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芥川龍之介「しるこ」と🍑桃

もう季節は夏です。

夏といえば桃🍑の季節です。
本日、感動的な桃のパフェ食べてきました。
バニラアイス:2+ホイップクリーム:1+桃🍑:3+幸せな空気4
の割合で口の中で溶け込む味わい!
日頃の疲れも取れるまろやかで甘く水々しさに
子供の頃に学校から帰ったらおばあちゃんがJAで購入して風通しの良いちびまる子ちゃんの家の居間ような畳の香ばしい匂いの漂う居間で長年使用した焦げ茶色のちゃぶ台の上に皮を向いてカットして2つの歯のようなフォークをさして出してくれて何も考えずに食べたときの桃を思い出しました。

大げさかもしれませんがそれぐらい美味しかった🤤
自宅でやるのであれば桃をくり抜いた中にエースカップのバニラアイスと市販のホイップクリームと苺とベリー🫐のっけたら同じような味になりそうです。
自宅でやるならカスタードプリンも入れたいところ。

と延々と夏の桃の良さを語ったのは菓子を書いた良作を紹介したく。
芥川竜之介が甘党で「しるこ」という広小路の常磐(お店)が無くなることを惜しむ可愛いらしい文を書いたのはご存知でしようか。
ほんの数行のためすぐ読めるのに文才が光ます。サクッと読めるので先にワード確認。
紅毛人=日本や、東洋人からみた白人、オランダ人
広小路=東京都上野にある地域 
梅園=今もある(令和6年6月現在)。160年の歴史を持つ現在の甘味処

芥川龍之介が東京大学(旧制一高)に通っていた当時、彼が寄宿していた寮は本郷にありました。具体的には、現在の東京大学本郷キャンパスの近くに位置していました。
そのため広小路まで15分〜20分でいけます。

関西では一般的には”しるこ”と”ぜんざい”は同じ意味につかわれています。

 芥川龍之介の{しるこ」の全文です。

「     しるこ 久保田万太郎君の「しるこ」のことを書かいてゐるのを見み、僕ぼくも亦また「しるこ」のことを書かいて見みたい欲望を感じた。震災以來いらいの東京は梅園や松村以外には「しるこ」屋らしい「しるこ」屋は跡を絶てしまつた。その代にどこもカツフエだらけである。僕等はもう廣小路の「常盤」にあの椀になみなみと盛た「おきな」を味はふことは出來ない。これは僕等下戸仲間の爲には少すくなからぬ損失である。のみならず僕等の東京の爲にもやはり少くなからぬ損失である。

 それも「常盤」の「しるこ」に匹敵するほどの珈琲を飮ませるカツフエでもあれば、まだ僕等は仕合であらう。が、かう云ふ珈琲を飮むことも現在ではちよつと不可能である。僕はその爲にも「しるこ」屋のないことを情けないことの一つに數へざるを得ない。

「しるこ」は西洋料理や支那料理と一しよに東京の「しるこ」を第一としてゐる。(或あるひは「してゐた」と言いはなければならぬ。)しかもまだ紅毛人たちは「しるこ」の味を知しつてゐない。若し一度知つたとすれば、「しるこ」も亦或は麻雀戲のやうに世界を風靡しないとも限らないのである。帝國ホテルや精養軒のマネエヂヤア諸君は何かの機會に紅毛人たちにも一椀の「しるこ」をすすめて見るが善い。彼等は天ぷらを愛するやうに「しるこ」をも必ず――愛するかどうかは多少の疑問はあるにもせよ、兎に角く一應はすすめて見みる價値のあることだけは確かであらう。

 僕は今もペンを持つたまま、はるかにニユウヨオクの或あるクラブに紅毛人の男女が七八人、一椀の「しるこ」を啜ゝりながら、チヤアリ、チヤプリンの離婚問題か何かを話してゐる光景を想像してゐる。それから又パリの或るカツフエにやはり紅毛人の畫家かが一人、一椀の「しるこ」を啜ゝりながら、――こんな想像をすることは閑人の仕事に相違ゐない。しかしあの逞ましいムツソリニも一椀の「しるこ」を啜ゝりながら、天下の大勢を考考へてゐるのは兎に角想像するだけでも愉快であらう。」

 この文章は明治製菓の雑誌「スヰート 第二卷第三號(昭和2年6月)」に書かれたものです。ここでしるこ屋として登場するお店は、「常盤」、「梅園」、「竹村」の三軒です。
常磐、竹村は今は、存在しておらず梅園のみです。
休日に行きたいお店です。










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