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夏休みの読書感想文にふさわしいかどうかわからない面白い本を紹介します【後編】

フォレスト出版編集部の寺崎です。

今日はこちら↓の前編に続く後編です。

いやー、まさに小学校は今日から夏休みです。いかにも夏休みらしい晴天で太陽が大地を照りつけています。こんな日はざぶーんと海やプールに飛び込むのもいいですが、冷房がキンキンに効いた部屋で本を読むのがおすすめ。

というわけで、後半いきます。

編集者は”ぜいたくな仕事だな”と思わせる『圏外編集者』

この業界の人間であれば、一度は名前を目にしたことがあるであろう都築響一さんの『圏外編集者』(朝日出版社)です。上の写真は単行本ですが、現在はちくま書房で文庫化されているようです。

都築さんが編集者としてのキャリアをスタートしたのが、平凡出版(現・マガジンハウス)から発行されていた雑誌「ポパイ」編集部のアルバイト。最初は原稿取りのお使いとか、お茶くみとか、雑誌の発送とか、ひたすら雑用をこなす仕事だったようですが、当時の「ポパイ」「ブルータス」には編集会議がなかったそうです。

 それではどういうふうに紙面ができていくかというと、まず企画が頭に浮かんだら自分でいろいろ調べて、といってもネット以前の時代だから、たいした下調べもできなかったけど、なんとなくいけそうだと思ったら、編集長かデスクのところに行って、「これ、おもしろそうなので、やらせてください」とか申告する。
 そうすると「じゃあ何月号に何十ページあけるから行ってこい」と言われて、取材に行く。
(中略)
 つまらない雑誌を生むのは「編集会議」のせいだと思う。つくづく、どの出版社でも、場合によっては営業部も参加して会議で企画を決めるのがふつうではないだろうか。たとえば毎週月曜の午前中、ひとり5個アイデアを出して、それを全員で検討、とか。
 それでアイデアのひとつずつを「これはおもしろくない」とか潰しあっていって、残った採用案を「これはお前が担当」って割り振る。その時点で、取材のモチベーションってゼロだから。まずもって自分がやりたいものとはかぎらないし。

都築響一『圏外編集者』より

この一節に都築さんの編集者魂、真骨頂が現れている気がします。雑誌が面白くなくなって衰退していったのも、いわゆる(自戒を込めつつ)「サラリーマン編集者」が主流になってきたからかもしれません。

『圏外編集者』章立て
  問1 本作りって、なにから始めればいいでしょう?
  問2 自分だけの編集的視点を養うには?
  問3 なぜ「ロードサイド」なんですか?
  問4 だれもやってないことをするには?
  問5 だれのために本を作っているのですか?
  問6 編集者にできることって何でしょうか?
  問7 出版の未来はどうなると思いますか?
  問8 自分のメディアをウェブで始めた理由は?

多数決で負ける子たちが、「オトナ」になれないオトナたちが、周回遅れのトップランナーたちが、僕に本をつくらせる。

本書の帯に印刷されているこの一文に職業的やさしみを感じるのは私だけでしょうか。

出版の世界で切磋琢磨する人、あるいはこの業界に飛び込もうと思う人(いるのか?)にとっては、いろいろ考えさせられる本として、おすすめです。

嫉妬に苦しんだら哲学してみるといい『恋愛のディスクール・断章』

はっきりいって「恋愛の悩み」なんてものは、悲しいかな、もはや1ミクロンも感じない年代になりましたが、10代、20代のころはそれなりに悩み苦しんだ気がします。といってもまあ、女にモテないことから、チャラチャラした六本木ベルファーレ的な世の中を心から憎悪(嫉妬)するというクソださい悩みですが。

「俺のこと無視しやがって。死ね。そんな世界なら滅んでしまえ!」

こんな風に自暴自棄になったときにおすすめしたいのが、フランスの哲学者ロラン・バルトによる恋愛のディスクール・断章(みずず書房)です。上の写真のものは1980年初版の単行本ですが、今は新装版が出ているようです。

歴史的に見れば、不在のディスクールは女性によって語りつがれてきている。「女」は家にこもり、「男」は狩をし、旅をする。女は貞節であり(女は待つ)、男は不在である(世間を渡り、女を漁る)。不在に形を与え、不在の物語を練り上げるのは女である。女にはその暇があるからだ。女は機を織り、歌をうたう。「糸紡ぎの歌」、「機織りの歌」は、不動を語り(「紡ぎ車」のごろごろという音によって)、同時に不在を語っているのだ(はるかなる旅のリズム、海原の山なす波)。そこで、女ではなくて男が他者の不在を語るとなると、そこには必ず女性的なところがあらわれることになる。待ちつづけ、そのことで苦しんでいる男は、驚くほど女性的になるのだ。男が女性的になるのは、性的倒錯者だからでなく、恋をしているからである。

ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』より

「そうか、俺、いま恋してるんだ!」(アホか!)と客観視できること請け合いのこの一節ですが、いまとなってはちょっとジェンダー差別が感じられるかもしれません。

恋愛の生を織りなすもろもろのできごとは、すべてが驚くほどにくだらぬものばかりである。最高のきまじめさと結びついたくだらなさこそが、まさしく不都合なのだ。電話がかかってこないからというので、わたしは本気で自殺を考える。そのとき生じるみだらさは、サドの教皇が七面鳥相手に鶏姦を犯すみだらさに比肩されうるものなのだ。ただし、恋愛の感傷性というみだらさには、サドのみだらさほどに怪異なところがない。そのことが、恋愛のみだらさをますますみじめなものにしている。「この世界には飢えで死ぬ人々が数多くあり、多くの民族が自由のための苦しい闘争をつづけているというのに」、恋愛主体は不在をよそおっただけで涙に暮れている。これ以上の不都合さはあろうはずもないのである。

ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』より

わかったようでわからないような一文ですが、「LINEの返信がない。あの野郎、浮気してんじゃねえか?ざけんな、死ね!」という感情に襲われたら、ぜひ、ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』をおすすめしたい。哲学的レイヤーで自分の感情をつぶさに観察することで落ち着けます。

”言葉の達人”たる山本耀司の金字塔『MY DEAR BOMB』

夏休みの読書感想文におすすめしたい本のラストはこちらです。

ドーーーーーーーーーン!
かっけーーーーーーーー!

日本が誇るファッションデザイナー・山本耀司さんの『MY DEAR BOMB』(岩波書店)です。相変わらず入手困難でプレミアが付いてしまっています。言葉のダンディズムに痺れる1冊。

ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』で哲学的幻想にひたったあと、これを読むと、完全にキマります。しばらく戻ってこれません。

もともと男物の基本は、サヴィル・ロウ・ストリート周辺で完成されたダンディズムにある。紳士の身だしなみ、常識美を形にしたものであり、メンズ・モードを語るとき、それがヨーロッパの覇権主義に裏打ちされた服であることに触れないわけにはいかない。そこをどう崩すか、崩すというよりも、内側から溶かす、と言ったほうがよい。

男がアウトサイダーでいるのは、並たいていのことではない。まず親がホワイトカラーを望むし、結婚すれば奥様が立派に見える服を着せたがる。取り巻く環境すべてと闘わなければならないのだ。自分のまわりの人間を傷つけるのがつらくて、仕方なくグレーの背広を着ている男たちがいることを、私は知っている。そして、そういう等身大のやさしさが世界を支えていることも。

わたしは、何々風に見える服が大嫌いである。何風でもない、いかがわしい服のほうがいい。それに、いわゆる男らしさ、女らしさというものなど、しょせんは管理しやすいようにでっち上げられたものではないか。上から押しつけられた男らしさなど、願い下げである。

山本耀司『MY DEAR BOMB』より

「自分のまわりの人間を傷つけるのがつらくて、仕方なくグレーの背広を着ている男たちがいることを、私は知っている。そして、そういう等身大のやさしさが世界を支えていることも」

・・・なんか、こういう視点が感動するんですよね。

激しくおすすめの1冊として、過去にもnote記事を書いたので、そちらもよろしければご覧ください。


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