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アナログ時代の大切なもの #私のコレクション
突然ですが、みなさんにご相談したいことがあります。最初はそのために記事を書く予定じゃなかったのだけれど、今の私の状況でこういうことしたら、相手はどう思うのかを聞いてみようと思いまして。
もしよかったらご意見を頂けますとありがたいです🙏そう言っておきながら返事が遅くなったら、ごめんなさい🙏
気になるところにバッビョーーンと飛んで下さっても大丈夫です!
今の私とかけがえのない宝箱
先日、私の病気について
赤裸々に語ったのだけれど、ここ最近は喋れない、脱力で歩くのも厳しい、季節柄なのか痛みもキツい日々が続いている。(初っ端から重いけれど、サラッと流して~🧻)
部屋の中でしか活動できないレベルなので、このラブリーな箱を
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気分を上げ上げ大作戦🤭💕
湿布入れにしようと👏✨
中には、10年ちょい前くらいにハマっていた文通友達(どういう経緯でやりとりを始めたのかを覚えている人もいれば、全くもって不明な方も……)からのお手紙なのはわかっていたので、こちらの
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母が一時期ハマっていた懸賞で当てたおやつの箱に入れていた
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小・中・高校時代の手紙とひとまとめにしよう! と整理していた。
一度はこういう手紙を捨てようか悩んだ時期もあったのだけれど、その時に誰かから(なんとなく母な気がする)の「悩むならとっとけば?」という甘い囁きに負け、今の今まで取っておいた。(この箱を授けられた時点で母説がさらに濃厚になった気もする……)
そして、こういう思い出の詰まった物を整理する時って、ついつい見てしまうのよね😇
開けてびっくり! 読んでびっくり!
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なんとまあ、いろんな折り方の手紙があること!新しい形でもらうと真似して折り方を覚えていくからどんどん進化していくのよね😂
私は中学生になる頃にガラケーを持つ子がチラホラいて(PCメールでやりとりしていた子もいるよ~)、高校に上がって、ほぼみんな持つようになったくらいの世代だから、大半が小学校高学年から中学校時代のものなのだけれど、実はその5年間のうち約4年は不登校だったのに、こんなにもお手紙をくれていたとはありがたいの極み……😢✨
幼稚園からの幼馴染みや学校に通えていた頃のクラスメイトが心配して書いてくれたものや保健室登校で出逢った子も含まれていたり、当時プロフィール帳なるものが流行っていたりしたのもあるけれど、引っ越しで別れた同級生(なぜかその妹と仲良くなって手紙を送ってくれていたことも👀!)、不登校時代に出逢ったボランティアのお姉さんや学校の先生からのお手紙や住所付きの名刺も発見された。
それにしても私はこういった手紙をどうやって受け取っていたんだ🤔?中学校時代は地元から離れて電車通学だったから、家まで届けてくれる人もいないし……(近所の子には習い事の行き帰りに己でポストインしていたのは覚えていて「こないだピンクのジャンパー着て激チャしてたよね?」との目撃談も😂)
内容は「学校来てね! 待ってるよ~」から「今はゆっくり休んでね~」もあれば
恋バナ(なぜか私へのラブレターも💘 その中には、二日がかりで年賀状かいたんだよ~という手紙もあって探してみたら、私の未来図が描かれていたり、他の友達や先生方からの手書きの年賀状も次々と出てきたりして夜な夜な泣いちゃったよ😭😭)や
行事や先生、テストのこと、遠方から通っている子も多い中、一緒に遊ぼ! と誘ってくれたり、プリクラが入れられていたり(当時はプリ帳埋めてなんぼ! の時代で、赤の他人のプリクラを交換していることもよくあった)
見事なコマ割りの漫画やカラフルに彩られたイラストもあった。(主人公が私になっている力作まで!)
学校でたまに遭遇するだけでハグしてくれたり、行事にだけ参加してもグループ内で省かれたりすることもなく……自慢ではないけれど、我ながらなぜそこまでレアキャラの私に「初✉️だね!」と書いたものを渡してくれたのかが気になって仕方がない。(たまに顔がタイプっていう子がいるから、卒アルの個人写真ガン見してみて、顔のパーツがアンパンマンみたいに全部丸いからな? ってことに落ち着いたo゚∀゚)=○)´3`)∴)
だから学校に行っていないわりに、休日(放課後)は友達と遊ぶというそこそこリア充な小・中学生だった気がする。(なら、なぜ学校に通えなかったのかと言われると一言では語りきれない理由があるんじゃ……)
悟りと気づき
「様って敬称もつけずに誰よ、これ😡!」とぷんすかしながら封筒を開いたら、破り捨てたと思っていた小学校の卒業前に二十歳の自分に書いた手紙だった。
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私の中では半分○書くらいの気持ちで書いた記憶があり、二十歳の私もまた大学一年でバーンアウトして休学→第一志望だった大学の編入も受からず、前撮りも○影の気持ちくらい病んでいたので、もしかしたらろくすっぽ読んでいなかったのかもしれない。
でも、この手紙とは関係なく(捨てたと思っていたくらいだもの)なんだかんだ保育士と図書館司書の資格を取っていて、こうしてnoteも書いているのだから、私はやっぱり私だ。(そして一切、自分の名前を書いていないのは誰かに読まれても構わないと想定しているのが自分だからこそ、わかるんだよな……)
だけど! たくさんの手紙を読んでみて、当時は自分のことで精一杯で気づかなかったことにもたくさん気づかされた。
たとえば、私が学校へ行けなくなってから毎日のように連絡帳を届けてくれた幼馴染みも本当は学校に行きたくない時期もあったのに親に怒られない私のことを羨ましく感じていたこと。逆に私からしたら勉強も運動神経もいずれ敵わなくなるだろう遺伝子や環境を羨ましく感じていたことが、その子にとってはプレッシャーになっていたこと。
別室登校児のためのスクールカウンセラーのような存在だった元保健の先生に励まされ、さらには母の病気にいち早く気づき、学校に勤めなくなってからも季節のお便りをくれていたこと。(近所だったので母とご自宅を訪ね、梅干しの簡単な作り方を教わったりタラの芽を一緒に採り、その苦味を初めて知ったことも思い出した。)
そして不登校になってから仲良くなった友達の秘密を私だけに教えてくれ、よくよく見ると字体が違うほど想像以上に苦しんでいたこと。それを感じ取っていた他の友達が「一緒にあの子を守ろう!」と作戦を立てた手紙を書いてくれていたこと。
高二になってからなんとなく入った新聞部で私が書いた部説を手直ししたことに関する顧問からの手紙によると、以前から私のことを気にかけてくれていたこと。そして、私の危なっかしい一面を否定せず思いやりに溢れた言葉が綴られていたこと。
ただその当時も私は選択科目の習字の自習時に「夜露死苦」と書いていたことをおちゃめなエピソードとして書かれていたこと……🙈(記憶にないけれど、そういうのが流行っていた時代なんだよ! 家の庭にも書いてたまにしか会わない叔父にも突っ込まれたけど!)
あとは休学(後に退学)した大学の教授に、生意気で不躾な質問をしたお返事を頂いていたこと。これを読んで思ったのは、手紙ってメールと違って自分が相手に何を書いたのかがわからないから、今思うと大変失礼なこと書いていたんじゃないかとヒヤヒヤした💦
通信制の大学に編入して、県外のスクーリングで出逢った同年代の子と、ネットを介して知り合った子が友達だったというミラクルな出来事もあったなあ……(その時の写真を送ってくれたおじさまからの手紙もあった!)
私がみなさんに
お伺いしたいこと
本当は探偵ナイトスクープにお願いしたいレベルなのだけれど、私もお相手もテレビに映りたいと思うようなタイプじゃないこともわかっているから、ずっと悩んでいることがある。
それは、高校に上がってすぐ仲良くなったMちゃんのこと。学年としては一つ年上だったのだけれど、なんとなく私はその子とは絶対に気が合う! という直感があって、たぶん私から話しかけた気がする。
だって、めちゃくちゃ可愛かったんだもん!(手紙を読んだらね、Mちゃんも私に対して同じ気持ちだったんだよ!) 賢くて優しくて、すぐに私のあこがれの人になった。(手紙の折り方がとても丁寧で、ひとつ見つけるとどれがMちゃんからの手紙かわかるくらい!)
実際にMちゃんも学校に行きづらさを抱えていながら、部活動の見学に誘ってくれたり、趣味の読書について手紙でやりとりしてGW明けの私の誕生日に本をプレゼントしてくれたけれど、Mちゃんのお誕生日(今でも日付覚えているよ!)にはプレゼントを渡せなかったのがずっと心残りになっていて……(私はその本がうれしすぎて鞄にずっと入れていたら、雨に濡れて……😭でも今も大切にしているよ!)
徐々に学校に通うのがしんどくなってきていることを感じていたから(一回でも休むとね次に行くのが怖くなっちゃうんだよね……)、夏休み前後にM ちゃんの机の中に自分の住所を書いた手紙を忍ばせた。
そしてMちゃんが辞めたことを知らされた時には残っていた教科書もなくなっていたからきっと手紙も届けられたんだって思っていたら、ある日忘れ物BOXに私の手紙が入っていることに気づいた😭😭ちゃんと宛名も書いていたはずなのに😭😭
今でもフルネームを覚えているからググってみたり、Facebookで捜してみたり、出来る限りのことはしたつもりだった。
私もそうだけれど、たとえSNSでも本名で登録していない可能性もある。もしかしたら、結婚して名字が変わっている可能性だって。
だから時々思い出しては「今のMちゃんがどこかで元気で幸せでいてくれますように🙏」と願うようになっていた。
でも箱の中から、その子からの手紙を見つけて読んでみたら、メアドが書かれていて……
私は当時、まだ携帯を持ってなかったからパソコンでもチャレンジしたけれど送り合えないままだった。だから、私なりに考えた上で住所を書いた手紙を入れたんだと今になって思い出した。
その手紙が届いていなかったショックと他の友達のことや義務教育の知識がほとんどないことがコンプレックスだった私は日々の勉強に追われ、進級したクラスでの立ち位置や、成績を落とせないプレッシャー、一度でも休んだら最後……と自分を追い込み、せっかくMちゃんが祝ってくれた誕生日の翌年には、もういいや、とこの世から消えようとしていた……(それがわかるから、今もMちゃんを心配している気持ちもあるんだ😢)
それでも友達の前ではいじられお気楽ガールだったし、全てがキャラ作りだったわけでもなく「歩く太陽」と言ってもらえるほど私はずっと周りの人達に恵まれていた。(発掘された修旅の写真もウェーイ🙌だったし😂)
その年に母のPHSが使えなくなったのと同時に私も携帯を買ってもらった。そして飴配りおばさんとして鍛えた謎の図々しさでクラスの女子の大半と他のクラスや学校の仲良しな子とも連絡先を交換していた。
なのに私はその時にMちゃんにメールしてみることが思い浮かばなかった。メアドを教えてくれていたことを忘れていたから……んーもぉぉおおお! 私のバカァァアアア!
だから客観的に見て教えてほしいんです……
あれから約二倍の時間が過ぎたけれど
私はMちゃんに今からでも連絡してみてもいいのかな?
メールが届くのか試してみてもいいのかな? 迷惑メールと思われないかな?
学生時代のことを思い出すのがつらかったりしないかな?
健康体じゃない今の私が連絡しても、会おうにも会えないのに嫌じゃないかな?
でも憧れの『あこがれ』という作品の中の
会いたい人がいて会えるんならさ、会えるうちに会っておかなきゃいけないんだよ、ぜったいに
というヘガティーの台詞が脳内でリフレインしている。
だけどね、改めて手紙を読み直してみたら、Mちゃんにとってはそのあこがれが重荷になっていたのかもしれないな、とも感じた。
私はMちゃんにとって、どんな存在になれていたのかな?
もし今、Mちゃんに本をプレゼントできるのなら、『あこがれ』はもちろんのこと森絵都さんのこちらと
加納朋子さんのこちら
を思い浮かべていたら、手紙のやりとりから加納さんの『モノレールねこ』を既にオススメしていたことや『ダレン・シャン』を発売と同時に購入して全巻買い揃えているところまで一緒で、やっぱり私にとってMちゃんは今でも、年齢も過去も関係ないかけがえのない大切な友達ってことがよくわかった😢💕
長々と読んで下さった方々、ありがとうございました🙇
みなさんのご意見を求めていたはずなのに、書いているうちに試しにメール送ってみよう! という気持ちがむくむくと湧いてきました✊! と思っていたら手の強ばりがひどくなり、大事な手紙を開いても折りたためない自分にヘコんでいます😭😭😭
他にも近くに住んでいた時に会っていたらよかったな、と思う方や文通で本を貸してもらったのに返していない友人といった悩みも尽きないのでした……
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