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せっかく困っているのにすぐに助けるなよ
2025年2月6日(木)朝の6:00になりました。
寒波が押し寄せてこようとも、書いたら 5km 走ります。
どうも、高倉大希です。
せっかく困っているのに、すぐに助けるなよ。
教育現場で仕事をしていて、よく思うことのひとつです。
せっかくこれから、試行錯誤がはじまろうとしているのに。
せっかくこれから、仮説検証がはじまろうとしているのに。
大人がすぐに、その芽を摘んでしまいます。
学びが広がるその前に、機会を潰してしまうのです。
「トラブルが起こらない社会」を目指すのが「心の教育」で、「トラブルが起きたときに解決できる人材がたくさんいる社会」を目指すのが「行動の教育」であり、民主主義教育です。だから学びの機会を増やしてあげるためにも、トラブルは起きたほうがいいんです。小さな対立はいっぱいあっていいんです。
当然ですが、子どもを助ける大人には一切の悪気がありません。
困っている子どもがいたら、助けたくなるのが人の性というものです。
教育に携わっている大人なら、なおさらです。
子どもたちのためになりたいという思いを、人一倍強くもっています。
だからこそ、怖いのです。
そんな教育者の熱い想いが、子どもたちの考える機会を奪います。
デューイによれば、思考のプロセスは、探求のプロセスである。彼は、子どもの学びが子ども自身のものであり、子ども自身が考えるようにしなければならないと主張する。それは、子どもたちがみずから学び、考えるプロセスを尊重することであり、リフレクションの経験を大切にすることでもある。
だからある意味、教育者というのは性格が悪くなくてはなりません。
子どもたちが困っている姿を、ニヤニヤしながら眺めるわけです。
なんならむしろ、自ら進んで子どもたちを困らせなければなりません。
困らせるだけ困らせて、助けずに放置するのです。
すてきな教育者を見ていると、子どもたちを困らせるのが本当に上手です。
困らせることさえできれば、彼らはおもしろいくらいに自ら学びはじめます。
河合さんと差し向かいで話していて僕がいつも感心するのは、彼が決して自分の考えで相手を動かそうとしないところである。相手の思考の自発的な動きを邪魔するまいと、細心の注意を払う。むしろ相手の動きに合わせて、自分の位置を少しずつシフトさせていく。
言い換えるなら、我慢です。
ついつい助けたくなるけれど、ぐっと我慢するのです。
大人が手を貸せば、簡単に解決します。
やり方を教えれば、あっという間に済むことです。
それでもあえて手を貸さない、それでもあえて教えない。
せっかく困っているのに、すぐに助けるなよ。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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