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「聴き合い」は「教え合い」ではない
「わからない」子が受け身に
「学び合い」といって、子ども同士が”教え合っている”授業を見かけることがある。その多くは”「わかる」子どもが「わからない子ども」に対して教えている”という様子だ。
それは一見”協働的”に学んでいるように見えるが、実はこの学びの様子には大きな問題が潜んでいる。
特に「わかる」子どもたちが、「わからない」子どもたちに対して、一方的に自分の考えを伝えているという場合はその典型だ。
「わからない」子どもは一方的に方法や答えを”教えてもらっている”状態であるから、常に”受け身”であり、「わからない」子どもはいつも受け手に回っている。自分で考えるという主体的な学びの姿勢が育まれなくなってしまう可能性が出てくるのだ。
以前紹介したTV番組「輝け28の瞳」(NHK ETV特集2012年放映)の中で、佐藤学氏(東京大学名誉教授)は、
「教え合いと学び合いは違う。『教え合い』を続けているといつもわかる子、先生は教え、子どもは受け身で聞いてしまう、そうするとできない子たちは『待つ子』になってしまう。」
『教え合う関係ではなく、聴き合う関係』。他者の声を聴き合うことが学びの出発点である。」
と述べている。
上下関係を生む「教え合い」
同時にそこにはある種の上下関係が成立してしまう。それは、「わかる子」と「わからない子」という関係が教室の中に出来上がってしまう危険性があるということである。
この状況が進むと、子どもの間で「あの子はできる子」「あの子はできない子」というレッテルを無意識に貼ってしまいかねない。いわば、教室の中に学びの上下関係ができてしまうということになる。
「あの子の考えを聞いてこんなアイディアが浮かんだ」「あの子の考えを聞いて考えていたことをもう一度見直すことが必要だと感じた」こんなふうに互いの考えを聴き合い、考えを深めるためには、学びの場ではどの子も平等であり、互いや互いの考えを尊重することが必要になる。
「わからないから教えて」
そのために大事になるのは、「わからない」という子どもが”周りの子どもに自分から進んで”「わからないから教えて」ということである。あくまでも周りの子が「教えてあげる」のではなく、「わからない」子どもが”主体的に”訊くということが重要になる。
同時に「わかっている子」は「わからない子」に”何がわからないのか””どこまでならわかるのか”と「わからない子どものわからなさに寄り添って”自分の考えを伝えていくということである。けっして「わからせよう」として一方的に自分の考えを伝えたり、答えを”教えたりする”ということであってはならない。
「聴き合い」は子ども同士が対等であり、互いにわからなさに寄り添うという関係の中に生まれる対話である。それが”教え合い”との違いである。