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本の虫12ヶ月 7月
↓6月のぶん
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アン・モロウ・リンドバーグ
*
アメリカにはこういう種類の言葉がある。
エリザベス・エリオットの本に、
どこか似ているきがした。
こういう、知恵ある女性のことば。
わたしのメンターをしてくれていた
アラバマのおばあちゃんみたいに、
家庭で、手を動かしていることから
聡明になっていくみたいな、
そんなgood old religionみたいな
そういう種類のことば。
なつかしい。
*
しずかであること、
わたしのなかの泉が立てる
こぽこぽとした音に、
耳を澄ませていること。
*
内的な音楽。
*
「回転している車の軸が不動であるのと同様に
精神と肉体の活動のうちに不動である魂の静寂」
*
流れの先にある声は、
みんなどこかで繋がっている。
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藤本和子
*
「やった!」とおもった。
図書館の検索機に、ふじもとかずこ、と入力して
三十年前のこの本を見つけたとき。
ブルースだってただの唄、も未読だけれど、
あれは本屋さんで買って読むつもり。
*
さいきん、藤本和子、と唱えていた。
いろんな女のひとを読んでいて、
こっちに寄り、あっちに寄りで、
だれかひとりに傾倒したくはないけれど、
でもそれぞれにわたしの傾きを直してもらいながら、
わたしの呼ばれている方向に、進んでいる。
この本を読み終えて、
そうね、次に移ってもいいかしらね、
とも感じたけれど、それは星としてのこと。
アメリカの鱒釣りもよんでる。
このひとのことば、自由で好きだなあ。
わたしは、このひとの鷹揚な、あかるさが好き。
悲劇的な「じぶん」みたいなものに、
飽き飽きしているからかもしれない。
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星亮一
*
会津観光史学的なものは、
あんまり読まないようにしてるんだけど、
この本はけっこうよかった。
ある程度の中立性がある。
このひとも会津御用作家の
ひとりだという認識だったんだけど。
そういえば、中公新書の「斗南藩」も
持っているけれど、同じ作者だった。
(じぶんだってものすごく会津節になって
しまうくせに、ひとにこういうことを
いうのはとてもひどいこった。)
*
あのひとたちがどういうふうに明治を過ごしたか
ちょっと興味がでてきた。柴五郎の、
ある明治人の記録も読もうかなあ。
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藤本和子
*
このひとは、けっして裁かないから、
いろんなひとの話をきけるのかな。
ひとを、にんげんとして見ているからかな。
裏街道のはなしを、
淡々ときいていく。
ゴシップ記事で読むような世界のはなしを、
にんげんのはなしとして、
きいていく。
*
牢屋で、神さまにふれられて、
麻薬をしたいという欲求が
奇跡みたいに消えたおんなのひとのはなし。
神さまがそこにあらわれて、
つながるような感覚がする。
ひかりが、ページの角から見つかるみたいに。
*
どうやったら、いろんなひとを
愛せるようになるのかしら。
いろんな境遇のひとたちを。
*
「ブルースなんてただの唄。
かわいそうなあたし、みじめなあたし。
いつまで、そう歌っていたら、気がすむ?
こんな目にあわされたあたし、
おいてきぼりのあたし。ちがう。
わたしたちはわたしたち自身のもので、
ちがう唄だってうたえる。
ちがう唄うたって、よみがえる」
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ダムに沈んだ徳山村百年の軌跡
大西暢夫
*
わあ、こんなすごい本。
徳山村といったら、増山たづ子さん、
だったけれど、この本も、すごい。
岐阜県徳山村のおばあさんの一生を、
執拗に取材していく。
少女のころに働きにいった製糸工場、
嫁ぎにいった北海道の開拓地、
そして夫婦養子となって帰ってきた徳山村、
そしてダムに沈んだ。
おばあさんのやるせなさ、
がなにから来るのかを、
丹念に追っていく。
ことばにならないものを。
すごいなあ、ほんとにすごい本だ。
著者、母校の先輩だった。
あの学校の精神みたいなのを、
水脈のようにかんじた。
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大塚英志
*
コロナの頃の同調圧力を、
先の戦争のメディア戦略について語りながら、
うたがう本。
*
ああいう同調圧力の時代に出会ったのは、
あれがほとんどはじめてだった。
もちろん311だとかを経験してはいるけれど、
あそこまでの規模では。
わたしはまだ、芯がしっかりしていなかった。
揺らいでしまうくらいには、弱かった。
生きていきながら、
じぶんに大切な芯をみつけていく、
そういう期間だった。
*
書くことが利用されることなら、
わたしはただ芯の芯にある、
キリストにだけ利用されて書きたい。
そこだけぶれなければ。
*
生きていることを、書け。
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ナタリア・ギンズブルグ
*
二度目の通読。
マンゾーニ家のひとびとはいつまで経っても
読み終われないのに。
ああ、小さな徳をもういちど読みたい、
とおもった。かのじょの流刑時代にかんじた
胸をつかまれるような感覚、あれを
もういちど読みたい。
小さな徳、あの本は、
いつまでも傍に置いておきたい本。
この本も、手放したくない。
この口語のことばのかんじ、
ちょっとアメリカの鱒釣りにも
つうじるみたいな。
なんていったらいいのかわからないけど。
アメリカの鱒釣りちんちくりん、
と言って、息子とわらいあってる。
![](https://assets.st-note.com/img/1721480492399-RBWkMS2auA.jpg?width=1200)
ブレイディみかこ
*
わたしより先にこの本を読んだ母が、
「彼女はね、アクティビストなのよ。
深く考えるひととは違うかもしれない。
でも草の根のひとたちを繋ぐ役割のひとだわ」
と言っていた。
わたしは、天の瞳を思いだした。
灰谷健次郎を思いだした、といっていいかな?
さいごの自主保育の世界は、天の瞳の
リンエイ保育園の地続きだった。
かのじょは、この世界を変えようとするひとだ。
それはすばらしいことだ。
とてもちからづよいことだ。
この目線は、忘れてはならない目線で、
いつも覚えていなくてはいけない目線だとおもう。
そう、灰谷さんみたいだわ。
なんでかのじょはこんなに、
伊藤野枝が好きなのかしら、
と前の本で思ったけど、
それもこれで半分わかったようなきもした。
わたしは、伊藤野枝は……ちょっと……
でもわたしは、灰谷健次郎と住井すゑを愛読する
小学生時代を過ごしたので、
ああ、このことばだ、とわかった。
そしてそれをじぶんが忘れておらず、
じぶんの一部になっていることが、
うれしかった。
でもわたしの見ている場所とは違った。
神の国は目には見えない、
というのが、わたしが見ている方角。
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藤本和子
*
こんなにすごい本を、
一ヶ月に何冊も読んでいていいのかしら。
こんなことしていて、
いつか読書を卒業してしまわないか。
いつか、ある一冊の本に満足したい、
とずっと頭に描いている。
いつか、
その本と向き合うことになるのだと。
ずっと知ってた。
その本の名前は、
わざわざ言う必要もないでしょう。
こんなにすごい本を立て続けに読んでいると
その日も近いのかなというきがしてくる。
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石垣りん
*
ふと手にとってみた。
詩人のエッセイ集。
かのじょの本籍地、伊豆の光景が、
わたしに海のあこがれを
のこしていった、そんな読後感。
海は、そこにあるんだけど、
あまりにたくさんのひとに
愛でられすぎていて、
表面がつるつるとしてしまっている。
伊豆には、到達しにくさ、
みたいな、ちょっと原始のような、
ノスタルジーがある。
たぶん、下田に車で旅行したときに、
なんて遠いところだろう、
でもなんてうつくしい、
鄙びたところだろう、
と、それ以来あこがれているからかも。
伊豆半島は、真鶴と下田が好き。
下田の先には、どんな風景が
拡がっているんだろう。