
もう眠いし頭痛いし、かと言って寝ようとすると逆に全然寝れないし、助けてくれ西川きよし師匠。
↓いつもの
※あらかじめ断っておくと、これから述べる感想には容赦ないネタバレを含むどころか、あらすじや内容を説明するのが面倒臭いという筆者の怠慢によりこれを読んでいる貴方がその本を通読しているという前提で話が進む可能性もあるので、これからその本を読みたいと思っている方々は速やかにブラウザバックしてください。まあ最低限説明しなきゃいけない部分は極力するようにしますが。
9月の読書記録(ログ)
サキ/著『サキ短編集』(新潮文庫)
切れ味の鋭いブラックユーモアで知られるサキの短編集。すべての物語からサキのシニカルな視点を感じ取ることが出来る。
月並みな言葉で「世の中綺麗事だけじゃ生きていけない」、「清濁併せのまなければ人生はやっていけない」というようなものがあるが、サキの小説は「清濁って言っても実際は清と濁を2:8ぐらいの割合で処理していかなくちゃいけないのが現実だけど、どう!?」と問いかけてくるような印象がある。そしてことある毎に心の中でニヒリストを自称しちゃうような、お先真っ暗な厭世観を持つ私のような存在にとって、そういうサキの紡ぎ出す物語はたまらなく痛快でもあるのだ。
個人的に新潮文庫のこのスタイリッシュな装丁がお気に入りの一冊。
スティーヴン・キング/著『キャリー』(新潮文庫)
時を経ても色褪せない永遠の名作。キャリーやスー、トミーやクリスなどキャラクター毎に役割がしっかりしてるので誰に感情移入するかで結構読後感が違う気がする。
いじめやスクールカースト、宗教に毒親問題等々、現代にも十分通底しているテーマが描かれており、それらの問題は後に起こる惨事と切っても切り離せないのだということを警鐘しているようでもある。
恐怖というのは自らが直面し得る最悪の事態を予感させる時にピークを迎えるものだと私は考えるが、だとしたらキングが最悪の事態として想定して描いたのは舞踏会の夜なのだろうか。
そういうことを考えているとまた寝られなくなる。
三浦 しをん/著『マナーはいらない 小説の書きかた講座』(集英社)
この本は小説を書きたい人、というより三浦しをん氏のエッセイっぽい文章を楽しみたいという人の方に需要があるのではないだろうか。
無論名の知れたプロの方だから紹介されている小説技法みたいなものはしっかり勘所を押さえられており、理論と感性どちらか一方だけでは小説は書けないのでこの本では最低限の理論を身につけられるように読者に紹介しますというスタンスで文章が展開されていく。
適当に脱力系ユーモアを交えながら小説作法を説明していらっしゃるのは流石ですね。
こういう系の本って結局最後は自分自身で書くしかないんだから人様の技法に頼るんじゃなく、とにかく経験値を積んでいくのが最重要みたいな結論で終わりがちでまあそれも確かに正しいと思うんだけど(というかだいぶ正しいと思うが)、この本に関してはパッションだけで物語を完成させようとするとガタがきますよ、ということをちゃんと指摘してくれていて、自分が走っているマラソンコースの道程に500mlの水のペットボトルをさりげなく置いてくれるような面倒見の良さを感じた。
ちなみにこの本でも『比喩表現』について触れられているが、比喩は上手くいけばプラスになるが使い方によってはマイナスになってしまうとのことで、多分このマラソンコースの比喩も読者諸賢的には全然ピンときていないだろうし書いている私もなんだかもっと良い比喩があるよなぁって感じだから、とりあえず三浦しをん先生せっかく読ませていただいたのにこんな体たらくでごめんなさい。
夏目 漱石/著『彼岸過迄』(新潮文庫)
疲れた時でも、いや、疲れた時にこそ身体の五臓六腑にじんわり染み渡るような漱石の文章はもはや漢方薬なんすよ。
今回もほぼ疲れきってる時限定で読んでいったので読了するまでに半年以上かかった。いや、ほらね、小説は速読がものを言うビジネス書とかとは違って長い時間をかけて読んだ方が心の中に沈殿する読後感の深さが違うじゃんか。まあそれは今どうでもいいとして。
私は夏目漱石の中でも『三四郎』とかが割に好きなのだが、今回のお話も雰囲気的にはそれに近く大変楽しく読んだ。
語り手が交代しながら物語が進行していく構成になっているが、やっぱりメインは須永と千代子のパートだろう。
毎回読んでて思うけどなんで漱石ってこんな細かい感情を的確に描写出来るん?採択される表現に一切の無駄がないよね。特に三四郎とか須永みたいに朴訥で消極的な青年の思考描写が巧すぎる。自分の性格というか性質が彼等寄りなのもあって代弁者みたいに思えてくる。
というかもう逆に心情描写をあまりに奥深くまで分け入り過ぎて途中から「わかったわかった、もうわかったからそこまで克明に内面を暴いていかないでいいよ」という気分になってくる。何故そんな感じになったかというとこれには少し理由がある。
ということでこっからは完全に私事を交えた感想になるのだが、最近現実の方でも須永と千代子の関係性を彷彿とさせる場面があった。というか自己都合で勝手に自分と須永の像を重ね合わせてるだけだが。
労働関係の飲み会で幅広い年代と10人程度で酒を酌み交わす機会があり、そこで比較的同年代の異性、仮に名前をつけるとすると……まあ何でも良いからテキトーにつけるけど冒頭の西川きよし師匠繋がりで仮に彼女の名前を「ヘレン」とすると(別に彼女はハーフでもなんでもないし普通に20代だが)、ヘレンから否定的でないというか、自分に都合良く拡大解釈すると好意的な言動があった、が、普通に衆人環視の状態での言動だったからただ何でもない話のネタとして即物的に消費されたか、単純に気を遣われただけだろうと思い込んだ。
なんでもないようなことを針小棒大に解釈して滑稽な勘違いを起こしてしまうのは避けたかったし、何より自分が惨めな感情に陥ることを恐れた。
ヘレンは異性においては朴訥さを好むという趣旨のことを言ったが、その時同じ卓を囲んでいたのは西川ファミリー並に濃いキャラクターというか主張の激しい面々だったので(私は何故か「自分だけ陰であと全員陽」みたいなグループに所属してしまいがちである)誰がどう見てもその場にいる朴訥っぽい人間は私一人だけ、というかそもそも歳の近い異性が私一人だけだったのでその場を取り巻く西川ファミリーとヘレンと私の間に僅かな緊張と好奇が入り混じった空気が一瞬漂い、そして酔っ払っていた誰かの全然関係ない発言でその空気はふわりと霧の如く消え去っていった。
私は何をするでも言うでもなく相変わらず卓の席でエンドレスに枝豆をつまみながら西川ファミリー及びヘレン(というかヘレンも西川ファミリーの内の一人だが)たちの話を心ここにあらず状態で聞いていたが、本人の談によればヘレンはだいぶ異性に人気があるようだった。というか端的に言ってしまえばだいぶモテるようで、まあ確かに男性に好まれる容貌だとは私も思う。そんでもって、やはり色んな異性からのアプローチも絶えないらしい。
私とヘレンは同じ職場ではなく西川ファミリーの半数が私と同じ職場、もう半数がヘレンと同じ職場ということで、今回で共に酒を飲むのは3回目ぐらいなのだがまだヘレンと一対一、所謂サシでちゃんと話したことはなく、彼女が数々の男性への対応に追われて辟易しているらしきこと、そして酒に強いということだけが今回の会で私の知り得たヘレンに関する確固とした情報だった。
そしておそらくヘレンは私の存在を荒波押し寄せる海における波止場のようなものだと認識したに過ぎぬらしかった。
私は出来るだけ波風立たせぬ志向で生きているから、当然何の事件も引き起こさないし、彼女の言う朴訥さがその凪の志向性を指しているなら私はただ現状を何も変えず今まで通り平穏に日々を過ごすだけである。ただ、それがその先の進展を予期したものだったらと考えると頭の中で須永的な懊悩が止まらなくなってしまう。
千代子に対して須永が「彼女は恋愛対象ではないけど、でも他の男と仲良くしてるの見ると悶々するし、でも彼女は云々かんぬん……」と煮え切らない態度を取ってるところを読むと「おいおい、、😅」と思うのだが、今回の件で自分もわりかし似たようなことをやっているのではないかと気付いてしまい、自分も結局は脳内で際限なく理屈をこねくり回しているだけの面倒臭い人間なのだという事実を突きつけられたような気がする故の「わかったわかった、もうわかったからそこまで克明に内面を暴いていかないでいいよ」なのである。こんな回りくどい書き方をしてるのもまた、非常に面倒臭い人間であることの証左だ。
そしてそんなことを考えながら悶々悶々もんもんしていたら(RADWIMPSのDADAみたいに)眠れなくなってしまい、3時間しか睡眠を取れなかったわけである。いやただの思春期じゃねえか。勘弁してくれ、もう28の齢だぞ俺は。
漱石の小説の登場人物のように思考を明晰に言語化出来たら多少は気が紛れるのかもしれないが(逆に気が重くなりそうな気もするけど)、私にはそんな技量がないのでいくら考えてもよくわからないし、こういう場所に書き殴ることで味の無くなったガムみたいに思考も未練も放棄してなぁなぁなぁなぁにしてしまう(RADWIMPSのDADAみたいに)。
そういえば話の本筋とは関係ないが中学二年生の頃カラオケでRADWIMPSの「おしゃかしゃま」を入れたら「中二病じゃん!」と言われたことがあった。今思い返すと中二の人間が中二の人間に向かって中二病とか言うなよ。
ということで9月に読んだのはわりと昔寄りの小説メインでしたが如何だったでしょうか。
私はもう眠くてしゃーないです、よくこんな中途半端な覚醒状態で4500文字も書けたなって感じです、『彼岸過迄』の項なんか「ヘレンが~ヘレンが~」って書きすぎてこれを書いている自分自身が西川きよし師匠なんじゃないかと錯覚しそうになりました。読者諸賢の皆様も今年残り約3ヶ月、小さなことからコツコツと乗り越えてお過ごしください。
おわり
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