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せっかく困っているのにすぐに助けるなよ


2025年2月6日(木)朝の6:00になりました。

寒波が押し寄せてこようとも、書いたら 5km 走ります。

どうも、高倉大希です。




せっかく困っているのに、すぐに助けるなよ。

教育現場で仕事をしていて、よく思うことのひとつです。


せっかくこれから、試行錯誤がはじまろうとしているのに。

せっかくこれから、仮説検証がはじまろうとしているのに。


大人がすぐに、その芽を摘んでしまいます。

学びが広がるその前に、機会を潰してしまうのです。


「トラブルが起こらない社会」を目指すのが「心の教育」で、「トラブルが起きたときに解決できる人材がたくさんいる社会」を目指すのが「行動の教育」であり、民主主義教育です。だから学びの機会を増やしてあげるためにも、トラブルは起きたほうがいいんです。小さな対立はいっぱいあっていいんです。

苫野一徳、工藤勇一(2022)「子どもたちに民主主義を教えよう」あさま社


当然ですが、子どもを助ける大人には一切の悪気がありません。

困っている子どもがいたら、助けたくなるのが人の性というものです。


教育に携わっている大人なら、なおさらです。

子どもたちのためになりたいという思いを、人一倍強くもっています。


だからこそ、怖いのです。

そんな教育者の熱い想いが、子どもたちの考える機会を奪います。


デューイによれば、思考のプロセスは、探求のプロセスである。彼は、子どもの学びが子ども自身のものであり、子ども自身が考えるようにしなければならないと主張する。それは、子どもたちがみずから学び、考えるプロセスを尊重することであり、リフレクションの経験を大切にすることでもある。

上野正道(2022)「ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学」岩波書店


だからある意味、教育者というのは性格が悪くなくてはなりません。

子どもたちが困っている姿を、ニヤニヤしながら眺めるわけです。


なんならむしろ、自ら進んで子どもたちを困らせなければなりません。

困らせるだけ困らせて、助けずに放置するのです。


すてきな教育者を見ていると、子どもたちを困らせるのが本当に上手です。

困らせることさえできれば、彼らはおもしろいくらいに自ら学びはじめます。


河合さんと差し向かいで話していて僕がいつも感心するのは、彼が決して自分の考えで相手を動かそうとしないところである。相手の思考の自発的な動きを邪魔するまいと、細心の注意を払う。むしろ相手の動きに合わせて、自分の位置を少しずつシフトさせていく。

河合隼雄、村上春樹(1999)「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」新潮社


言い換えるなら、我慢です。

ついつい助けたくなるけれど、ぐっと我慢するのです。


大人が手を貸せば、簡単に解決します。

やり方を教えれば、あっという間に済むことです。


それでもあえて手を貸さない、それでもあえて教えない。

せっかく困っているのに、すぐに助けるなよ。






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高倉大希
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