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「わかるの”貯金”」という考え方の再考

 

      わかるの貯金


「わかることはよいこと」だと考えられている。だから、多くの教師は「わかることをたくさん蓄え、積み上げていく」ということで知識が増え、学力が向上すると考え教育活動に当たる。いわば「”わかる”の貯金」である。

 しかし、以前NOTEの記事で紹介したTV番組「輝け28の瞳 NHK ETV特集 2012年放映」の中で、佐藤学氏(東京大学名誉教授)は、次のように述べておられる。

 「最近は『わからないことに疑問をもてること』『わからないことをたくさん蓄えること』が次の学びのステップになっていくという考え方に変わってきている。
 だから、学校の先生も子どもたちがわからないということを言えることと、そのわからないことを問えること、さらに問題として考え合えることの方を大切にしているのだと思う。」

佐藤学「ETV特集『輝け28の瞳』NHK 2012」


     わからなさと人の進化

 人類の歴史を考えてみてほしい。太古の昔から現在に至るまで、いくつもの「わからないこと」が人々目の前に立ちはだかり、人はその都度「わからなさ」に立ち向かい、解決に向けて努力し、克服してきた。そして、また新たな「わからないこと」が目の前に立ちはだかる。この繰り返しで科学や社会の進歩が生まれてきたのではないだろうか。

 このように考えると「わからなさ」が人類を進歩させてきたといっても過言ではないだろう。「わからなさ」が生まれてくればくるほど、人は人としての価値を高め、考える力や予測困難な課題に対応する力を身に付けてきたのではなかろうか。

 だから、「わからない」ことがたくさんあること、生まれてくることは、学びを進化させることなのだ。


   教室の学びの深化とわからなさ


 教室での学びも同様ではないかと考える。「わかる」ことをゴールにすれは、子どもが「わかった」「できた」ということで学びは終わる。
 一方で、「わからない」ことを互いに出し合い、「何がわからないのか」「どうわからないのか」「どこからわからないのか」と一人一人のわからなさに寄り添って考え合う、そういう学びが展開されれば、子どもは何度も学び直すことになり、深い理解につながる。

 「わからない」子どもにとっても、また「わかった(そう思っていたけれど実はわかっていなかった子どもも含めて)」子どもにとっても、価値ある学びになっていくにちがいないのである。
 

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