無限に行く途中の今の【無】という時
しばらくブログを書いては消して書いては消してを繰り返していた。
読み直すと「書かんでもいいか」と思ってしまう。
アウトプットしたいことがある訳でもなく、わかって欲しいという欲求もなく。
読んで面白くてコメントして、繋がりを持つことが楽しい。
noteの存在によって救われた友。
私にとってはそれで充分。
なので何を記事として書こうかなと思いながら何日もすぎていた。
【無】という今
何かしらいつも疑問を持ちながら生きてきて「何故?」ということに対しての答えみたいなものを探してきた気がする。
例えば、スピリチュアルな情報に関して「どうして何でもカタカナにしたん?マインドとかワンネスとか。昔からそれを伝えられてきてるのに。本質をわかってなくて頭だけでわかったつもりの人が多くない?」
SNS上で批判したり喧嘩したり。「直接言えばいいじゃん。本人に言えないなら言わなきゃいいじゃん。顔も知らない、話したこともない人のことそこまで批判する必要ある?」
なんて事をアナログな私がSNSを始めてからモヤモヤしながら考えていた。
そういうことをブログで書きながら「やっぱやめた」と全消去を繰り返して。
ブログのみならず、個人的に友達からのLINEメッセージに対して「本心じゃないよね、それ」というモヤモヤもあった。
それがなんだかココ最近「なんでもいいか」になった。
「どーでもいいよ、勝手にして!」みたいな投げやりな怒り寄りの感情ではなく【全肯定】の方の「なんでもいい」という思想。
誰が何をしようと、どう思おうと、全部ありで自分に関係あるわけでも無い訳でもない。
我がこととして胸を痛める事や涙することもあり、だけど我がことでは無い。
肉親の事でも友達の事でも全てを俯瞰して見ている自分がいて、何が起こっても常にニュートラルでいられる実感がある。
凄い批判的な言葉を受けても、それは自分の芯がぶれないかどうかを試されてるだけなんだなと自動的に考える。
感情がないとか考えてないとか、ポジティブに考えようとかそういう事でもなく。
【体感】だから文字で説明するのは難しい。
ただ私のことを知っている人には何となく伝わると思う。私を見ていれば。
きっと「いつも楽しそう」と思うだろう。
昔はずっと「いつも楽しそう」なフリをしていたけど、今は本当にいつも楽しい。
現実世界の経験値
辛かった過去が無いわけじゃない。
あげたらキリがない。
右耳はずっとザーザー鳴ってて聞こえないし
常に気をつけてないと直ぐに体調が悪くなる。いつめまいが起こるかわからない。
でも、もう辛い過去はわざわざ思い出そうとしなければ思い出さない。夢には出てきても「嫌な夢見たわ〜」で終わる。