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へなちょこベンチャー創業日記 〜泥沼でバタフライ 第一話〜
はじめまして、フーディソンでSCM(サプライチェーンマネジメント:出荷とか配送とかの部門)を担当しているAckey(アッキー)です。ぼくは創業メンバーとしてフーディソンに参加しているので、創業から今に至るまでの泥沼をバタフライで泳ぐような日々を何回かに分けて書こうと思います。
おじさんベンチャー泥沼にダイブ!
ぼくがフーディソンに入社したのは2013年9月のこと。創業から5か月で、当時のメンバーは社長のtohruと8月に入社した先輩社員のsenooの2人だけ。ベンチャーという言葉が持つ20代が起業したキラキラ感はなく、3人とも30代半ばのおじさんベンチャーで会社というより男が3人集まってみましたという感じ。雑居ビルの7階にある小部屋を別のベンチャーとシェアして使っていました。
事業はというと、2013年4月にtohruが1人で創業して埼玉に魚屋を出店したけどわずか3か月で撤退、さてこれからどうしたものか、飲食店向けの卸売りをやってみようかな、そんなタイミングでした。
ぼくの入社祝いで初めて3人で飲みに行った日が「初めて飲食店に納品できた!」というお祝いの日でもあったんですが、記念すべき初納品は魚の入った発泡スチロール箱を、senooが築地から恵比寿まで電車と徒歩で届けるという泥沼感w
魚を知らな過ぎてムカつかれる
初納品に成功したわけですから、”仕入先”を増やして商品ラインナップをそろえつつ、”売り先”の飲食店を開拓して売上拡大、、、と進めていけばいいわけなんですが、そううまくはいきませんでした。なんでかって?3人とも魚について何も知らないド素人だったから。tohruとsenooの前職は介護系人材紹介、ぼくはテレビディレクター、誰も魚の目利きなんてもちろん三枚おろしだってできません。
当時の仕入先は一社だけで、築地場外市場にあった長崎県漁連さんのアンテナショップでした。そうです、一般の人も買うことができるアンテナショップです。世界一のフィッシュマーケット築地にいるのになんでわざわざ場外市場のアンテナショップなのかといいますと、市場の仲卸さんたちには相手にしてもらえなかったからなんです。
魚種は大衆魚しか知らないし、漁法や締め方なんて分かるはずもない素人が、朝の忙しい時間に店先に来て、要領を得ないことを言って、買うとしても1尾だけ、なんていうと仲卸さんにとっては商売の邪魔なのでイラっとするんですよね。実際に『魚を知らな過ぎてむかつく』という言葉を吐き捨てられて門前払いを食らったこともありました。相場を知らないのでかなり割高な価格で売りつけられたこともありました。
今になれば仲卸さんの事情も分かりますが当時のぼくらは、いつか「魚を買ってください」と言わせてやる!と心に誓ったものです。
そんなわけで築地場外市場のアンテナショップは、ぼくたちにとっては唯一魚を売ってくれるありがたい仕入先だったわけです。売り先もない時に「小売値ではなく卸値で売ってください!」と頼みこんで取引をさせていただいた長崎県漁連さんには今でもとても感謝しています。
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商品は「おまかせの鮮魚ボックス」たったの1種類。魚を知らないし細かい注文には対応ができないから「おまかせの鮮魚ボックス」という曖昧な商品だけの一本足打法。安いわけでもなく、欲しい魚を指定できない鮮魚ボックス一つを友にして、飲食店さんに「魚はいらんかねー」と売り込みに向かうのでした。
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お客さんに怒られながら学ぶ
さあお客さんを増やすぞということで、先輩社員のsenooとぼくは新規顧客を開拓するために営業電話をしたりFAXDMを送っていました。
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ベンチャーに入って最初のカルチャーショックは仕事のスピードと完成度のバランスでしたね。テレビディレクターをやっていた時は1フレーム(1秒の30分の1)単位で細部までこだわりつくして100%に近いクオリティを目指していたんですが、ベンチャーはクオリティ60%でもスピード重視。FAXDMの原稿を作るにも何をするにも、まずはやってみて改善していくという進め方。いわゆるPDCAを高速で回すというスタイルに変えていかねばと意識したことを覚えています。
FAXや電話で興味を持ってくれたら、初回1,000円のお試しセット(通常価格2,500円)を送ります。もちろん赤字ですが接点を作らないと始まりません。
お試しセットを送ったら訪問営業です。
飲食店さんを訪問するともちろん怒られることもあります。幾度となく怒られました。鮮度が悪い、値段が高い、使えない。うまくいかないことばかりでした。
当時は始発で出勤して6時から出荷、20時まで仕事して毎日14時間勤務。自分たちなりに精一杯やっているけどうまくいかない。
一生懸命頑張ったのに失敗すると普通はモチベーションも下がってしまうところですが、ぼくたちは全然へっちゃらでした。その鍵はマインドセット(ここで言うマインドセットは心構えの意味)。
魚の素人が魚のプロの料理人に魚を売ろうとしているのですから、最初からうまくいくはずがないんです。うまくやろうではなく、まず前提としてうまくいかないだろうとした上で、そこから1つずつ学んで次につなげよう、怒られてもなんとか食らいついてもう一度使ってもらおう、そのときが成長のチャンスだと心構えをしていたんです。そうなると失敗も想定内なのでへこたれません。ベンチャーにはマインドセットがめちゃくちゃ重要だと今振り返ってみても思います。
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幸いなことにぼくはテレビディレクターというストレス強めな環境で働いてきましたし、先輩社員のsenooはずっと営業職(そのうえちょっと変人)なので2人ともストレス耐性は強かったこともあり、心折れずに泥沼を泳いでいくことができたのです。
もちろん優しい人たちもたくさんいましたよ。朝の市場への仕入れに同行させてくれてどうやって買付をしているのかを教えてもらったり、他の仕入れ先の相場を教えていただいたり、何も知らないぼくたちに飲食店の水産ニーズの手ほどきをしてくれたのもお客さんだったのです。
中には、ぼくたちの水産業界を良くしたいという思いに共感したから使い続けるよと言ってくれるお客さんもいて勇気づけられたものです。
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美味しい魚を将来も東京で食べたいという思いで入社
そもそもぼくがなんでフーディソンに入ったのかという話しを少しさせていただくと、テレビディレクター時代に担当していたテレビ朝日の『美味旬感』という番組がきっかけでした。
3分くらいのミニ番組で、全国の旬の食材を収穫する農家さんや漁師さんを取材するという内容。全く船酔いをしないぼくは同僚ディレクターが行きたがらない漁の取材を多く担当していました。
北は北海道でニシンやホッキ貝を撮ったり、南は九州で関サバや呼子イカを撮ったりと、全国で20か所弱の漁港からロケハンとロケで2回ずつ船に乗り漁に同行。
取材を通じて漁師さんと仲良くさせていただいたんですが、ほとんどの漁師さんが口にしていたのが、「魚は獲れなくなっているけど値段は上がらない、船を走らすガソリン代は上がる一方で働いても赤字なんて日はざら。息子にはこんな仕事は継がせられない」という言葉。全国の漁師さんたちが異口同音に嘆息する姿に、誰かが変えなければいけない課題なんだと意識するようになっていったのです。
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番組の取材で魚の美味しさに魅了されつつ漁業者のため息を聞いて、将来も東京で美味しい魚を食べられるようにしなければと思っていたある日のこと。大学時代の友人とお酒を飲んでいると「最近夫がなんか分からないけど水産の会社はじめたんだよね」という話しを聞いたんですね。その友人の夫がフーディソン代表のtohruで、元々知った仲でもあったので次の日には飲みにいき、ぼくの思いを語り、じゃあ一緒にやってみよっかという話しになり、翌日には仕事辞めますと上司に伝えてフーディソンに入ることになりました。
そんな思いに共感して応援してくれるお客さんもいたということなんです。
泥沼に道ができ始める
話しを戻して、入社して半年が経った2014年2月頃になると、飲食店の会員数は300-400店になり、1日の出荷件数も30件程度まで増やすことができていました。一心不乱にバタフライを続けた泥沼に道ができ始めたのです。その道は魚ポチへと続いていくのですが、魚ポチ誕生のお話はまた次回にさせていただきます。
かっこ悪い話ばかりですが、ベンチャーってキラキラなんかしてなくてこんなもんだぜってことが伝わればいいかなと思います。読んでみて楽しそうだなと思った人はこちらをクリック!