【連載】#5 コグレ流「トラウマ」との向き合い方|唯一無二の「出張料理人」が説く「競わない生き方」
人は誰でも、一つや二つ、心の傷やトラウマを持っているものです。
私にもたくさんあります。幼少期の経験で言えば、3歳ぐらいのときに、実家の隣の家で飼われていた大型で目つきの鋭い黒い犬に、ものすごい勢いで吠えられて飛びかかられそうになり、死ぬほど怖かったのが今でもトラウマになっていて、実は未だに大きめの犬を触ることができません。
仕事柄、出張料理の仕事で、いろいろなお宅にお伺いしますが、最近は家の中で犬を飼っていらっしゃる方も多く、先日も、玄関を開けたら、大きくて毛むくじゃらの白い犬にいきなり抱きつかれて、心臓が止まるかと思いました。お客様からは「犬が喜んで、歓迎しているんですよ」と言われましたが、私の顔が引きつっているのを見て、「柵を用意しますね」と言われ、結局、犬はそのままで、私のほうが四方を囲まれる形となり、まるで私が檻に入っているかのようでした。
話は、20代後半の日本での修行時代に戻ります。
フランスから帰国後、日比谷のフレンチレストランをはじめ、数軒のレストランで修行させていただいたのですが、この連載ですでにお伝えしているとおり、行く先々で、先輩料理人たちの学歴コンプレックスからくる妬み、嫉妬心による理不尽なイジメに遭い続けました。その経験は私にとって深い心の傷となり、数えきれないくらい、いくつもの大きなトラウマとなって、自信喪失のツラい毎日でした。
「もう、料理の道をあきめるしかない」と思い詰めていたときに手を差し伸べてくださったのが、本連載の前回(#4)でお伝えしたとおり、「洋風無国籍料理レストランKIHACHI」の熊谷喜八シェフです。KIHACHIは南青山にある、明るい雰囲気の超人気店で、先輩料理人たちからのイジメなどなく、何でもやらせていただけました。
そのおかげで次第に実力もつき、自分に自信が持てるようになった頃、突然、まさかの試練が訪れました。
少し離れた北青山に「セラン」という、レストランウエディングの先駆けとして有名な姉妹店があったのですが、そちらの人手が足らないため、私が急遽ヘルプ要員として行くよう指示があったのです。KIHACHIの先輩に「なぜ、経験の浅い私なんですかね?」と聞いてみると、「まあ、何でも経験だから頑張ってこい」のひと言でした。
今でもセラン初日のことをはっきり覚えています。
あまりの忙しいさで殺気立った厨房の一番奥のストーブ前に、どこか見覚えのある顔が目に入りました。かつてKIHACHIに来る前までに、私のことをイジメ抜いたシェフが立っていたのです。最初は「まさか!?」と目を疑いましたが、やっぱりその人でした。
ここで質問です。
あなたなら、どういう行動を取りますか? 逃げますか?
何しろ、顔も見たくない、声も聞きたくないと思っていた相手です。私も本音を言えば、すぐに逃げたい気持ちでした。でも、その気持ちはすぐに消し去りました。私はKIHACHI本店の代表として選ばれ、その姉妹店をサポートするために来たのです。KIHACHI本店では熊谷喜八シェフから直々にマンツーマンで指導していただき、朝から晩まで連日頑張って力をつけてきたという自負がありました。
「このまま逃げたら、一生イジメられたトラウマは消えない。でも、ここで私をイジメたシェフに食らいついていけば、きっとトラウマは消える。これは、熊谷喜八シェフが私にくださったビッグチャンスなんだ」
そう思い立つと、急に心の中のマグマが湧き出し、気がつけば、そのシェフの隣に立って、無我夢中でサポートしていました。
戦場のような4時間弱のランチタイムが終わり、ひと息つこうと、キッチンスタッフ全員が厨房裏の中庭みたいなところに出て地べたに座り、缶コーヒーを飲み始めました。私も端のほうに座っていると、かつて私をイジメたシェフが隣にやって来て、「オマエも仕事ができるようになったな」というひと言をかけてくれました。
この瞬間、重くのしかかっていたトラウマがすぅーっと消えていく感じがしました。その日を境に、そのシェフとは対等に話ができるようになり、同じ仲間という意識に変わったのです。そして、自分自身にさらに自信が持てるようになり、プロとしての自覚も芽生え、さらに一生懸命に修行に励むようになりました。
ここで、トラウマに悩んでいるあなたにお伝えしたいことがあります。
もちろん、いつまでもトラウマを持ち続け、うまく共存する生き方もあります。それも立派な選択肢だと思います。
ただ一方で、運の巡り合わせと言いますか、私のように、トラウマを剥がすチャンスがやって来ることもあります。剥がす瞬間はもちろん痛いですが、それを乗り越えた後の爽快感は最高です。
一度限りのあなたの大切な人生です。そのチャンスが来たら、運命だと思ってトラウマ剥がしにチャレンジしてみませんか。今まさに生きている実感が湧いて、なかなかいいものですよ。
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